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これやこの~大津街道を歩く④

■髭茶屋追分から東へ

 京都市伏見区・大手筋商店街から歩き始めて、東海道・髭茶屋追分まで約3時間。当初、最寄りの京阪・京津線「追分」駅から帰阪することも考えていましたが、髭茶屋追分から大津市街(旧大津宿)までは4キロほど。私の足なら1時間足らずなので、さらに東へ歩くことにしました。
 小休止して、髭茶屋追分から進発です。

髭茶屋追分からみた旧東海道(東向き)

 道(滋賀県道・京都府道35号大津淀線)の左手(北側)は滋賀県大津市です。

 滋賀県道・京都府道から、国道1号の歩道部に入りました。名神高速、京阪京津線が並走。

国道1号

 大津市大谷町27に、「走井一里塚」跡があります。

「走井一里塚」跡の碑

 その少しだけ先の柵に、「旧東海道」の標識がさりげなく。

「旧東海道」の標識

 ■月心寺と広重の浮世絵

 柵の東にあるのが「月心寺(げっしんじ)」

月心寺(西向き)

 この日は前を通り過ぎただけで、帰阪してから月心寺について調べました。月心寺がある地は、かつてここにあった「走井の茶店」跡で、近代日本画家の橋本関雪が大正3年(1914)年に別邸とし、1954年から寺院となったとのこと。拝観・利用は要予約。

 歌川広重の「東海道五拾三次之内 大津」に描かれている茶店(左)が、その「走井茶店」です。

広重「東海道五拾三次之内 大津」(東京都立図書館・TOKYOアーカイブより)

 この広重による「大津」は、これまでも見たことがありますが、月心寺の前を実際に歩いてみて思ったのは、現地と浮世絵との違いです。浮世絵では背景に琵琶湖が描かれていますが、本来の走井茶店は山中の峠道にあります。浮世絵では東海道は左から右へ上り坂となっていますが、さて、どちらが京都方か?・・・広重は、「絵の構図」を優先したのだろうと思います。

■東海道の旧道と逢坂の関跡

 月心寺の先で、歩道橋を渡ります。

「旧東海道」の標識と歩道橋

 歩道橋を渡ると、京津線「大谷」駅の東。駅の北側に、東海道の旧道が少し残り、「蝉丸神社」があります。

旧東海道と蝉丸神社

 神社がまつる蝉丸は、平安時代前期に逢坂山に住んだとされる伝説的な歌人・琵琶法師。「小倉百人一首」にも収められた歌は、あまりにも有名です。

 「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」

 和歌とは反対に、この日この時間、この地を歩いていたのは、私だけ。行き交うのは自動車ばかり。

 蝉丸神社の先で、旧道は国道1号に合流。その近くに「逢坂の関記念公園」があります。

逢坂の関記念公園と旧東海道

 逢坂の関は、京と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道が集中する交通の要衝。関があった正確な場所は、今となっては分かりません。2009年に整備されたという公園には、逢坂の関についての説明パネルのほか、トイレもあり、街道歩きを助けてくれます。
 
 公園内には蝉丸とともに、三条右大臣と清少納言の歌碑があります。

三条右大臣の歌碑

 「名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人にしられで くるよしもがな」

清少納言の歌碑 

 「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」 

逢坂の関の説明板

 上の説明板のそばに「逢坂山関址」の碑と「逢坂常夜燈」があります。

逢坂山関址の碑と逢坂常夜燈
 

 さて、大津市街まであと少しです。記念公園の先で信号を渡り、国道1号の歩道部へ。道の斜面には、蝉丸の和歌を添えた大津絵のタイルが埋め込まれています。

大津絵と蝉丸の和歌

 子どもの頃から百人一首で蝉丸や清少納言の和歌に親しんできました。ほかに歌舞伎十八番の内「勧進帳」で、源義経が花道から登場する時の長唄、蝉丸の和歌を踏まえた詞章にも、繰り返し耳にしてきました。

 「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも逢坂の 山かくす」

 その逢坂山、逢坂の関があったで地を、初めて訪ねたのでした。

(つづく)

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#勧進帳