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雨の暖簾の義侠譚

雨が続く。
といってもたった三日間の雨であるが。
こんな冷たい雨の日に遠い昔を思い出す。


まだ梅雨にゃ入っちゃいねえのに梅雨寒のような日が続いてた。
あっしはまだあの頃は、河の渡しの宿屋の暖簾をやっていた。

急ぐ足を止められて、誰もがイラつきを隠すことができなかった。
外は冷たい空気が漂い、見上げる空は黒と灰が入り混ざり、なんでそこから透明の雨が落ちるのか不思議だった。
そこに、旅姿の町娘が駆け込んだ。
渡しは雨が止むまでしばらく見合わせだと聞き、仕方なく近くに一軒しかないこの宿に足を向けた。
娘は奉公先の大阪は船場北浜の薬種問屋で母親の危篤の報を受け取り、ごりょんさんに許しを乞うて実家に急いでいたのである。

外の冷たさと打って変わり、暖簾の中は行き場のないイラついた旅人たちの熱気でむせ返るようであった。
なかには仕事の出来ぬ河渡しの人足たちもいる。 
朝から酒を飲みながら博打を打ち、大声で騒ぎ、周りに迷惑をかけるのを楽しむかのようであった。
町娘は暇で堪らぬ人足たちの中に転がり込んでしまった飛んで火にいる夏の虫であった。
「おー、姉ちゃん、俺の横に座れや。ここに座って俺に酒をついでくれ。そしたら雨があがりゃ、一番に俺がお前の可愛いケツを肩に載せて渡ってやるぜ」
ゲラゲラと何日も洗ってない汚いひげ面を破顔させて娘の手を引いた。
誰もが先の成り行きを分かっていながらそれを期待するかのように、止める者はいなかった。

そこに壁に背をもたれ、大刀を肩にかけて居眠る若い浪人が口を開いた。
「やめてやれ。多勢に無勢、女子(おなご)に男。嫌がっておるではないか」
「この若造、くそ生意気に。痛い目見てえのか」
おぬしらが暇なら、拙者も暇だ。他の暇人たちは誰一人として口も開かん。
ならばお前らに暇を忘れさせてやろう。
そう言った浪人姿の若者は大刀の鯉口に指をかけ、白刃を抜くかと思いきや、小柄(こづか)を抜き取りひげ面の人足の左目に投げつけていた。
深く突き刺さった小柄は脳まで突き抜け、ひげ面は一言も無く後ろに倒れた。仲間たちは驚きつつ若者に何かを言いかけたが、「順番にあの世にいくか」との若者の冷たく低い声に「ヒエ~ッ」と骸になった男を引きずって雨の中を逃げ出して行った。

カスのような男でも、人間である。その人間の命を仕留めても平然としている男は何者であったのか。

あっしは長く暖簾をやってきた。長くやっているとたくさんの人間や人間の生き様を見ることができる。それが良いのか悪いのか。ただ、退屈はしのいでやってこれた。
長年の経験からいくと、若いがあの男は何人もの人を斬ってきた。ただ、好んで人の命を弄ぶような男じゃない。悪い男じゃないよ。理由?年寄りや女子供に邪険をするそんな人間、そんな世の中を許せぬ理由があったのだろう。
ほんのニ、三人だったが、そんな男をあっしはこの目で見てきた。
現に、あの若い男はそのあとすぐに女を促し雨の中を宿から一緒に出て行った。
「こんな宿屋に居てもいいことは決して無い。居てはそなたに迷惑をかけるであろうし、誰もが見て見ぬふりをするであろう」
そう言って女に宿の笠と蓑を借り、二人で冷たい雨の中を出て行った。

不思議だけど、その後すぐに雨は止んだよ。
二人はその二日後、河がいつもの優しさを取り戻した時に、もう一つ河下の渡しで船に乗って河を渡れたそうだ。
軒先で子を育てるツバメのおっかさんがそう教えてくれた。

人間様が生きるってのはてーへんだって、よく理解するよ。だってあっしは黙って表も裏も見てきたからねぇ。最後にゃ人間てぇのはテメーのことしか考えられねぇ動物だってことも知ってるぜ。
まぁ、こんな世だけど生まれたからにゃ、生きなきゃならねぇんだろ。頑張れよ。生きてりゃきっとそのうちいいこともあらぁな。

あのな、あの雨ん中、娘と出てった若者が二人して近いうちに帰ってくるような気がしてならねえんだ。
こんな冷たい世の中をほかっておけねえって、やってくるような気がして仕方がねえんだ。
もうあれから二百年も経ってるってのにそんな気がして仕方がねえんだよ。
とうとうこのあっしも、呆けちまったってことなのかねぇ。


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