【東大日本史 1977年 第3問】大坂の凋落と超然主義――近世から近代への転換を読み解く
「天下の台所」と呼ばれた大坂は、なぜ江戸時代後期に商業機能を衰えさせたのか。そして、大日本帝国憲法発布からわずか1年で、政府が掲げた「超然主義」はなぜ行き詰まったのか。
東大日本史1977年第3問は、一見つながりのなさそうなこの2つのテーマ――江戸後期の商品流通の変化と、明治の立憲体制の形成――を、2つの文章と5つの設問で問う一題です。指定語句を使う論述問題、人物名を問う知識問題、正誤判定問題が組み合わされた、バラエティに富んだ構成になっています。
東大受験生にとっては、近世経済史と近代政治史という別々の単元で学ぶ内容を、それぞれ独立に、かつ正確に説明できるかが試される良問です。日本史が好きな一般読者にとっても、「なぜ大坂は衰退したのか」「なぜ明治政府は超然主義を貫けなかったのか」という、時代の転換点における権力の綻びを追う面白さを味わえる設問になっています。
この記事では、現役弁護士である筆者が、法律文書の答案作成と同じ視点――「問いの要求を正確に分解し、根拠を積み上げて結論を導く」という発想――で、この設問を解きほぐしていきます。
無料パートでは、問題文の要旨と出題の意図、そして設問ごとの「読み取り」までをお渡しします。有料パートでは、資料文のどの記述をどの答案要素に対応させるかという構成メモと、字数制限を守った解答例(指定語句には下線付き)を公開します。
無料パート
1.問題文の要旨
問題文は、江戸時代と明治時代という異なる時代を扱う、2つの独立した文章から構成されています(原文は転載せず、内容を筆者の言葉で再構成しています。原文全文は各種東大過去問集などでご確認ください)。
文章1(江戸時代・大坂の商業)
大坂は「天下の台所」と呼ばれ、諸国の物産が集まり全国に販売される拠点でした。江戸が必要とする物資も大坂市場への依存度が高いものでした。ところが、1842年(天保13年)当時、大坂町奉行を務めた人物が記した文章には、諸国の百姓・町人から大坂の問屋に送られてくる商品荷物が近年著しく減少しており、それが物価上昇の一因になっている、という趣旨の指摘があります。
文章2(明治時代・立憲政治の導入)
幕末から明治初年にかけて、洋学者たちが日本に紹介した欧米諸国の立憲政治の知識は、明治政府の関係者にも影響を与え、廃藩置県後まもなく、議会設立の具体的な構想が生まれました。また、欧米諸国を視察した岩倉使節団の一行の中にも、帰国後に立憲政治の導入を提言する者が現れました。板垣退助らによる民撰議院設立建白も大きな反響を呼び、西南戦争後には自由民権運動による国会開設運動が全国的な高まりを見せます。政府はこれに対抗して主導権を握り、ドイツ諸邦の政治制度を範として憲法制定を進め、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法を発布、翌年には帝国議会を開設しました。政府は憲法発布当初「超然主義」に基づく政治運営を唱えましたが、議会開設後、この方針は次第に困難になっていきます。
設問は次の5問です(字数・条件はこちらでまとめ直したものです)。
(A) 江戸時代後期に産業が発達し商品流通が活発になったにもかかわらず、「天下の台所」である大坂の商業機能が衰えた事情を、指定語句(藩専売・株仲間・在郷商人)をすべて用いて、160字以内で説明せよ。
(B) 幕臣出身で明治政府に出仕し、日本に立憲政治を紹介した著名な洋学者を、氏名で1人挙げよ。
(C) 岩倉使節団に関する4つの説明文のうち、誤っているものがあれば番号を挙げ、誤りの理由を30字以内で述べよ。
(D) 超然主義とはどのような主張であったかを、40字以内で説明せよ。
(E) 議会開設後、超然主義に基づく政治運営が困難になったのはどのような事情によるかを、100字以内で説明せよ。
2.なぜこの問題が面白いのか(受験生向け/一般読者向け)
