年間読書人の「無理ゲー」

こんばんは 糞リプマンです
♡の数を年間読書人に自慢されましたが、♡を押された方、忙しすぎて精神が参っていませんか?もしくはウブさにつけこまれていませんか?
「病院に行け」とは言いませんが、少し休んだ方がいいです。

さて、本題に入ります

年間読書人の批判文は糞長いけど毎回論調、ではなく論法は変わらない。

それは、私がこれまでに何度も指摘してきたように、北村紗衣の「反差別」の主張は、基本的に「性差別(男女差別)」に限定されており、例えば「部落差別(同和問題)」「従軍慰安婦問題」「在日朝鮮人差別」「沖縄への米軍基地押しつけ問題(沖縄差別)」などの、北村紗衣自身が「日本人」として(日本人というポジショナリティにおいて)、当然関わりのある(責任を有する)問題については、一言半句触れようとはしないという点に、問題があるからなのだ。

「全ての差別に反対していない、だからこいつは有罪だ」

一言で言えばこうである。んなアホな。

例えば、かつて年間読書人が引き合いに出した、沖縄問題などに言及している上野千鶴子ですらそれは出来ていない筈である。何故なら体は一つしかないし、時間的に言ってそれは無理なのだ。もちろん、心の中では反対しているかもしれないが、唯物論者の年間読書人(こういういかにも本を読んでそうな知性派ぶったHNすら許しがたい、奴はエア読書人だ※)にとって、「心の中で思っている」事は「存在しない」。

この記事。開いた瞬間にスクロールバーの小ささに仰天せざるを得ない。
無駄に糞長い。

そして、最後はぞっとするような文章で締めくくられている。

しかし、私たちは、「罪なき人イエス」ではないのだ。誰も、罪人を真に許す資格など持ってはいない。なにしろ、私たちは全員、例外なく「罪びと」だからである。だから私たちは、自分のことを「罪のない人間」だなどと勘違いしたまま、他の「罪ある人」を責めるのではなく、自分が「他人の罪を責める資格のない、同じ罪人」であるという自覚に立って、それでも、どこにも「罪を許す資格を持つもの=神」の存在しない「この地上」で、自らの身を打つようにして、他の罪びとを打たなければならないのだ。それが、私たちにできる、唯一の「罪滅ぼし」だからである。

何だこの自己正当化の三段論法は。詭弁にも程があるというものだ。
他人の身を打ったところで自らの身は痛くも痒くも無い。
何を偉そうにのたまっているのだ。

そして年間読書人はここでも致命的な誤謬(太字部分)を披露している。

なにしろ、私たちは全員、例外なく「罪びと」だからである。

この論法は50年以上前に論破されている。

「全ての人が罪人であるなら、誰も罪人ではない。」

年間読書人が「読んだ」と主張してやまないハンナ・アレントの言である。

※エア読書 読んでも無いのに読んだふりをしてる人。実際にその本を読んだ人間からすればボロが出まくっている。

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