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0001路 何かの途中の産物を信用する

松岡正剛の千夜千冊を信用し尽くした先に、どのような世界が広がっているのでしょう?千夜千冊を読むと、説明できないものがすぐに見つかってしまういます。説明できないものを発見してしまった結果を、どうにか1夜ずつ書き進めてみようと思います。書くことがあるから書くのではない。書けそうもないことがあるから、書く。書くために、読む。

というわけで、これから早速  0001夜 『雪』中谷宇吉郎を読んで感じたことを書いてみます。


「雪は天から送られた手紙である」のなら、「千夜千冊は松岡正剛校長が世界へ降らせた雪の結晶である」のではないでしょうか?
この結晶は世界を翻弄し、圧倒し、共鳴を働きかける、まるで生命そのもののようです。

そもそも第90回感門之盟「読奏エディストリート」Day1 (2026年3月21日)に参加することがなければ、こんな壮大な謎を追いかけるnoteを作るという冒険の旅に出ることは絶対にありませんでした。これは、編集学校の「破」を修了した(ことを編集学校では「突破」という)ことを祝い合うイベントです。この場では、「千夜千冊を共読することは、松岡校長が切実にとらえていた「歴史的現在」を引き受けることだったのだ。」という原田淳子学匠のメッセージを受け、わたしは「歴史的現在」を引き受けなければと痛感したのです。

わたしは編集学校に入る前は、文章を書いては消し書いては消しの繰り返しをして、誰かに見てもらうまでに永遠に推敲を繰り返して、結局誰にも見てもらわないことを繰り返していました。途中までの成果を途中で他人に見せるなんて、ありえない。無意識のうちに、そう思っていました。でも果たしてそれで何か出来上がったことがあった?ないないない。

ところが、編集学校では途中までの成果を途中で見せることがむしろ歓迎されたのです。この学校では、半年間作文のお題が定期的に出題され、回答として自分で書いたものを提出します。するとそれを読んだ師範代と呼ばれる先生にあたる方が、わたしが書いたものに伴奏をつけてくれるのです。

あるとき、どうしても煮詰まってしまい、既定の文字数に満たないまま、不完全な原稿を提出しました。遅れて提出するよりはいいかな…と思いつつ、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。ところがそれに対して思いもしないコメントがたくさん返ってきたのです。おそらくは師範代が不完全な原稿を読んでわたしがどんな原稿を完成させたいと感じているのかを言葉にしていただいたのではないでしょうか。それを読んだ途端に、不思議と書ける、書ける。あれだけ書けなかったのが、急に書けるようになったのでした。

今思うと、不完全な原稿とは、書けると書けないの間に存在しているものと言えるのかもしれません。書けると書けないの間にあるものを、師範代が確かな言葉にしてくれたから、書けたように思います。千夜千冊『雪』で松岡校長は、メタクシュという、「中間だけにあるもの」を意味する言葉を紹介しています。雪の結晶は、降ると積もるの中間で、六角形の確固たるミクロの世界の造形美を構成していながら、積もって溶け合う形でこの世に存在しています。今はまだこの世に生まれていない完成系のようなものである、何かの途中の産物を師範代だけが言葉にしようとしてくれたのだと、今は思います。

第90回感門之盟「読奏エディストリート」は、半年間伴走してくれた師範代とのお別れの場でもありました。師範代はスピーチで、「信用してくれるものを信用する」と言っていました。わたしは、自分が書けると信じて途中の原稿を提出し、そしてそれを信じて師範代が返してくれた。わたしと師範代の中間だけにあるものが、完成形を超えた完成形を生み出す体験を新たに生み出したのです。

あなたとわたしの中間だけにあるもの、メタクシュ。晴れた春の日には見えないかもしれません。でも、この見えていない「いっとき」を追い続けたなら、きっとそこから「あなたのための一行」をきっと生み出せる。『雪』の千夜千冊を読んで、わたしはこんなメッセージを受け取ったのでした。


※「おっかけ千夜千冊ファンクラブ」こと、オツ千!にて、0001夜からあらためておっかけてくれるそうです。わたしのnoteは千夜千冊を読んでインスパイアされた体験を書くことに主眼を置いているため、必ずしも本の内容に言及しません。実際の本はこれを書いてから読むことにしており、読んだ後にまた書き直すことを想定しています。そのため、『雪』という本の内容について深く知りたい方は、オツ千!をぜひどうぞ!

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