中庸とは、今日のちょうどよさを探すこと
こんにちは、みほです。
中庸=ちょうどいい の視点を暮らしに取り入れています。
中庸って、よく天秤のイラストで表現されますよね。
極端に偏らず、どちらにも傾かない、“ぴたっとした中心”。

「調和した一点こそが理想の中庸」
そんなふうに語られることが多いです。
わたしも長くそういうイメージでとらえていました。
でも実際に暮らしの中で向き合っていくと、
中庸って、ただ“天秤の中心に戻ること”じゃない
と気づく場面があったんです。
今日は、その実感を書いてみます。

① よく語られる“入り口としての中庸”(戻る=静的な中心)
たとえば、わかりやすい両極が出ているとき。
がんばりすぎ ↔ やらなさすぎ
押しつけすぎ ↔ 合わせすぎ
受け取りすぎ ↔ 与えなさすぎ
こういうときは、「真ん中に戻る」という言葉が
とてもわかりやすいですよね。
わたしも、自己犠牲に偏っていた頃は
“自分も相手も大切にできる位置に戻る”
という考え方に、本当に救われました。
この真ん中に「戻る」というイメージは、
中庸を理解するための入り口として、
とても役に立つものだと思います。
② わたしが体感した“中庸の本質”(探す=動的な最適点)
でも、日常ってもっと複雑なんですよね。
感情はいくつも重なってるし、
環境や人間関係で判断が揺れるし、
そもそも“どれが極端なのか”わからない日もある。
そんなときは、
「戻るべき中心ってどこ?」
と迷子になることもあります。
わたし自身、ある時期は “自分の中心” が
わからなくなっていました。
何を大切にしたいのか、何を優先したらいいのか。
昨日はよかった選択が、今日はしんどく感じたり。
そういう「真ん中が見えない日」が続いたときに、
ようやく気づいたんです。
中庸って、ひとつの正解に戻ることじゃなくて、
ゆらゆら揺れながら“今日のちょうどよさ”を探すことなんだなって。
「今の自分にとって、いちばん息がしやすい位置ってどこ?」
その問いを持ち続ける感じのほうが、
現実のわたしたちにはずっと自然なんですよね。
アリストテレスの中庸(メソテース)も、
単なる平均点じゃなくて
その人・その状況ごとの最適点 を指します。
つまり、
“ちょうどいい”はいつも動いている。
人によっても、日によっても違う。
わたしはこの「揺れながら見つける」感覚こそが、
中庸の本質なんだと実感しています。
中庸は、自分を守るための“やわらかいヒント”
わたしは、中庸って
やさしい人が自分を犠牲にせずに生きるための
ちいさなヒントだと思っています。
自己犠牲しすぎない
でも自分だけに偏らない
自分と相手の両方を大事にできる場所を、その都度探す
特に、HSP気質の人は、
このニュアンスがきっとしっくり入ってくるはず。
普段は人のために使っている“感じ取る力”を
そっと自分のほうへ向けるだけで、
自分だけの中心がふっと見えてきます。
おわりに
揺れながらでいい。
探しながらでいい。
その過程こそが、“自分だけのまんなかを生きる”ということだから。
今日も、ちょうどいいを探してる🪴
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
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