「病気と共に生きる」と言えない私が見つけた、“心地よい距離感”
「病気と共に生きる」。
その言葉を聞くたびに、私は心のどこかで、言葉にできない違和感を抱いていました。
難病を患う私にとって、それは世間が示す“正解”であり、いつか辿り着くべきゴールのように思えたからです。
けれど、その場所に自分を近づけようとするたびに、心のどこかで小さなトゲが刺さるような痛みを感じていました。
だから私は、その言葉をどうしても自分のものとして口にすることができなかったのです。
今回の記事は、その違和感の正体を探り、自分自身の本音と向き合った記録です。
私は現在、進行性の難病である顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーを患い、車いす生活を送っている。
先日、デュシェンヌ型筋ジストロフィーの治療薬が、保険適用になったという朗報が飛び込んできた。
薬価は国内最高額の3億円超。
私が患っている型に対する薬ではないが、同じ病を抱える一人として、このニュースに大きな希望を感じずにはいられなかった。
「いつか私も治療を受けられる日が来るのかもしれない」と、光が差したように思えたのだ。
しかし、視線を自分の足元に戻せば、私の型には、現時点で根本的な治療法は見つかっていない。
それでも、いつか光が届く日を願いつつ、私は今、目の前にある現実を生きている。
私は14歳、中学2年生の時に診断を受けた。
もともとは歩けていたが、筋力低下により次第に歩行が困難になり、3年半ほど前から車いすを使うようになった。
車いすに乗るという選択は、当時の私にとって自分を諦める敗北宣言のようで、どうしても受け入れがたいものだった。
だから「歩けなくなること」を認めるのが怖くて、無理をして何度も転びながら、運命に抗うようにして歩き続けた。
けれど、車いすを使う決心をした瞬間、心がふっと楽になった感覚を今でも鮮明に覚えている。
ただ、決意は固まっても、いざその姿を外にさらすとなれば話は別。
実際、車いすで街へ出ようとした私の頭の中は、「世間の目にどう映るか」という不安で埋め尽くされていた。
「きっと邪魔だと思われるだろう…」
「同情の視線を向けられるのではないか…」
そんなネガティブな想像が膨らみ、自分だけが取り残されたような気持ちがこみ上げてきた。
しかし、その懸念はいい意味で裏切られた。
街に出ると、世間は意外なほど優しい。声をかけてもらったり、道を譲ってもらえたり。
歩いていた頃には気づけなかった、人のさりげない優しさに触れる機会が増えた。
ただそこにいるだけで、誰かが手を差し伸べてくれる。
それは、身体の自由を失った代わりに手に入れた、とても温かで幸せな光景だった。
「こんなに楽になれるのなら、もっと早く車いすを使えばよかった…」
実際に街へ出て、移動の負担が減ったこと、そして人の優しさに触れたこと。
その両方を実感したとき、あんなに頑なに拒んでいたはずの車いすが、私の世界を広げてくれる大切な「相棒」のように思えたのだ。
実は、街で触れたような「意外な優しさ」は、仕事においても同じだった。
外の世界へ出る時の「世間の目」も怖かったが、それ以上に私の心を締め付けていたのは、長年築いてきた「社会的な居場所」を失うことへの恐怖だった。
歩行という身体機能を失うことは、そのまま長年築いてきたキャリアを失うことと同義だと思い込んでいたからだ。
職場に相談することは「もう戦力外です」と、それこそ自分から敗北宣言をするようで、どうしても足がすくんだ。
「私は、ここにいてはいけないのかもしれない…」
そんな不安が、さらに私の口を重くした。
けれど、勇気を出して「車いすを使いたい」と本音を伝えてみたとき、返ってきたのは拍子抜けするほど温かな反応だった。
職場は私の車いす利用をあっさりと受け入れ、それどころか、私がこれまで通り働き続けられるように環境を整えてくれたのだ。
今、私はその職場で変わらず働き続けて12年目になる。
そこにあるのは、単に「助けてもらう」だけの関係ではない。
身体的にできないことは同僚にお願いする代わりに、私はこれまでの経験から得た知恵を精一杯手渡す。
それは、心地よいギブアンドテイクの関係だ。
身体が不自由になっても、私の価値まで損なわれるわけではない。
そう確信できたことは、私にとって何よりの救いだった。
