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偏愛などない凡人だからこそ見えた偏愛

場違い?


 こんな記事を見た。

なんか賞金もでるみたいだし、凡人の自分でも参加できるかなー?

と思っていたら。

テーマは「お前の偏愛を語れ」

という事だった。


あ・・・・このテーマじゃ凡人の僕は無理だと思った。

って事で。

偏愛など僕はない、僕は色んな事をするのが好きなふつーーの凡人なので、このコンテストなんて参加できませ〜ん!

パ〜〜スです、パスパス。


ちゃんちゃん。






じゃ、つまらないので、何故偏愛などないか語ろうと思うけれども。


何故かそれを考えていたら、器用貧乏な凡人の自分だからこその偏愛が見つかったので、その偏愛について語ろうと思う。



偏愛などない

まぁ、昔なら、偏愛というものを、ゲーム、ゴルフ、料理のどれかを答えていたのかもしれない。

ゲームは、35年近くやっているし、ゴルフは15年やっていて10年近く教えていたし、料理も20年近くやっている。

 ある程度語れるだけの知識や知恵も過去の熱量もあったと思うのだが、今は熱量がない。

 そうして、自分はとても飽き性だ。
努力や根性も責任感も信頼なんてものもない。ただただ楽しいと思うものを、やるのみだ。


いや?前はそういう努力や根性や責任感や信頼というものを物凄く大切にしていたんだ。

ゲームも、ゴルフも、料理も、1日14時間とかやるなんて当たり前。

 徹夜でやってたり、他の欲を全て捨てて、それ一つに集中する。ゾーンに入る。

一つの事に没頭していた。正に偏愛というものに近かったのかもしれない。

だけども、そんなものは自分には合わないんだ。

明らかに偏愛というものは、自分には合わないんだ。

合わない事をやり続けた結果、自分を責め続けて自律神経失調症という、努力できない体になってしまった。

 35年間、努力というものが取り柄でやってきたのにも関わらず、努力が出来ない体になってしまった。

そうして、努力できない、自律神経失調症になる前より、1/10も動けない中でその後の5年間藻掻いてきたが。

だけども、そういうのは、単純に自分の本来の性能や能力がより顕著になっただけだった様に思う。

というのも飽き性なのに無理やり続けていたからだったと思う。


そもそも何故、飽き性なのか、それは、法則や原理やコツみたいなものが見えるともういいかな?と思っていた。

確かに、続ける事で見えるものもあると思うが、せいぜい10年20年くらいで、そういうのも見えてきてしまう。

色んな分野で共通するような事も見えてしまう。

そうなると、何をしても新たな発見するという知識欲の様なものが、段々と少なくなっていく。

だから飽き性なのだと思っているし、実際にそうだと思うんだけども、なんかそれも根本的に違うなとも思う。

飽きる飽きない、やるやらないとかそういう視点ではなく、ずーっと続いていったもの、もしくは固有の考えかたというのがあるはずだ。

いや?続いてしまっていたものは何か?として考えていくと、思えば昔からおかしいと思われる様な性質として、一貫していたものがあった。

それは、普通ならあり得ないと思う様なものだ。

そして、それが自分の思う偏愛だったのだ。





「短所」が偏愛

その偏愛とは、「短所」だ。

自分は「短所」が好きなのだ。

自分も、他人も、組織も、社会も、ルールも、仕組みも。

それら全ての「短所」が好きだ。




何故短所が好きか?

え?短所が好きって。長所じゃなくて短所?

