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世に必要な悪い酒飲み

酒好きを公言もし、私の知人、友人たちは私をかなりの酒飲みだと思っている。実際、酒は嫌いじゃないが、大好きというより好きの部類に入ると自身では思う。それでも私の若い頃を知っている人間には朝からでも平気で酒を飲み、とにかく毎日二日酔いで朝から酒くさいヤツだと思われていた節がないこともない。実際若い頃はそんな感じだった。言い訳じゃないが、「酒でも飲まなきゃやってられないよ」って感じの仕事だったし、家族の健康のトラブルもかなりの心的な負担だった。でも、もう若くはない。仕事は変わり、家族は自然減し、心的な負担もかなり減った。たくさんの経験を積んで、翌日のことや飲み方による体への悪影響も考えるようにもなった。

自分で言うのもなんだが、いい酒飲みになってしまったような気がする。
「なってしまった」なんて書き方をすると、いい酒飲みが悪いように取られてしまうが、世に不要とまで思われる「悪い酒飲み」にも効用はきちんとあるのである。
繰り返す二日酔いと繰り返す反省。酒がまだ残るボワッとした頭で反省しながら考えるのである。「アア」が目覚めの一声であるが、そこから無理やり脳をフル回転させる日々を過ごしたのである。人間の脳のどれくらいを一生のうちに使うかなんて話があるが、使わずに置いている脳に鞭打って毎日仕事を考えた。そんなことは訓練次第でできるようになる。毎晩浴びるほどの酒を飲んでも人に迷惑をかけることは無かった。

同僚のなかには、「飲まなきゃどれだけ金が貯まって、どれだけ仕事ができただろうか」なんて言う奴もいたが、きっとそれは変わらないかそれ以上になることは決してなかっただろうと思う。
無駄に思える酒飲みにも意味がある。生きていて行うことすべてに無駄がないように、その行いの一つでもある無駄な酒飲みには意味があるのである。
何もしていないようであるが、しっかり学習しているのである。そして、そこで積み上がった信念は非常に、いや異様に確固たるものなのである。確固たる信念を持ち、毎日酒を飲みながらも、やる時にはやるのである。

昨日、金曜日夜の稽古で中学三年生の男子が父上の実家に帰ったと、土産を持って来てくれた。先日初段の審査を受けたばかりの15歳である。小学生時代の頼りなさをすっかり脱ぎ去っていい青年に成長した。高校受験前に弾みともなる初段である。その審査を見に来てくれたお父上といろいろ話が出来た。そして故郷高知の海の美しさと鰹の美味さを聞いたのである。
その時、当然ではあるが、私よりも年下であるお父上と話をして「ああ、俺も歳をとった」と思ったのである。
「酔鯨」を辛口と、皆は言うが私には甘みを感じることの出来るスッキリした美味い酒である。帰って遅い時間であったが、一杯だけ飲もうと封を切ったが気が付けば空になっていた。二合に満たない300ml、店で飲む2合瓶くらいだろう。翌朝に残ることなく、快適な朝を迎えることが出来たのである。
そのうちお父上と、いつの日か中三男子と一献交わしたいと思いながら、酒が飲めてよかったなと自分の酒飲みを肯定するのであった。

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