映画『懺悔室』が気づかせてくれた、わたしの“ちょうどいい”
ちょうどいい研究家、みほです。
子育てや暮らしの中で見つけた「中庸=ちょうどいい」のヒントを綴っています。
今回は、映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』を観て考えたことを書きます。
(※ネタバレを含みます)
映画『懺悔室』と私の気づき
物語の中で印象的だったのは、こんな呪いの言葉でした。
「娘が最高の幸せを手に入れた時に、お前に最高の絶望を味わわせてやる」
呪いを受けた男は、娘が“最高の幸せ”にたどり着かないよう、人生のあらゆる場面で邪魔をしてしまいます。
このシーンを観ながら、ふと男と自分自身を重ねていました。
子どもに“ほどほど”を押しつけてしまう自分
わたしは中庸を大事にしたいと思っています。
中庸とは、極端に偏らず、自分も相手も大切にする“ちょうどいい”バランスのこと。
けれど、子育ての場面では、無意識に「ほどほどでいい」と子どもに思い込ませている気がします。
ジュース、テレビ、ゲーム。子どもが「これが一番楽しい!」と感じている瞬間に、「健康に悪いから」「やりすぎはよくないから」と止めてしまう。
理由は立派に見えても、実際は「これ以上を望まれたら困る」という、親としての不安や都合が働いているのかもしれません。
つまり、子どもが本当に幸せを感じる瞬間に、わたしの不安で制限してしまっているのです。
わたし自身の「ほどほど」
こうした感覚は、わたし自身の生き方ともつながっています。
子どもの頃から「自分が好きにすると親が困る」とか、「友達を不快にさせるかも」と感じてきました。今で言うアダルトチルドレン的な悩みなのかもしれません。
だから「自分だけが幸せになるのは良くない」と思い込み、「ほどほど」で落ち着こうとするクセがついたんだと思います。
誰よりも上に立つと嫌われるかもしれない、孤独になるかもしれない。
そんな絶望を恐れて、「一番」を避けてしまう。
その感覚を、知らず知らず子どもにも押しつけてしまっていると気づきました。
「呪い」も「幸運」も表裏一体
映画の中では「最高の幸せは、最大の絶望を連れてくる」という言葉が語られます。
これは、まさにわたしが自分にかけている呪いのようでした。
でも同時に、「呪いも幸運も表裏一体」というセリフも登場します。
同じ出来事を経験しても、呪いだと思えば呪いになるし、幸運だと思えば幸運にもなる。
受け取る側の解釈で、変化するということ。
わたしが「子どもを不幸にしているのでは」と不安に思うこと自体も、もしかするとただの思い込みかもしれません。
おわりに
わたしはまだまだ、“ほどほど”と“ちょうどいい”の間を行ったり来たりしています。
「ほどほど」で安心してしまうわたし。
でも、本来の「中庸=ちょうどいい」は妥協ではなく、その場での最善の一点。
「一番」を避けることも、わたしの一部。
けれど、それを呪いにするのか幸せにするのかを決めるのは、わたし自身です。
そして子育てもきっと同じ。
完璧な育て方なんてなくて、親が選んだことは「呪い」にも「幸運」にもなり得ます。
それをどう受け取るかは、子ども自身の力に委ねられているのかもしれません。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
普段は、論語や中庸、そして育児の日々から“ちょうどいい”を探して書いてます。
私もまだ、ちょうどいいを探している途中。
この記録が、誰かの心を少しでも軽くできますように🪴
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