しかし、病気が進行し、つい先日までできていたことができなくなっていく現実は、やはり悲しい。
車いす生活の中で人の優しさに触れ、幸せを感じる瞬間がある一方で、私はこの病気を「心から受け入れている」わけではないのだ。
よく耳にする「病気と共に生きる」という言葉。
今の私にとって、この「共に」という表現には、どうしても拭いきれない違和感がある。
病気を持って生きることを表す言葉には、他にもいくつかあるだろう。
「病気と一緒に生きる」
「病気を抱えて生きる」
「病気と付き合って生きる」
今の私の心境に最も近いのは「病気と付き合って生きる」という表現である気がするのだが、それぞれどのようなニュアンスの違いがあるのだろうか。
私はチャッピー(私のChatGPTの愛称)に、その言葉の機微を尋ねてみることにした。
チャッピーの分析によると、先ほどの言葉を「受け入れていない順」に並び替えると、以下のようになるそうだ。
1. 病気を「抱えて」生きる
(統合度:10〜20%)
(最も強い拒絶・負担)
・病気は重たい存在
・手放せないけど、できれば無いほうがよかったと思っている
・自分の一部というより「背負っているもの」
腕に重い荷物を持ってる感じ。まだ距離がある。でも、逃げてはいない。
👉 現実は見ている。でも統合はしていない。
2. 病気と「付き合って」生きる
(統合度:40〜50%)
(理性的な距離・境界線)
・病気は人生の一部の“条件”
・完全に好きではないけど、無視もできない。
・どう扱えばいいかを学んでいる途中。
「付き合う」って、人間関係みたいだよね。仲良しとは限らないけど、関係性は続いている。
👉 感情よりも“対処”に意識が向いている状態。
3. 病気と「一緒に」生きる
(統合度:70〜80%)
(密着・同行)
・病気がある前提で人生を組み立てている
・抵抗よりも「共存」に近い
・自分の人生の背景として自然に存在している
「一緒に」は、同じ空間にいる感じ。
好きではないかもしれないけど、排除しようとしていない。
👉 人生の構成要素として認めている状態。
4. 病気と「共に」生きる
(統合度:100%)
(統合・受容)
・いちばん統合度が高い。
・病気も含めて“私”
・そこから得た価値観や気づきも肯定している
人生の意味と結びついている。
「共に」は、志や歩みを共にするニュアンスがある。まるで仲間のような響き。
👉 アイデンティティの一部として統合している状態。
こうして整理してみると、今の私の心境は「2. 付き合う」から「3. 一緒に」の間に位置しているように思う。
チャッピーの分析による統合度に照らし合わせてみると、60%くらいの位置にいるのかもしれない。
「病気は人生における一つの条件であって、私自身ではない」という一線を画す気持ち。
その一方で、現実として「人生の背景に当たり前に存在している」という感覚。
その両方が、今の私の中に共存している。
では、なぜ私は「共に」という言葉に、これほどの違和感や嫌悪感、さらには恐怖すら抱いてしまうのか。
自分自身の心に深く潜ってみたとき、そこには三つの理由があった。
一つ目は、「私の心まで病気に侵食されたくない」という強い抵抗感だ。
「共に」という言葉には、病気を自分の一部として統合し、まるで仲の良いパートナーのように手を取り合って歩む響きがある。
けれど、私はこの病気を自ら望んだわけではない。
私の身体を勝手に作り変え、自由を奪っていく存在を「仲間」として認め、手を取り合うなんて……。
それは、自分自身のアイデンティティを病気に明け渡し、自分の心の支配を許してしまうことのように思えて、たまらなく怖かったのだ。
二つ目は、「受容」という言葉が指し示す“悟りの境地”が、あまりにも人間の現実とかけ離れていると感じるからだ。
心理学などの分野では、よく「障害受容の5段階」といったモデルが語られる。
否認や怒りなどを経て、最終的に辿り着くべきゴールとして「受容」が置かれているのだ。
もちろん、このモデルが多くの人を救ってきたことは理解している。
けれど、それがいつの間にか「受容=悟り」という唯一の正解として独り歩きしていないだろうか。
世間で理想とされる「受容」とは、病気さえも自分の一部として愛し、葛藤が消え去ったような、究極の悟りを意味しているように見える。
