HSCの「行けない」は、時代へのメッセージだった〜不登校というやさしい警鐘〜
「敏感な子は、時代の最先端を歩いている⁉︎」
※不登校の娘と向き合う中で、私はずっと「どうして行けないの?なんでこんなに気が小さいの?」と悩み、時には娘を責め、焦り、初めて味わう感情と闘っていました。
でもあるときふと考えるようになった自分もいたのです。これは「問題」ではなく、「教えてくれていること」なのかもしれない、と…。
1. 敏感な子が不登校になるのは“問題”ではなく“危険察知能力”
HSC(ひといちばい敏感な子)や発達特性をもつ子が、不登校になることは珍しくありません。
けれど私は、過去の振り返りで反省する一方で、それを「問題」ではなく「能力」だと気付かされます。
彼らは、まわりの空気や違和感、ストレスを敏感に感じ取る力を持っていて、そのセンサーが「ここにはいられない」と危険を知らせてくれているのではないかと考えるようになりました。
2. 敏感さは“宝もの” 〜生きるための力〜
敏感な感性は、生き物として本来持つ“危険察知の本能”ではないか。
動物だって、敏感な個体ほど危険を早く察知して生き残れる。人間も同じです。
だから、敏感さは「弱さ」ではなく、退化することなく受け継がれてきた「人間の力」であり、人間にとって必要な“宝”のような存在だと思うのです。
3. 教育の仕組みを見直す時期にきている
不登校の子どもたちは、「今の学校は、自分に合わない」と全身で感じています。
昭和の時代に作られた教育スタイルが、今の時代に合わなくなっている。
そのギャップを敏感な子たちは誰よりも早く感じ取り、優しい気質から他人に迷惑をかけることなく、自分を犠牲にして「不登校」という形で反応しているのだと思います。
これは、「教育のあり方を見直す時期に来ている」という、子どもたちからの静かなメッセージなのではないでしょうか。
敏感な子は、“未来の空気”を感じている
敏感な子たちは、社会の変化にいち早く気づく「センサー」です。
その声を無視せず、否定せず、耳を傾け、早急に改善していくことが、これからの教育や社会づくりにとってとても大切なことなのではないでしょうか。
不登校という選択は、決して後ろ向きではなく、時代を先取りした“前向きな気づき”なのかもしれません
《おわりに》
不登校の子を持つ母として、これまでの出来事を振り返る中で、私は娘からたくさんの気づきを受け取りました。
「敏感さ」は決して弱さではなく、人間社会を守るために必要な、大切な力なのだと今では思っています。
子どもたちが教えてくれている“違和感”を、大人たちがしっかりと受け止めて、これからの教育のあり方を見直していくことが、未来を守る第一歩になるのかもしれません。
