野中楓子 五十歳 をめぐる物語 #4.すき焼きの温泉
電話が鳴った。画面に「早見達也」の文字が現れた。楓子は、朝早く鳴る弟からの電話に何か特別なことがあったのだと思った。達也はめったに電話などしてこない。メッセージで済ましてしまうことがほとんどである。
楓子の母の兄嫁、田端幸恵が亡くなったのだ。家族葬をするというので、香典を達也に頼んだ。
楓子は幸恵に数年会っていなかった。おとなしい人だった。これといって印象深いエピソードも見つからない。楓子にとって幸恵は楽しい人でなく、怖い人でもなく、ごく普通の人であった。
幸恵のことを思い返した。一番に浮かんだのは、お盆にいただく「すき焼き」だった。楓子は幼いときに父を亡くした。家庭状況としては貧しい方に該当するだろう。母の兄の家庭も裕福とはいえなかった。それでも毎年八月十五日にすき焼きをごちそうしてくれた。
玄関を開けるとまだすき焼きが始まっていないのに、もうすき焼きのにおいがした。それは鼻で嗅いだにおいでなく、気持ちから湧き出てくるにおいだった。
幸恵が牛肉と野菜を運んでくる。かごの中にはネギ、白菜、ごぼう、焼き豆腐、おふ、糸コンニャクが勢揃いしている。牛肉は白いトレーの中で赤々と出番を待っている。楓子、達也とその家の宏昌と恵子の子ども四人で、すき焼きの席を取り囲んだ。大人たちは時々すき焼きを取るが、ほとんどは子どもたちでワイワイと食べていた。特に大きな肉ではない。特に珍しい野菜があるわけでもない。少し甘めの幸恵の味付けだった。おいしかった。大人になって立派な牛肉の入ったすき焼きを食べることもあるが、八月十五日に食べたあのすき焼きほどのおいしさは感じない。
幸恵はいつも自分が食べずに子どもらに食べるように言った。楓子も達也もこの家では遠慮を知らなかった。四人は兄弟のように肉を取り合って食べた。そのそばで具材を追加し、すき焼きのお世話をしてくれたのは幸恵だった。
楓子のお腹が満腹になりかけたころ、一学年上の宏昌がニヤニヤ笑って言った。
「ふうちゃん、たっちゃん、すき焼きの温泉を知っている?」
もちろん、そんなことはしらない。すき焼きのおいしい温泉宿という意味なのか。どうも違う。宏昌は得意げに箸で具をかき分けながら鍋の中にため池をつくった。直径五センチくらいの大きさである。同じようにため池をつくるように言われた。楓子はていねいにつくった。達也のため池もみてあげた。他の人とため池が交わらないように注意した。宏昌はすき焼きの具をつけて食べていた生卵の残りをため池に入れた。
「これがすき焼きの温泉だ!」
グツグツと煮出した。見る間に生卵は液体から固体を変わった。それは楓子にとって大発見の食べ物で、宏昌のすごさを感じた。ご飯にかけるとたまらなくおいしかった。
それから毎年すき焼きの温泉は、最後の楽しみになった。すき焼きの具をつける卵の量を少なくして、最後の温泉にとっておくほど好評であった。ときには温泉が破壊して隣の温泉と繫がってしまうこともあった。その時はどこまでが自分が食べられる分かと、小さなもめごとが起こる。そうして毎年恒例だったすき焼き行事も四人の成長とともに過ぎ去る……。
楓子も五十歳という歳になれば、幸恵の優しさがわかる。子どものときはその優しさに気がつかなかった。楓子にどんな声をかけるでもない。ただおいしいすき焼きを食べさせてくれた幸恵の姿を思い出したら、いつの間にか涙が流れてきた。
「幸恵おばちゃん、ありがとうございました」
楓子は、静かに合掌した。
現在の楓子は、すき焼きが残ると次の日に温めて、そこに溶いた生卵を流して半熟くらいで食べる。それは、すき焼きの温泉の名残である。