って思うかもしれない。


長所ばかり皆、目が行くかもしれないが、短所こそが1番学べるものが多い。

成功よりも失敗から学ぶ事が多い様に。

長所よりも短所から学ぶ事が多い。


出来る事がより出来て最高を目指すより、出来ない事が少しでも出来る事に喜びを覚える。より成長を感じられる。

出来ないから伸び代がより見える。

逆に長所と思ったら満足してしまい動けなくなってしまう。

それに固執してしまう。

長所や短所なんてものは本来ない

そうして、みんな人の個性を見る時に、短所や長所という様に判断する。

だけども、そんなものは、実際にはない。ただの性格や性質としてしかないんだ。

長所なんてものは、その場にあったその人の性質が活かされているだけだし、活かされて無かったら短所になるだけだ。

なので、短所なんてものは、人の見方や場所しだいで長所にも変わるんだ。

ゆっくり丁寧な仕事をする人は、スピーディーな職場に合わないかもしれないが、一つ一つのレベルの高さを求められる職場には合う。

人の欠点を指摘する人は、うるさいと思われるかもしれないが、検品など最終的にチェックをするという点では優れている。

人の嫌がる事がするのが好きな人は一見、短所に写るかもしれないが、対戦スポーツや勝負事や駆け引きに向いているかもしれない。


長所なんて、ほかっておいたって好きで伸びていくんだから、短所をどうやって、良いものに育てて行くか?それが重要だと思うんだ。

そして、あえて、伸ばしたいものがあるとするならば、短所となる様な場に自ら踊り出て挑戦すれば、成長を楽しめると思うんだ。


下手の横好き

下手の横好きという言葉がある。

下手なものを探して、それをするのが好き。

そして、ある程度上手くなったら、違う下手なものに移ってしまう。

自分は正にそれだった。

幼少期から短所好き

思えば小さい時から短所のものに目が向いていた。

小学校の頃、スポーツテストというものがあった。

 体動かす事自体が好きだったので、大体のものは大体ABCとあって、A評価を取っていた。

だけども、ハンドボール投げのみCだった。

そして、中学はハンドボール部に入ったくらいだった。

まぁ、ハンドボール部は強かった部なので、補欠だったのだけども。

他人との比較との短所

みんなのやらない事をよくやっていた。こんなものは、全体としてみれば、そのもの自体が短所でしかない。

30秒で鉄棒の逆上がりが何回できるか?というものの連続記録を歴代更新した。それ自体が凄いと言われていた。

だけども、そんなのは、その分野自体がみんなやってなくて短所となる場合は、教えて貰えず手探りで上達する方法を探すしかない。

そういう過程が凄く楽しいのだ。

逆に、人気スポーツの野球やサッカーは全くやろうと思わなかった。

縄跳び、けん玉、一輪車、竹馬、ローラースケート、ペタンクなどマイナースポーツばかりやっていた。

最初から長所だと興味が失せる

そして、初っ端から、才能があるとかになって褒められていると、何故か興味が失せるという性格だった。

小学校で体操クラブに入った時に、適当にやっていたら、1日でバック転が出来るようになってしまった。

それを回りは、前代未聞だとか、凄い才能があると褒め称えたのだけども、当の本人は、そんなに狭い世界なら、面白くないなと思って興味が失せてクラブに入る事をしなかった。

勉強でも、そうだった。
算数や数学で公式を覚えただけでクラスの中で1番を取るくらい、数学や理数系は得意だった。

だけども、勉強というものが当時は全く楽しくもないし、必要そうだからやっている認識だった。

なので、何故かまだ勉強するより絵を描いている方がマシだろうと思って、高校の時に絵の道に進もうとして、高校では、実際に美術科に推薦入試で入ろうとするのだが。。。

 だけども、美術では、当時デッサンというのは、そこそこ得意ではあったのだけども、致命的なものがあった。

 それは、デザインのセンスだった。

 本当に当時は、色のデザインというのが全くの苦手でセンスがなくて、本当に赤、青、黄色の三色で、塗っていくという幼稚園レベルの絵のセンスをしていたのだ。

 まぁ、当然落ちてしまって、普通科に進学したのだけども。

でも、25年後の今では、服やインテリアなどでコーディネートするのが好きになったし、絵をまた再開したりして、今ではデザインや絵の短所と向き合って楽しんでいる。

ゲーム

ゲームも短所というものの、現実逃避だった。

ゲームは短所を補ってくれる幻想の装置なのだ。

弱い状態から、プレイし続けるだけで、レベルが上がって強くなっていく。

変わり映えしない現実という短所を、色とりどりの幻想的なストーリーで補ってくれる。

そういう体験が凄く楽しかった。

ゴルフ

ゴルフも思えば、短所ばかり伸ばしていた気がする。

そもそも、球技が苦手だった。

ゴルフも、実際に大学でゴルフ部に入った時は1番ドヘタだったし、体も1番小さかった。

だけども、毎日何時間も何百球も練習して、短所を克服してきた。

 技術的なものは結構上手く出来るようになったので、短所である体を鍛えるという事も頑張ってやっていた。

筋トレや、足腰を鍛える為に、ジムに行ったり、登山をしたりもした。

ジムで鍛えた時は、体脂肪率が0〜3%くらいになったりした時もあったし。

特に登山は景色が変わって飽きにくいから、ハマってしまい、富士山を一合目から弾丸登山した事もあるくらいだ。

そんなこんなで、自分のゴルフのプレイスタイルは、スキが無い安定したものが出来上がった。

教える事

結局、プレイヤーとしては、苦手な事を一生懸命やっていただけなので、器用貧乏の域をでなかったのだけども。

その分、役立ったのは、教える事だった。

というのも、レベルが低い所からスタートしているので、レベルの低い人達の立場や上達の仕方が分かる様になる。

色んな方法で、スランプや窮地を脱したりする方法も知っている。

後、結構怪我も多かったからこそ、怪我をしないようなスイングや方法も自分なりに確立していたし、更には、プロにも教わったり、ゴルフの本や、身体学の本なども読み漁っていたくらいだった。