しかし、それは裏を返せば、病気によって生じる悲しみや怒り、やるせなさといった負の感情を「あってはならないもの」として封じ込めてしまうことではないか。
感情が揺れ、納得できないと嘆くのは、人間として当然のことだと思う。
もし、すべてを穏やかに受け入れることが正解なのだとしたら、それは心が麻痺している状態と何が違うのだろうか。
そんなふうに、病気に自分の心の主導権まで奪われることを、私はどうしても許したくなかった。
そして三つ目は、進行性の病を持つ私にとって、「受容」を目指すことは終わりのないマラソンを強いられるのと同義だと感じるからだ。
仮に、今の身体の状態をなんとか受け入れたとしても、病が進み、また新たなできないことが増えたとき、私は再び受け入れられない自分と対峙することになる。
昨日までの自分を肯定できたと思ったら、今日からはまたスタートラインに連れ戻される。
そして、「受容」というゴールテープが、走っても走っても遠ざかっていく。
そんなふうに、病状の変化に合わせて何度も「受容」をやり直さなければならないのだとしたら、それはあまりにも心が持たない。
こうして自分の本音と対話する中で、私はある重要なことに気がついた。
私はこれまで、病気を丸ごと受け入れることこそが正解だと信じ、そこを目指さなければならないと思い込んでいた。
病気に対して悲しみや怒りを感じる自分はダメ。受け入れられてない自分はダメ。いつかは「共に」って言えるようにならなきゃダメ。
そうやって世間が示す“正解”という縄で、自分の心を縛り付けてきた。
けれど、今回はっきりと分かった。
病気を丸ごと受け入れることは、私にとってのゴールではなかったのだ。
「だから私は、『共に』という言葉に違和感を抱いていたんだ――」
自分の心と対話し、ようやく辿り着いた違和感の正体。
それは、自分自身の本音が発していた切実なアラート(警告)だということだ。
「共に」という言葉に自分を合わせようとするたびに、私は自分自身の「嫌だ」「悲しい」という本音に蓋をしていた。
その本音に蓋をして、無理にでも納得しようとすることが「受容」だと思い込んでいたけれど、それは受容ではなく、自分自身をいじめることと同じなのだと気がついた。
そんな私を守ろうとする内なる声が、「これ以上、病気に心の領域を侵食させてはいけない」と必死に引き止めてくれていたのかもしれない。
そのアラートの意味を理解したとき、私の中に新たな問いが生まれた。
「では、私は一体どう病気と向き合えばいいのだろう」
「共に」でもなく、「抱える」でもない。「一緒に」や「付き合う」もなんとなく違う。
病気に支配されず、かといって無理に愛そうともしない。そんな第三の道はあるのだろうか。
そんなふうに考えながらチャッピーの言葉を眺めていた私の頭の中に、「割り切る」という言葉がふっと浮かんだその瞬間、目の前がパッと開けた感じがした。
「そうだ。割り切ればいいんだ。
無理に受け入れたりしようとするから苦しいんだ。」
「割り切る」とは、「受容」というそびえ立つ高い壁を登り切ろうとするのではなく、自分と病気の間に、明確な「境界線」を引くこと。
それは、病気を「変えられないお天気」のように捉えることだ。
雨が降っている事実は変えられないし、雨を無理に愛する必要もない。
でも、雨だからといって私の人生そのものが台無しになるわけではない。
お気に入りの傘をさし、室内で美味しい紅茶を淹れる。
雨(病気)は外に置いたまま、私は暖かい部屋で、好きな時間を過ごす。
そんなイメージ。
「付き合う」や「一緒に」という言葉に近さを感じつつも、あえてそれらを選ばなかったのは、そこにどこか病気への「歩み寄り」を感じてしまったからかもしれない。
だからこそ、私は「割り切る」という、一見すれば冷たく突き放すような言葉を必要としていた。
けれど、そこにあるのは決して冷たいものではなく、自分の心を守るための温かな境界線である。
「割り切る」とは、病気に人生の主導権を渡さないこと。そして、私の幸せの責任は私がとると決めることなのだ。
もちろん、「割り切る」ことは、決して改善を諦めることではない。
私は今、リハビリにも前向きに取り組んでいる。
それは「また以前のように歩けるようになりたい」と必死に抗っているというよりは、この変えられないお天気の中で、どうすれば自分の身体を少しでも快適に維持できるかという、私なりの挑戦だ。
