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踏切と手を振る子

カウンターに向かい一人酒を飲みながら、死んだ母さんの誕生日がまたやってくることを太郎は思い出していた。
生きていれば95歳である。今の世の中、95歳で元気に生きていてくれていてもおかしくない。元気だったら聞いてみたいことがいくつもあるのになあ、そう思い熱燗をもう1本頼んだ。

思い起こせばもう60年以上も前のことになる。年子の兄は母さんの無理な出産のために脳に障害を持った。
その日は寒い冬の日、いつも兄の通院では長い時間アルコールのにおいのこもる明るくない待合室の柔らかくないベンチに座らさせられて太郎は独りずっと同じ絵本を何度も何度もながめていた。
兄の手を引いた母さんは診察室から出てきて、笑顔無く「太郎帰るよ」と太郎の手も引いて会計に向かった。早くない午後だった。腹が減っていたが、そんなことは口に出しちゃならないことだと思い太郎は兄の手を引く母さんの後をついて社宅のアパートに向かった。
帰れば何か食べさせてくれるんだろうと思えばそうじゃない。カーテンの無い居間のこたつに足を突っ込み母さんは横になった。泣き声をかみ殺して天井を見つめていた。その異常に太郎はすべてを我慢し、同じようにこたつに足を突っ込み天井を見た。やがて日は落ち赤い夕焼けが黒々した漆黒の闇に変わった。
部屋は真っ暗になり、こたつがいつもより熱かった。こたつ布団をめくると金網で囲われたニクロム線の赤が眩しかったのを太郎はよく憶えている。そして裸足の足が汗をかき気持ちが悪かったのも憶えている。

そして急に母さんはこたつから出た。診察で疲れ切った兄を無理に起こし「太郎いくよ」と言い玄関に向かった。わけもわからずこたつのスイッチを太郎は切り、冷たくなったズック靴に足を突っ込むと汗でニュルニュルして気持ちが悪かった。

社宅を出て左に真っ直ぐ進めば名鉄本線から別れ豊川稲荷に向かう単線の支線がある。その踏切の前でしばらく、両手に兄と太郎を連れたまま母さんは立っていた。何を待っているのか、そして母さんが何を考えているのか、太郎には分かっていた。
単線の支線にはそんなに都合よく列車は来ない。でも列車はやって来た。太郎は母さんの手をギュッと握った。母さんは太郎の顔を見て、遮断機の中に入りはしなかった。

その時である。駅に近づき減速した最後部車両の窓から太郎くらいの年齢の男の子が手を振っていた。でも変な振り方だった。それは手話だったのである。その子に気がついていたならば、母さんはその頃聴覚障害のある患者さんとの付き合いがあって手話をいくらか分かっていたに違いない。
親指を立てて「ダメだ」と、両手を握り胸の前で上下して「頑張れ」と太郎たちに向かって言ってくれていたのである。
そして太郎は憶えている。その子が頭から血を流していたことを。何年か前にその踏切で無理心中をした親子がいたことをずいぶん経ってから太郎は知った。
太郎が手話の意味を知ったのはそれよりもっと後だった。

この日が母さんが兄の不治の最後通告を受けた日だったようである。ずっとそれが兄の3歳の時と聞いてきたので、太郎が2歳の冬の日の出来事だったのである。なぜかその時のことはすぐに忘れてしまい、母さんが死んでから太郎は時々思い出すようになった。
あの列車の中から私たちに向かって手を振っていた子を母さんも見ていたのかを聞いてみたかった。
今であればきっと話してくれたであろう、そう思うのであった。



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