そうして、教えていた時は、テレビに出ていたプロに混じって教えていても、その人達より教える力はついていたので、実績を残して継続率を上げていく事ができていたのだった。

苦手と短所

苦手と短所というのは似ている様で違う。

だけども、苦手なものは、上達速度が遅いし、体力もないし、限界というものも低い。

短所というのは、レベルの高さが低いというものなので、苦手=短所となりやすくはある。

だけども、苦手だからこそ、どうやって短所じゃなくしようと工夫する事もするし。

短所があるからこそ、能力が上がるものがあったりする。


記憶力がない

自分は本当に記憶力がなかった。

特に、英語というものが苦手で、どれだけ頑張って勉強していても赤点ばかり取っていた。

だけども、記憶力がすくないからこそ、ない中でどうするか?考える。知恵がつく。

なので、理系科目などの論理的に考える思考というのが上手くできる様になったように思う。

そうして、英語が苦手という意識も、大人になってから、海外のゲームをする事で、外人の人とチャットして、楽しむ事ができた。

 結局、覚えるなんてものは、興味が湧いたり、必要となればやろうとするだけなのかなっていう認識になった。

接客が苦手

僕は、大人になってから、20年間ほど、ほぼほぼ接客業をやっているのだけども。

本当は接客というのが元々苦手で、つまり気が使えないという短所があった。

最初は、気を使いすぎたりして、接客をすると胃が痛くなっていたり、すぐに疲れたりしていたものだった。

だけども、こういう時にはこうするという型を身につけて、直感的に行動できたり。
作業しながら、接客や気遣いする時には、作業を気を使わない、直感的にする事で、気遣いの方に意識が向く様になり、出来る様になっていった。

今では、接客が長所までとはいかないけども、苦手や短所ではなくなっている。

お金が少なくて済む

短所がないから、あまりお金使わない。

資本主義というのは、長所をお金に返還して、お金を使って短所を補うという事だと思っている。
短所がないという事は、お金を使わなくて済む。

1人暮らししていた頃は、家賃2万の所に住んで、5万くらいでやりくりしていた。

それも車を持っていて。

自立出来る

自立というものもそうだ。誰かの手を借りないとやっていけない状態は、短所がまだ残っているという事だ。依存しているという事だ。
短所がないという状態になれば1人前として認められる。1人前になれば長所を活かして協力出来るようになっていく。
逆に、短所があって、依存している状態になっていくと、それを助けてもらえる状態でないと活動できない為に、選択肢が狭まってしまう。自由ではなくなってしまう。

自律神経失調症


自分の中で、短所を考える上で1番大きかった出来事が、冒頭でも書いたこの自律神経失調症だった。

というのも、長所だったものが、短所になってしまったいう状態だったからだ。

今まででも、長所を軸にしながら、短所を補う形で短所を伸ばしていた。好きでいれた所があるのだけども。

その1番の軸であった長所が短所になってしまったのだ。

この時は本当に参ってしまった。

頭の整理が得意だったのに、頭の整理がつかない。

体動かす事が得意だったのに、体動かすのが苦手になってしまった。

感性を働かせたり直感で行動するのが得意だったのに、その感というのが全く働かない。

集中する事が得意だったのに、集中する事が全くできない。ずっとロウギアで動いている感じ。

一晩寝ればバリバリ動けて回復していたものが、3日経っても疲労が回復しない。

とにかく、動けない、気力がない、全てにおける体力がない。

努力やが得意だったのに努力ができない。

根性や忍耐力があったのに、そんな感覚すらわすれてしまった。

そんな状態が続いていた。というか、それがベースになってしまっていた。

人には、長所があるから、短所があると思うのだけども、こんな状態だと、本当に自分自身丸ごと、短所になってしまった感覚だった。

社会不適合者で生きていて回りの足を引っ張るくらいならと死にたくなった事もある。

そんな自分を認識するのも大変だったし、それ以上に回りの理解が追いつかなかったのが大変だったし、今もそれと戦っている。

そうして、丸ごと自分自身が社会的に短所となった状態でどうするか?

色んなコミュニティーや本を読み漁って、向き合っていった。

そして、5年経った今でも、直らないで寛解状態でいる。

そうして出した結論が。

出来ない前提でどうするか?