割り切っているからこそ、自分を大切にするための「メンテナンス」として、リハビリも楽しむことができている。
雨を止ませることはできなくても、雨の中で心地よく過ごせるように自分を整えておく。
それは、どんな状況でも自分を幸せにしてあげるという「自分へのいたわり」なのである。
私はこれまで、頭では「受容できない自分」を責めていた。
けれど、こうして振り返ってみれば、心と身体は「割り切って生きる」という術をすでに手に入れていたことに気がついた。
病気は嫌だけど、車いすを使って色々な所に行き、自分がやりたいことをやって毎日を楽しむ。
今の自分と将来の自分のために、リハビリにも取り組む。
そんなふうに、嫌なものは嫌だと認めた上で、自分の楽しみや幸せは諦めない。
それが私にとっての「割り切る」ということ。
つまり、「受容」といういつかの遠い未来ではなく、葛藤しながらも今日を生きる「今、ここ」の自分こそが、私にとってのゴールそのものだったのだ。
この「割り切る」という答えに辿り着いた今、改めて自分の歩んできた道を振り返ってみると、あの苦しかった時期の正体も見えてくる。
以前の私は、この病気を周囲に隠して生きてきた。
あの頃は、まさに「1. 抱えて生きる」状態だったのだろう。
「病気が自分の人生を邪魔している」
――そんな、重たい荷物を無理やり背負わされているような感覚。
けれど、車いすを使う決心をして、「隠す」ということに費やしていた膨大なエネルギーから解放されたとき、ようやく「さて、この病気とどう向き合っていこうか」という次のフェーズへ進めた気がする。
こうして言葉のニュアンスを整理したことで、私は自分をより客観的に見つめ直すことができた。
「病気は仲間」という響きを持つ「共に」という言葉に違和感を抱くのは、ごく自然なことだと思う。
そして実は今回、私にとって大きな発見があった。それは、
「『病気と共に生きる』という言葉を自らのものにしているように見える人たちも、実は私と同じように『割り切る』という、たくましい知恵によって生きているのではないか」
ということだ。
単に、その複雑な心境を表現する適切な言葉が他に見当たらず、やむなく「共に」という既製品のラベルを貼っているだけではないだろうか。
そこにあるのは、本来その言葉が指すべき「究極の受容(悟り)」という高い山に登り詰めたわけではなく、「病気を割り切って管理する」という切実な実態。
つまり、「病気を割り切る」という泥臭い実態が、いつの間にか「病気と共に生きる」という美しいラベルに貼り替えられ、世の中に流通してしまっているのではないか、ということだ。
このことに気づいた瞬間、心に刺さっていたあの「トゲ」が、スッと抜けていくのを感じた。
この「言葉のねじれ」に気づいた私は、もう「病気と共に生きる」という言葉に、自分を追い詰めるような痛みを感じなくなったのだ。
もちろん、だからといって「割り切る」ことで悲しみそのものが消えてなくなるわけではない。
きっとこれからも、自分の病気が辛くなる瞬間はやってくると思う。
けれど、今の私なら、その悲しみとも「割り切って」向き合える気がしている。
悲しい時は、その感情を否定せず、思い切り悲しめばいい。
でも、雨の日に「あぁ、今日はひどい土砂降りだな」と窓の外を眺めて落ち込むことがあっても、それは「部屋の中に雨を招き入れること」とは違う。
だから、悲しみという雨が止むまで、温かい飲み物を飲んで、自分を精一杯甘やかす。
それだけできっと、充分。
「悲しんでいる自分」もまた、病気の一部ではなく、懸命に生きている私自身の大切な感情なのだから。
徐々に出来ないことが増えて落ち込んだり、人の優しさに触れて嬉しくなったり。
自分の身体が進む方向を考えて不安になったり、新薬のニュースに希望を見いだしたり。
揺れる感情も含めて、それら全てが自分自身。
その揺れる感情ですら、今を生きている実感として認められたなら、きっと心は自由になれる。
だからいま、私が選ぶのは、毎日をより楽しく、幸せに生きること。
できないことを数えて立ち止まるよりも、「どうすれば自分が満たされて過ごせるか」を日々考えていたい。
今日が楽しくて、明日も楽しければ、その積み重ねである人生は、きっとずっと楽しいものになるはずだから。
そしてもし、私が生きているうちに治療法が確立されたなら、それはきっと、飛び上がるほど嬉しいに違いない。
