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線を引くことは、拒絶じゃなかった

以前、桜林直子さんのnote
「不機嫌禁止ルール」
という考え方に出会いました。

その中で紹介されていたのが、

「怒っている人の話は聞かないよ。
落ち着いたら、話をしよう」

という子育てのルール。

初めて読んだ時は衝撃で。

「なんて厳しいの」
「泣いている子を放っておくなんて…」

そんなふうに捉えていました。

なぜなら、
当時の私は困っていなかったからです。

第一子の息子は穏やかな性格で、
「ダメ」「もうおしまいだよ」と理由を説明すると、区切りがつけられる子でした。

自分とタイプが似ていて、何を考えているのか、
どう話せば伝わるか、見当がつきやすかった。

泣いている子供を放っておくなんて、
私にはできない。

子どもとは、根気よく説明して、
寄り添えば必ずわかってくれるものだ。

これは、違う世界の人の話なんだ

そう思っていました。

けれど、私の価値観は、
娘を産んだことで180度変わりました。


第二子の娘は、息子とは正反対で、
「ダメ」と言っても諦めない。

いくら言葉で説明しても、
感情に任せて殴る、蹴る。

暴れている時は抱っこもさせてくれない。
スーパーでねっ転がり、平気で1時間は泣き続ける。
癇癪の激しい子でした。

最初は、それでも
息子と同じ「説得する」方法で頑張っていました。

「子どもとは、根気よく説明して、
寄り添えば必ずわかってくれるもの」

そう信じていたからです。

けれど、ほぼワンオペ育児だった私は、
日々繰り返される娘の癇癪に、
どんどん追い詰められて。

気づけば私の声も強くなって、
状況は余計に悪くなるばかり。

そんなある日、ふと、
桜林さんの記事のことを思い出したんです。

途方に暮れていた私は、
試しに、使ってみることにしました。

「怒っている人の話は聞かないよ。
落ち着いたら話そうね」

そう言って、放っておくことにしました。
もちろん、危険がないように、離れて見守ります。

ただ、なだめたり、機嫌をとったり、
どうにか対処しようとする努力をやめました。

最初、娘は絶望のどん底に
突き落とされたかのように泣きました。

その姿がかつての自分と重なって、
すごく辛かった。

私は間違ったんだろうか、と思ったけれど、
そのまま、見守ることにしました。

どのくらい時間が経ったのか、
わからなくなった頃。

だんだん落ち着いてきた娘は、
やっと抱っこさせてくれました。

そして、一言。

「ママごめんね」

意外な一言にびっくりして、
私は答えました。

「いいよ、〇〇したかったんだよね」

その後娘は、ケロッとして、
何事もなかったかのように
ペラペラと話し始めました。

「〇〇したくて、泣いちゃったよ」

そのとき、気づいたことがあります。

娘が泣いているときは、
本当に、周りが見えていないんだということ。

私があれこれ言葉をかけていたのも、
火に油を注いでいたようなものだったのかもしれないこと。

娘には、説明ではなくまず
感情を落ち着かせる作業が必要だったこと。

「子どもとは、根気よく説明して、
寄り添えば必ずわかってくれるもの」

ずっと持ち続けてきた私の前提は、

「子どもには、いろいろなタイプがあって
それぞれ有効なアプローチが異なる」

にアップデートされました。


遠い世界の話だと思っていたこのルールは、
今は、私と娘の中で少しずつ馴染んできています。

怒りに任せて我を忘れやすい娘と、
相手の問題を背負いやすい私。

そんな二人のあいだに、
“ちょうどいい”距離ができた気がしています。

線を引くことは、拒絶じゃなかった。

そう、身をもって知った日。

あのとき受け入れられなかった考え方に、
今は、助けられています。

今日も、“ちょうどいい”を探してる🪴


最後まで読んでくださってありがとうございます🌿



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