見出し画像

【ネコとオンガク】Mr.Big編 ドラムは苦手な黒猫とMr.Bigの最終章:サグ、亡き相棒のスティックを握る

伝説への招集
静かな日常からの急転

夜の街角は、湿ったアスファルトの匂いと、微かに響くジャズの残響に満ちていた。主人公のサグは、艶やかな毛並みを持つ一匹の黒猫だ。彼の日常は、行きつけの路地裏のコンテナの上で世界を睥睨することと、気まぐれに通りかかる人々の膝元を温めることだった。彼はただの猫。それ以上でも、それ以下でもない。
そんな静かな夜に、全ては崩れた。
サグが路地の隅でうたた寝を貪っていると、一台の漆黒のリムジンが、場の空気を切り裂くように滑り込んできた。
そこから降りてきたのは、世界的なロックバンド、Mr.Bigのボーカリスト、エリック・マーティンその人だった。
エリックは疲弊しきっていた。彼の目に光はなく、その肩には、本来ならば共にいるはずの男の不在が、重い影を落としていた。
「バディの穴」——。
Mr.Bigのドラマー、パット・トーピーがこの世を去り、バンドは伝説のラストジャパンツアーを目前にして、文字通り心臓を失っていた。代役探しは難航し、彼らは失意のどん底にいた。
エリックは、ふと路地裏のコンテナに目をやった。そこに座り、ただじっと彼の様子を観察している一匹の黒猫がいた。サグだ。サグは特に何を考えているわけでもなく、ただ「この人間、やけに悲しそうだな」と感じていただけだった。

ミッションは「代役」ではない

エリックは吸い寄せられるようにサグに近づき、彼の頭をそっと撫でた。
「なあ、君。君には何か、特別なものがある気がするんだ。」
エリックは、サグのつぶらな瞳に、今は亡きパットの、あの底抜けに明るい光の残滓を見た気がした。
「私たちは、ドラマーを探しているんじゃない。家族を探しているんだ。」
そして、エリックは異例のスカウトを口にした。
「サグ、君がMr.Bigのドラマーだ。」
サグはにゃあと短く鳴いた。もちろん、その言葉が「はい、喜んで!」という意味ではないことは、エリックにもわかっていた。だが、彼は続けた。
「叩けなくてもいい。プロの代役なんて、今は探せない。ただ、君がそこに座って、俺たちと同じステージにいてくれ。亡きパットの、相棒としての魂の居場所なんだ。」
こうして、サグは有無を言わさずリムジンに乗り込まされた。彼のキャリアは、一匹の野良猫から、世界的なロックバンドの緊急ドラマーへと、急転直下で転がり落ちたのだった。

嘘と本音、そしてドラム

ドラマー・サグの「秘密」
ホテルの一室で、サグは巨大なドラムセットの前に座らされた。彼の肉球に、パットの愛用していたスティックが握らされる。
「叩けない。」
それが、サグの正直な気持ちだった。もちろん、言葉にはできない。彼はただ、困惑の表情で両手(両前足)を見つめるしかなかった。
サグが唯一リズムを刻めたのは、幼い頃、亡き友人ニック(彼は地元の小さなライブハウスでドラムを叩いていた)が、休憩中に叩いていた小さな木箱だけだった。彼の肉球に染み付いているのは、木箱の乾いた音と、ニックが口ずさんでいた「Be with you」のメロディだけ。本格的なドラムセットのシンバル、タム、バスドラムの区別すらつかなかった。
この状況は、まさしく嘘だった。彼がドラマーとしてステージに立つことは、彼自身の真実からかけ離れていた。