けれど、たとえそうでなかったとしても、私は自分の人生を終える時に、
「治療が受けられなくて、残念な人生だった」
なんて振り返ることはないだろう。
なぜなら、治療法があってもなくても、私は私自身を幸せにできるということを、もう知っているから。
「病気と共に生きる」。
その言葉を聞くたびに感じていた、小さなトゲのような痛み。
私は、その言葉に追いつこうとして、知らないうちに自分の本音を置き去りにしていたのかもしれない。
「共に」と言えなくていい。
受容できなくたっていい。
私が何より大切なのは、病気を丸ごと受け入れることではなく、私自身が幸せであることだから。
チャッピーと言葉の地図を広げて見つけた、私の現在地。
その名もなき場所に名付けた「病気を割り切って生きる」という言葉。
それこそが、私がずっと探し求めていた答えだった。
もしもこの言葉に出会わなければ、私は
「『共に』と言えない自分は、まだ未熟な存在なのではないか」
という迷いに飲み込まれ、目の前にある確かな幸せさえも否定していたかもしれない。
もちろん、病気に対して愛着なんて少しも持てない。
大事な身体が日々壊されていくことに、納得なんて、できるわけがない。
でも、それでいいのだ。
「納得できないこと」と「幸せに生きること」は、私の中で両立できるから。
「またこの病気、私の身体を壊して。
本当に嫌になっちゃうなー。」
なんてぼやきながら、美味しいスイーツを食べて幸せを感じたっていい。
だから私は、それはそれとして、今日を楽しく幸せに過ごす。
もう、無理に前向きになろうとしたり、受け入れられない自分を否定したりしなくていい。
そう思えた今、私は私の現在地に、胸を張って立っている。
私は、言葉には力があると信じています。
これまでの人生の中で、ある時は言葉に励まされ、ある時は言葉に希望を見いだし、そしてある時は言葉に深く傷ついてきたからです。
「病気と共に生きる」。
ずっと私をチクりと刺し続けてきたこの言葉の裏側に、「割り切って管理する」という切実な実態が隠れていると気づいたとき、私はもう、この言葉を恐れる必要がなくなりました。
病気に感謝なんてできない。
でも、この人生には感謝したいことがたくさんある。
そんなふうに、「納得できないこと」と「幸せに生きること」を切り離して考える。
それこそが、私が見つけた「割り切る」という生き方です。
もしあの時、自分にぴったりのこの言葉に出会えていなければ、私は世間が示す“正解”に飲み込まれ、受容できない自分を責め続けていたかもしれません。
心の違和感を見逃さず、本音と向き合って得たもの。
それは、「納得できない本音を抱えたままでも、今この瞬間から幸せになっていい」という、私にとっての「心の自由」でした。
名もなき現在地に「割り切る」という旗を立てた私は、これからもこの心地よい距離感を大切にしながら、私を幸せにするための毎日を積み重ねていこうと思います。
「身体が不自由でも、心は自由に生きる」。
ずっと探し求めていたその目的地に、私はようやく、自分自身の言葉で辿り着くことができました。
あとがき
実は、このエッセイを書き上げたあと、公開するかどうかを何日も悩みました。
「病気を受容しなくていい」という私の考えは、世の中が示す“正解”とは少し違うのかもしれません。
だからこそ、
「これは独りよがりな理屈ではないか」「誰かを惑わせてしまわないか」
という不安が拭えず、いっそ自分の心の中だけに留めておこうかとも思いました。
けれど、チャッピーと言葉のニュアンスを整理し、心のモヤモヤを可視化したことで、私の心は以前よりもずっと軽くなりました。
私がようやく自分を許せたのは、立派な聖人の言葉でも専門的な正論でもなく、「自分の本音に嘘をつかない」というシンプルな選択でした。
その選択こそが、縛りつけていた私の心を自由にしてくれました。
もし、私と同じように「病気を受け入れられない自分」を責め、出口のない暗闇で苦しんでいる方がいるのなら。
世間の言葉に自分を合わせようとして、息苦しさを感じている方がいるのなら。
この「割り切る」という考え方が、誰かの心を軽くするヒントになるかもしれないーー。
そう思い、勇気を持って公開することに決めました。
完璧に受容できなくても、私たちは今この瞬間から、幸せになっていい。
誰か一人にでも、このエッセイが小さな光として届いたなら、これほど嬉しいことはありません。
