少し早いクリスマス(の思い出)
私のスマホにはたくさんの写真がたくさんの思い出とともに残っている。iPhoneの不思議なサービスが古いこの時期の写真を私に提供してくれた。
母の亡くなる二年前の写真だった。その頃医者に「もって三か月だ」と嘘をつかれて、毎週愛知に帰っていた。兄の施設までなかなか足を伸ばす事が出来ずに二か月ぶりくらいにに兄貴と会った帰りだったと思う。
母のグループホームに寄ると少し早いクリスマスパーティーの最中であった。母も気分が良いとの事で席についていた。三か月との医者の宣告に関わらず元気な母がそこにいた。
その時、母の命が長らえたのは、なんだかこのグループホームの雰囲気が関係するように思えた。建設業の営業という職業柄、多くの介護施設を見てきた。そしてその施設の良し悪しをいつも考えて来た。その訓練の賜物か、一歩足を踏み入れた時にその施設の良し悪しはだいたいわかる。
私がその時いつも考えたのは私自身が被介護者の立場になった時にその施設に世話になる事を望むような場所なのか否かだった。
そこにつながるのはハードとしての施設の良し悪しでは無い。
トータルでの、生き物としての施設の良し悪しである。
母は恵まれていた。良い施設に巡り会え、そこで生涯の幕を下ろすことが出来た。介護者は専門科を卒業してきた若い女性が数名の他は近所の主婦の皆さんだった。手づくりを感じさせる介護だった。田舎の施設であるがもともと資質の高い方が集まったのかも知れない。でも同時に思ったのは、大きいのは経営者の思想じゃないか、ということだった。
経営者の高い意識が伝播されたのだと思った。伝播された思想のもと行なわれる手づくりの介護は母たちには家族が行なう作業よりも有り難く、気持ちも良いものであったろう。そしてそれは生きる力にもつながったであろう。
経営者の思想が末端まで行き届き良循環の出来ている施設と言えよう。
企業も同じだと思う。大企業には出来ないアットホームな雰囲気を作っている中小、零細企業がある。たいていそんな会社の経営内容は良い。しかし、経営者が変わった途端に雰囲気が変わり、経営が傾くのを見てきた。まさに組織は生き物である。
介護施設に関しては、家族が安心して介護をお願い出来て、家族は本来なすべき仕事に専念出来る、そんな施設でなければならない。そして、日本の生産力が決して落ちないように働かなければならない。ならば、我々の支出する税金も生きてくる。そんななか被介護者を含めた家族、介護者すべてが幸せの中に人生を送り、人生を全うせねばならない。
そんなことを母の介護を通してこのグループホームの皆さんに考えさせてもらった。徒労とも思えた両親、兄の看病・介護は決して無駄なことではないと教えてもらった。