受験生向けに: この問題は、前半(A)が江戸時代の経済史、後半(B)~(E)が明治時代の政治史という、教科書では別々の単元で学ぶ内容を、それぞれ独立の資料文で問う構成になっています。(A)は指定語句を使った定番の因果関係論述で、3つの語句(藩専売・株仲間・在郷商人)をどの順序でどうつなげるかという答案設計力が問われます。一方、(E)は教科書に直接的な説明が少ないテーマであり、大日本帝国憲法における帝国議会の権限(法律・予算の協賛権)という制度的な知識を土台に、なぜ政府が政党の意向を無視できなかったのかを、自分の言葉で論理立てて説明する力が試されます。
一般読者向けに: 江戸時代、大坂の問屋商人たちは株仲間という同業者組合を結成し、全国から集まる物産の流通を握ることで栄えていました。ところが時代が下ると、各地に地元の商人(在郷商人)が力をつけ、大坂の問屋を経由しない取引が広がっていきます。まるで、中央集権的な流通の仕組みが、地方の実力によって徐々に切り崩されていくかのようです。一方、明治の話に目を向けると、大日本帝国憲法を発布した政府は当初、「政党の意向になど左右されない」という強気の姿勢(超然主義)を掲げていました。しかし議会が開設されるとすぐに、政府はその強気を貫けなくなります。理由は単純で、法律や予算を成立させるには議会の承認が必要だったからです。制度を作った側が、その制度自体に縛られていく――権力の側にも「思い通りにならない現実」があったことが見えてくる、味わい深い設問です。
3.設問の読み取り――何を、どの視点で問われているか
資料の使い方に入る前に、まず「設問が何を要求しているか」を正確に分解しておきましょう。
(A)の読み取り
要求は、産業発達・商品流通の活発化という一見大坂に有利な状況にもかかわらず、大坂の商業機能が衰えた「事情」の説明です。条件として、藩専売・株仲間・在郷商人という3つの指定語句をすべて使うことが求められています。この3語句はいずれも、大坂を経由しない流通ルートの拡大に関わる語句であり、語句どうしの関係(誰が、どのようにして、大坂の問屋を迂回する流れを作ったか)を整理して答案の骨格にする必要があります。
(B)の読み取り
要求は、幕臣出身で明治政府に出仕し、日本に立憲政治を紹介した洋学者の氏名です。単純な知識問題ですが、「幕臣出身」「明治政府に出仕」「立憲政治の紹介」という3つの条件をすべて満たす人物を正確に特定する必要があります。
(C)の読み取り
要求は、岩倉使節団に関する4つの説明文のうち、誤りがあればその番号と理由(30字以内)を示すことです。「誤りがあれば」という表現から、必ずしも誤りが含まれているとは限らないという体裁になっていますが、実際には歴史的事実との照合によって、誤りを含む文を特定する必要があります。判断のポイントは、使節団が具体的にどの国を訪問し、どの国にどの程度関心を示したかという事実関係です。
(D)の読み取り
要求は、超然主義という主張の内容そのものの説明です。40字という短い字数から、「何から超然としているのか」「その結果何をしようとしたのか」という主張の核心を、簡潔に言い切る必要があります。
(E)の読み取り
要求は、議会開設後に超然主義に基づく政治運営が困難になった「事情」です。100字という字数から、単に「議会ができたから」で終わらせるのではなく、帝国議会がどのような権限を持つ機関であったか、そして衆議院の勢力構成がどのような結果を招いたかという、制度と政治力学の両面から因果関係を組み立てる必要があります。
――ここから先は有料部分です――
(問いの読み取りまでは無料でお渡ししました。ここから先は、資料文のどの記述をどの答案要素に対応させるかという「構成メモ」と、字数制限を守った「解答例」を公開します。ご自身でまず組み立ててみたい方は、ここで一度手を止めて答案を書いてみることをおすすめします。)
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