地獄の突貫リハーサル

リハーサルスタジオは戦場だった。
ギターのポール・ギルバートは、プロ意識の塊だ。彼はサグを一瞥すると、露骨に顔をしかめた。
「エリック、冗談はよしてくれ。こんな茶番に付き合っている暇はないんだ。」
ポールは、精密機械のような速弾きで、サグに無言の圧力をかけた。サグは、その目にも止まらぬ動きに、ただただ圧倒されるばかりだ。
そして、ベースのビリー・シーン。彼は何も言わなかった。ただ、地を這うような重低音を響かせ、サグの心臓を締め付けた。その無言の圧力こそが、最も恐ろしかった。ビリーの瞳は、サグを通して、亡きパットの影を追っているように見えた。
サグは逃げ出したかった。けれど、エリックの、あの寂しそうな眼差しが、彼を椅子に縫い付けていた。
リハーサルは初日の直前まで続いた。サグのスティックは、空を切り、シンバルを叩き損ね、タムの端っこをかすめるばかり。
そして、ついにその日がやってきた。迫りくる初日。サグの心臓は、まるでバスドラムが外れて高速で連打されているかのように鳴り響いた。

運命のラストステージ

幕が開く、漆黒の静寂
会場は、東京ドームに匹敵するほどの巨大なホールだった。客席を埋め尽くす観客たちが、一斉に叫んでいた。
「バディ!バディ!バディ!」
それは、亡きパット・トーピーへの愛と追悼のコールだった。その声が、サグを押しつぶしそうになる。
サグが座ったのは、まさにパットが愛用していた、そのドラムセットだった。磨き上げられたシンバルが、ステージライトを反射して眩しく輝く。彼は、緊張で震える前足でスティックを握りしめた。
暗転。そして、静寂。
誰もが、Mr.Bigが何を始めるのか、固唾を飲んで待っている。この静寂の中、サグは自分自身に問いかけた。「なぜ、僕はここにいるんだ?」
奇跡の「一打」
オープニングナンバーが始まった。曲は、彼らの代表曲の一つ、「Addicted to that Rush」。
ポールが火を噴くようなギターリフを刻み、ビリーが超絶技巧のベースソロを鳴らす。エリックが魂のシャウトを上げた。
そして、ドラムの出番だ。サグは、スティックを振り下ろした。しかし、またも空を切る。リズムは完全に崩壊した。ポールは苛立ちを隠さず、ビリーは目を閉じて、苦痛に耐えている。
その瞬間、サグの脳裏に、昔の記憶が鮮明に蘇った。路地裏で、彼とニックが小さな木箱を叩きながら笑い合っていた光景だ。そして、ニックの声が響いた。
「サグ、ロックは上手く叩くことじゃない。魂をぶつけることだ!」
次の瞬間、理屈ではない何かが、サグの肉球を突き動かした。彼はスティックを、ドラムセットのスネアではなく、隣のタムに思い切り叩きつけた。
ドン!
それは正確なリズムではなかった。だが、その一打には、パットへの追悼と、ニックとの約束、そして彼自身の存在を懸けた、感情の全てが込められていた。

サグとMr.Bigが描く「最後の景色」

その一打を聞いたエリックが、目を大きく見開いた。そして、ポールが、ビリーが、顔を見合わせた。
「ああ、パット……。」
ビリーが、目頭を押さえた。彼らが求めていたのは、正確なリズムではなかった。亡き相棒の魂を感じられる、熱い感情のグルーヴだったのだ。
サグは、もう譜面など見ていない。彼は、体全体で、魂のままにタムやシンバルを叩き続けた。それは、テクニックとしては未熟だったが、バンドを一つにする力を持っていた。
演奏は、奇跡的なグルーヴを生み出し、観客は歓喜の渦に包まれた。Mr.Bigは、この黒猫ドラマー、サグと共に、彼らの歴史の中で最も感動的で、最も「人間味」溢れるステージを、日本で作り上げた。
ツアーが終わる時、サグはコンテナの上に戻った。彼はもう、ただの野良猫ではない。彼は、Mr.Bigのメンバーであり、伝説のラストツアーを完走したロックミュージシャンだ。
サグは、自分の隣に置かれたパットのスティックを見つめた。
「にゃあ。」
その短い鳴き声は、彼が見つけた「居場所」への、誇り高き返事だった。

※ネコの名前はサグ(SAG)です。
※もちろんフィクションです。

いいなと思ったら応援しよう!

re:sonance よろしければ応援お願いします。いただいたチップはクリエイター活動費に使わせて使わせていただきます!