#135 ピアノのタッチと音色(1/5)【再整理しました】
タイトル写真は、奥日光の英国大使館別荘から中禅寺湖を臨んだ風景です。この日は天気も良く、とにかく綺麗でした。次回の旅行記で詳しく紹介する予定です。
今回から5回に分けて、物理的要因によって音色が変化する理由を、順を追って説明します。以前に、ピアノのタッチと音色について、物理学の知見を用いた専門的な記事を連続で書きましたが、分かりにくかったと思います。今回は、数式は全くありません。以前の記事よりも、かなり分かりやすいと思います。
ネットにてプロの方の解説動画を見ると、「指の腹で弾くと音色が柔らかくなる」という説明をされている方が複数おられます。しかしながら、いずれの方の説明においても残念ながら、「指の腹で押すように弾く場合でも、ずっと押し続けることによって、最終速度は叩く場合と同じにしたうえで音色を比較する」という説明が欠けています。このため、仰っていることは正しいのに、一部の方から批判を受けておられます。
その批判とは、具体的には、「音が小さくなったので、音色が柔らかくなったと錯覚しているだけ」というものです。その批判をされている方は、「指を寝かすと指の面積が広いのでエネルギーが散在してパワーが出ない(だから音が小さくなる)」と説明されています。この説明は、科学的には明らかに誤りです。指の腹で押すように弾く場合、鍵盤との接触面積が増えるので、単位面積当たりの力(圧力)は減りますが、その圧力を合計した力(パワー)は減りません。と言うより、無意識のうちに力が抜けているのです。力を減らして比較しても意味がありません。
接触面積の大小は、力の増減には関係ありません。圧力(単位面積当たりの力)が変わるだけです。例えば、レンガを床に立てて置く場合と、寝かして置く場合を想像して下さい。寝かして置く場合は、接触面積が増えるので、圧力(単位面積当たりの力)は減りますが、レンガの重さは変わりません。床にかかる重さ(力)は同じです。
指を寝かしたときに音が小さくなるのは、無意識のうちに力が抜けているからです。指の腹で弾く場合、指を伸ばすので、第三関節から、より離れた位置を押すことになります。距離が増えた分だけ比例的に、第三関節を曲げる力を増やす必要があるのですが、これができていないと音が小さくなります。音を小さくしてしまうと、強弱の変化による錯覚(発想効果)が混ざってしまい、タッチの違いによる物理的な音色の変化を感じ取ることが難しくなります。

その方は、「エネルギーが散在する」と説明されていますが、「エネルギー」は力とは別物であり、それが「散在する」わけではありません。減るのは圧力(単位面積当たりの力)であって、その合計である力を減らしてはなりません。指から鍵盤を介してハンマーに与えるエネルギーは、ハンマーの運動エネルギーに置き換わるのですが、この運動エネルギーが叩く場合と等しくなるように、鍵盤を押し続けて加速する必要があります。
音が小さくなることによって、柔らかい音になったと錯覚するのは事実だと思います。しかし、そういう錯覚を排除して音色を比較する必要があります。錯覚を排除するには、前述のとおり、押す場合でも、ずっと押し続けて加速し、最終速度は叩く場合と同じにする必要があります。そのためには、指を伸ばした分だけ、叩く場合よりも少し力を入れるような意識が必要です。
ハンマーの最終速度が異なる状態で比較しても、タッチの違いによる物理的な音色の変化を聞き分けることはできません。強弱の差による錯覚(発想効果)が混ざってしまうからです。恐らく、そういう発想効果のほうがずっと大きいので、タッチの違いによる音色の変化をほとんど感じられなくなります。「奏者が変えられるのはハンマー速度だけ」という思い込みがあると、その時点で思考停止に陥り、タッチの違いによる物理的な音色の変化を聴き分けようとする意識がなくなります。これでは音色の違いを感じ取ることはできません。
上級者でない限り、タッチの工夫は後回しにして、発想効果(音の強弱などによる錯覚)を主に練習したほうが、成果が早く現れるのではないかと思います。そういう意味では、一つの極端な考え方として、生徒に対して、「タッチを変えても、ハンマー速度が同じであれば音色は変わらない」と言い切って、音の強弱や長さなど、発想効果を工夫することに集中させるという教育方法はあるかも知れません。
しかし、私が気になるのは、更なる高みを目指すような段階になったとき、誤って植え付けられた先入観が上達の邪魔をするということです。上級者でなくとも、タッチが違えば音色が変化するということを知っていれば、早い段階から、そういう工夫もしてみようと思うはずです。科学的に誤った説明は思考停止を招き、演奏技術向上の妨げになります。
ネットには、物理学(特に振動学や構造力学)に詳しくないにも関わらず、「科学的に説明する」といった触れ込みで説明されている記事や動画が沢山あります。しかし、その内容を見てみると、中学の理科のレベルのことでも間違った説明をしているものや、非科学的な説明をしているものがほとんどです。ハンマーシャンクを手で曲げる動作を見せて、「硬くて曲がりません」といった説明をしているものなど、これが科学かと呆れ果てるものもあります。こういうものに騙されると、思考停止に陥り、演奏技術向上の妨げになります。
叩く場合でも押す場合でも、ハンマーの最終速度を同じにするというのは、物理的にはどういうことなのか、次回の記事で具体的に説明します。
最後までお読み頂きありがとうございます。