 
という事だった。

ちょっとづつでいい。できなくてもいい。少しでも短所をやっていく事だった。

自律神経失調症で色んな物事をやっていくのは、好きで得意な事で毎日14時間働いている時より大変だった様に思う。

 回りからは、どれだけ頑張っても、怠け者の様に見える。自分自身もできない自分に絶望しながらも向き合い続けていった。


頭の整理がつかないという事だったのだけども、このnoteで、内容なんてまとまっていなくていいので、ただただ内省を書くという、ほぼ毎日、文章を1000文字書く事をした。

体が動かすのが苦手になってしまったけども、一分でいいから、逆立ちや、コサックダンス等で少しでも体を動かす事をしていた。

感覚や直感が働かないという事だったけども、毎日10分、素早くデッサンしたり、いろんな色を使って絵を描く事で直感や感性を磨いていった。

寝れない、回復力がないので、銭湯で働いて長時間温泉に入ることで、回復力を上げたりしていた。

体力や気力や回復力がなくて、あまり働けないので、週に2回だけ働いた。

だけども、週に2回しか働かないという事は、週に5日休みがあるという事で、誰かが休んだ時に代わりに入れる事ができて、沢山喜ばれたりもした。

そうやって、できないなりにも、何年かかけて、少しづつ短所をする事でその事自体をするのが慣れていった。それをする事自体のコストが減っていった。

なので、今でも体力や気力は戻ってない。だけども、コストが下がって楽にやっているから、体力があるように見えているとは思う。

 実際に、2年ほど一緒に働いていた人に自律神経失調症を告白しても、健康体そうでそんな状態に見えていなかったと言っていた。

集団における短所

自分は、短所を伸ばしたり、克服するのが好きだけども、それは自分がそうするのが好きなだけで、回りの人にそうして貰いたいと思ってはいない。

 偏り続けて、長所と短所がはっきりした人がいてもいいと思っている。

パズルのピースの様に、長所と短所を人同士でカバーしあってもいいし、今では、機械やAIなどで補填しあうみたいな事も可能だと思う。

そうして、僕自身は、どんな人でも、器用貧乏な僕がその人の短所をカバーしたり、長所が活かされる立ち回りをしていけばいいと思っている。

そうして、短所を好きで見るという感覚が組織や集団となる範囲で大きくなっていくと。

人の配置を考えたり、ルールを考えたり、仕組みを作ったりして、その人の性質が短所が悪い方向に出ずに、長所として活かされる様になるにはどうするか?考える事ができる。

短所を伸ばしていったので、必要とあらば、その人の短所を見極めて、伸ばす事も出来る。

そして、組織が上手く回るというのは、長所じゃない。組織というのは、短所がなくなれば、上手く回っていくんだ。

 例えばお店でも、広告、接客、商品、値段のどれかが凄い良くっても、どれかが嫌なイメージを持たれるとお客さんは行きたくなくなる。

 そういうネックとなる短所を解消していくのが、いい流れを作っていくのに必要だ。

それは、それぞれの役割として穴が無いように、みんなの長所がより発揮されているという状態がいい流れが出来るようになっていくと思うんだ。


短所を愛する

今でも僕は飲食店で働いていて、覚えが悪いので、12歳下の女性の店長に叱られまくっている。

夜に働くと寝れなくなっている。

だけども、日々成長したいから、頑張ってやっている。

 自分に合うスタイルをやる選択肢もあるかもしれない。

だけども、短所でも向き合って、少しづつでも成長していく。

より良い方法はないか模索する。


そして、少しづつ、認められる様になった。

夜も寝れる様になってきた。


事実、その組織で認められるには、まずは、凄い光った長所より短所がない事が重要だ。

自分1人の力じゃ、たかがしれているので皆をどうやって活かせるか?大切になってくる。

人を活かす立ち回りは、自分の長所じゃないかもしれない。

だけども、組織のいい流れを作る。その為に出来る事は何なのか?

それは、組織の短所をどうやって補うか?自分を犠牲にしてでも、やれるのか?

そうする事で、全体の流れがよくなり、大きくなる。

皆が喜ぶ様になる。

回り回って予後の自分も良くなる。


そうなる循環の未来を夢見て、僕は「短所」を愛するのだ。





ああそうして、みんなの楽しくというのもあるけど、1番は自分がめちゃくちゃ楽しいんだ。

短所を伸ばす事で、色んなものを楽しさが分かる、感覚が分かる、苦しみも、成長の過程も楽しめる。

気分に合わせて、色んな事を楽しめる。

色んな方向や分野のチャンスが沢山見えてくる。

もちろん、ピンチも見えてくる。

普段にあえて余白を残す事で、ピンチを乗り切れる。

感謝もして貰える。

そして、色んな事に挑戦出来るようになっていく。

この分野をやりたいと思う。

やった上で、何が足りないか?必要とされるものと自分の能力の差分が大きいもの。

それが短所となり、細分化して少しづつ進めていけば、いずれ長所になる。

出来る事が増えれば、楽しさが広がってくる。

 一つ一つが気分転換にもなる。
 
視点が変わる、分野としての彩りが感じられる。



そうして、自分自身の人生を、色んな短所であったであろう絵の具を使って、絵が描ける様になったら楽しいだろうなという夢を見て。

短所を愛するのだ。

 

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