平幹二朗の色紙と甘い小鉢の店 顛末記④
秘密の隠し味
それは乳酸菌でした。
(旅の客人はあの場で
私が書くことの承諾を、店主から得ておられていました
後でご連絡いただき、驚きました。ありがとうございます)
店主は饂飩を捏ねる時に使う乳酸菌を
ふと思いついて、なますの甘酢にも加えてみた。
そしてこれはいけると。
ちなみに店主、
「砂糖はものすごく使うよ、たっぷりと。そこは昔どおりにね。
レシピは初代から全く変えてない。」
そういえば昔の和食、おかずは全般に濃かった。
塩分も、糖分も、酢の量も
おせちや煮物、傷まないように濃い味付けでしたね
このお店は大正時代に創業の110年の歴史を持つ
讃岐うどんのお店。
饂飩の捏ね方も料理の味付けも初代のまんま。
饂飩一人前の量も同じ。
今の一般的な店の1、5倍はあるよと。
値段もずっと変えていない、
儲からなくてもいい、
もう借金もないしねって、店主。
お客人が女将に訊ねる
あの色紙は?
この色紙は?
あれは、平幹二朗、、
(以下略。またみちょぱで記憶が消えました)
これは、先代が習ってたお習字の先生。
「なるほど、とても達筆ですね」
旅のお連れ様もサービスのアイスコーヒーを飲み終えて
壁の写真をじっくりご覧になって
ごちそうさまでした
店主に声をかける。ところであの写真は、、
それは室蘭の「地球岬」
「ああ、そうです!地球岬。
常連さんにカメラマンがいましてね、他にもありますよ、」
店主は引き出しから
その人の風景写真をあれこれ取り出す。
渓谷、鉄橋、鉄道、
お連れ様が見入って、話に花が咲く。笑みがこぼれる
お客人一行は遠い北海道の北の方の、
上川郡からいらしたのだ。
コシのある饂飩をたぐり、饂飩が無くならない私は
決死に両耳を澄まして、なんとか会話を記憶する
お客人と店主の話題が、この店の歴史に移った。
大正時代、讃岐から大阪に来た当初は
出前専門であったこと。
近所に遊郭などもあって、あちこちに出前していたこと。
空襲で丸焼けになったこと、
白黒写真や、古地図、大判の資料を
テーブルに広げて、そうした一時代の話。
「今、りなちゃんがね、」と聞こえた。
りなちゃんがこの頃の阿倍野を調べていてね、と。
ちょっと待ったーっ!
最後の一本をつるんと飲み込んで、私は駆け寄る
そのりなちゃんって、あのりなちゃんのことですかっ
「うん?(笑) たぶん、そう。」
テレビでよくお見かけする
レトロカフェの、あの難波里奈さんですか!
「うん、そのりなちゃん。彼女が今、阿倍野の昔を調べててね、、」
また繋がった。
難波里奈さんは、私の叔母の「喫茶アコオ」を
自著の巻末に取り上げた方だ。
偶然見つけて、その本は親戚に送った。
阿波生まれのシズちゃんが、大阪で暮らして、生きた、その証。
里奈さんはこの店のお客様だったのね(まあ立地的には当然か。)
私の「ユリイカ祭り」が始まる。
出版されたら買うぞ!阿倍野の歴史。
お客様がいない店内で
私たちの会話は交差し、止まらない。
店主のお話は面白くて、なにもかもが「未知との遭遇」だ。
もしこの時、地下街のこの通りを歩く人がいたら
8時閉店の店の8時をとうに過ぎた時刻に、
4人の人間が立ったまま、目を輝かせて話し込んでる
その横でネコが1匹小躍りしてる
そんな光景を見たことだろう
今思い出しても、あの時の店主は光速エスパーだった。
お客人と、お連れ様と、割って入った私との間を
瞬間移動して、同時に対応された。
そしていつのまにか女将が
私の横にいて、壁を眺めて話しかけてくれた
「あの字はね、残したかったの。
だから値段は変えないでって、思ったの。」
壁のメニュー短冊。
毛筆で書かれたメニューと値段。
ああ、亡くなった先代の手によるものだったんですね。
そうか! 値段を上げたらこれも書き直さないと。
短冊ごと変えたら、大切な文字が消えちゃう。
先代がお習字を
習っていたとおっしゃってましたね。
何気に眺めてたけど
とても丁寧な字
一文字一文字ゆっくりと
おぼろうどん
うめうどん
と、書かれたのだと、感じ入る。
おや?
いつから値段、変えてないんですか
東京オリンピック
コロナ下の人手不足から食料品に転嫁する値上げが始まりましたっけ
ガスと電気の高騰、
ロシアのウクライナ侵攻で小麦が、
そして国内の農産物不作、不収穫の品薄からの高値。
原材料、物流コストの上昇、円安、、
それらを超越したお店でした。
さて、いよいよ
空海さんとサヌカイトの噺です
