家族旅行と自衛隊機

今日は保育園時代に初めて家族とキャンプをした日。

父の赤いデリカにはキャンプ用品と幼い妹の離乳食とお気に入りだったうさぎのぬいぐるみが載っていた。

キャンプ場は榛名湖の湖畔のとても小さい場所でうちの家族しかいなかった。

夜、父は大学生時代に使っていた黄色いテントで私は母と妹ともに車中泊した。
せっかくのキャンプなのにテントで寝られないのが残念だったこと、そして大きな飛行機の音と真っ暗な夜空を移動する赤い小さな灯を覚えている。

翌朝、父は空を見ながら言った。

「昨夜からやけに自衛隊機が多いな」

幼い私は何故か一泊二日のキャンプの初日を土曜日だと勘違いしていた。
土曜日の翌日は日曜日。
日曜日のお昼は8チャンネルで『クイズ・ドレミファドン!』
アニメやNHKの人形劇以外で好きな数少ない番組だった。

お昼に帰宅して茶の間のテレビをつける。

どのチャンネルを回しても映るのは同じ。

中継のヘリコプターの音。
緑を通り越して黒い山。
さらに黒いえぐれた山肌
立ち上る煙
何かの残骸
赤い鶴のマークの鉄の塊

同じマークの飛行機に乗ったのは3歳くらいの頃だったか。
記念品としてもらったキティちゃんと飛行機の絵の着いたピンク色の手提げが茶の間の片隅にあった。


真っ暗な夜空を移動していた赤い灯。
御巣鷹山に墜落した日本航空123便を探していた自衛隊機の一機だった。


2026/08/13 追記


飯塚訓著『墜落遺体』を読んだのは高校生の頃のことだった。
新聞で知り、高校の図書室にリクエストして入荷してもらった。
クラスの社交的な女の子たちはカラフルな液晶画面のポケベルを持ち、昼休みは校内の公衆電話に並びメッセージを送るのに忙しそうだった。
モノクロのガラケーを持ってる子はまだいなかった。

私が榛名湖の湖畔のデリカの中で眠っていたとき、生存者4名以外にも傷つき助けを待つ人たちが多くいたらしい。

もしも、あの時代にケータイやスマホやGPSがあったならば、助かった人もいたのではないか?

犠牲になられた方々へ心よりご冥福をお祈りします。

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