哀愁のおでん
まだサラリーマン時代のこと、それも営業になりたての若い頃のこと。
多くの先輩、上司から帰りに酒を誘ってもらった。
この時期、年配の先輩方は皆おでん屋が好きであった。
私はおでんが嫌いではないが、好きではない。
自ら進んで金まで払って食べたいと思わないのである。
愛知県豊橋市は美味しい魚の練製品を名産としている。
職業婦人だった母は帰って食事の支度に手を抜くためにはんぺんやらちくわの類を買ってくることが多かったのである。
そしてこの時期はおでんだった。
たぶん、日本人の平均摂取量の練物はその頃すでに食べてしまっているのだろうと思う。
身体に入る練製品の許容量を満たしてしまった私は、誘われて仕方なくついて行く時には、大根、玉子、ロールキャベツを注文した。
おでん屋の雰囲気は好きである。梅田にあるたこ梅や、今はやってない難波の白蓮に連れて行ってもらった。カウンターは広くはないが落ち着き、錫のちろりで出てくる熱燗はおでんの鍋で燗をつけてくれ、機械から出てくる酒より旨いような気がした。
人を連れて行くようになり分かったが、二人で行く時にはカウンターが話がしやすい。話しにくい話は対面じゃない方がいい、面と向かってしにくい話は私もいつもカウンターだった。
店をやっている時におでんを置いた。無しで通そうと思っていたが、お客さんから置いてくれと言われた。言われれば置かないわけにはいかない。
たくさんで煮込めば美味いことは分かっていた。でも大好きでもないものを作るのは精神的な労力が大きくなる。
いつも行った鶴橋の商店街で練物屋は見つけた。スジ肉、ゆで玉子、大根、コンニャクは必須である。
まあまあ美味いおでんを作ったつもりである。みなさん美味いと言ってくれた。でも、寒けりゃ熱いものは美味いのである。あまり料理の腕が関係ないのがおでんだと思っている。
一週間出汁は残して継ぎ足した。寒かったが出汁も冷蔵庫にしまっていた。いろんな具材の味が複雑に重なって深みのある味になっていった。複雑にするために鶏つくねを入れたり手羽元や小振の玉ねぎ丸ごとをコトコトと煮つつ様子を見ながらほかの仕込みをした。
手間のかかる子どものようであった。でも、おでんには申し訳ないが好きにはなれないのである。
自分から進んで手を出さないのだが、難波や通天閣の下あたりの立ち飲み屋にある「貴方はいつからそこにいるのですか」くらい色の濃くなった大根、コンニャク、玉子は時々いただく。
これはおでんとは別モノだと思ってる。
それにオレが食べなけりゃ、コイツらこの先どうなるんだとも思っていつも箸で突いている。
おでんはなにも悪くない。おでんにゃ責任は無いんだよ。
すべては私のわがままなんだよ。
