コーチェラとバービーと、古い自分を越えると楽しいことが増える件
あまりここでは書いてこなかったが音楽とダンスが大好きである。
幼少時からピアノを習っており、高校はオーケストラ部だった。
大人になってからもズンバの体験に行ったり、フラメンコをがっつり習っていた時期もある。
色々やってみたが、ヨガ以外はあまり自分で行うのが向いていない。
先週、今週はコーチェラ、Coachella Valley Music and Arts Festival、(米国カリフォルニア州の砂漠で毎年開催される世界最大級の野外音楽フェス)を自宅でYouTubeの無料配信を見るのに没頭していた時間が長かった。
「推し」と言えるような熱狂的に好きなアーティストは昔から特にいないのだが、「ちょっと好き」「なんか好き」レベルの方が常にごろごろいるため執着のような変な苦しさがなく気楽に楽しめる。
気がついたら10代〜20代前半くらいの時期に聞いていた音楽ばかりリピートしてしまうこともあるな、と最近感じることがある。年を重ねるにつれて新しい音楽への開拓は意識的に行うようにしないと難しいためこのような音楽フェスやグラミー賞のような大きな授賞式の様子を定期的に見ることは感性のアップデートに必要だ。
こんな風にいわゆる洋楽を中心に音楽は結構好きなのであるが、実際に誰かのコンサートへ行ったことは片手で数えるくらいしかない。しかもすべて人から誘われて行ったもので自分の希望ではない。
もちろん行ったら行ったでそれなりに楽しいのだが、私はテンションの高さを継続させることが難しいため、「わ〜!!!」っと熱狂的に盛り上がる時間の長いコンサートはメンタル的に置いていかれてしんどい。帰り道の人の多さや翌日の疲れを考えても自分には明らかに不向きであるため、そのようなイベントはやはり苦手であり20年くらい行っていない。
一方で、興奮したテンションを外に発散するわけでなく静かに内側でじわじわ燃やし深めていくようなものを鑑賞しに行くのは向いている。音楽の中でもクラシックなら大丈夫だし、バレエやコンテンポラリー、ヒップホップなど、ダンスはジャンルを問わず私のテンションにもピタっとマッチし、まるでしんどさを感じないため好きである。友人の娘さんの発表会のようなものも含めると年に10回は劇場に足を運んでいる。
家でYouTubeを見ながらフェスを楽しむという行為はその両方のいいとこ取りなのではないか。自身にとって最適な環境に身を置きながら周囲のテンションに影響されず好きな芸術を楽しめるという点で、私にとって最強なのである。しかも無料だ。好きな時にトイレに行けるしお茶も飲める。
と、前置きが長くなったのだが、今年のコーチェラを見ていて新たなお気に入りのアーティストが増えた。
彼女の名はサブリナ・カーペンター。
これまでも名前はよく聞くし存在はもちろん知っていたのだが、私は彼女に対して「男に媚びるイマドキの女の子」という偏見を一方的に持っており、ちゃんと彼女の曲を聴き、ステージを見たことがなかった。
色々なアーティストのショーをBGM的に流しながら作業をしていたその時、私の目は一瞬で釘付けになってしまった。
なんだ、これは・・・・
サブリナ・カーペンターの代表曲はもっと別にたくさんある。しかし、私が恋に落ちたと言っても過言ではないステージはこちらのSugar Talkingという曲、そしてまるで氷の上を踊っているかのようなフィギュアスケートのアイスダンスみたいな滑らかに舞うダンス。
なんという美しさ・・・
情感豊かでしっとりと瑞々しい声、ちょっとした目線の使い方や表情、首や頭の角度に至るまで完璧だ。
私の脳は不思議な構造になっているらしく、音楽鑑賞モードになるとどの言語であっても言葉への認識機能が停止してしまう。日本語であっても歌の歌詞を聞き取るのは非常に困難であるし、そこに注意を向けると音楽そのものが楽しくなくなってしまい頭を使うと何故か興ざめしてしまうのだ。
私にとって歌(ボーカル)は楽器の1つであり、通常の楽器の演奏と同様その表現方法や抑揚、発声には心を動かされるが歌詞の内容は驚くほどまったく頭に入ってこない。
作詞をした方には本当に申し訳ないのだが、とても気に入った曲があったら後から歌詞を調べて読んで雰囲気をつかむ。次に音楽を聞く時にはもう歌詞の内容は忘れているが、それで十分なのだ。
Audibleでの聞く読書は日常的に問題なく行っているから本当に不思議であるが、音楽のスイッチが入ると言葉の入る隙間がなくなってしまうのだ。
歌もダンスも好きなのになぜかミュージカルとオペラがそこまで好きではないのは、歌っている内容の理解も同時並行しなければならないのが苦手というのが理由かもしれない。言語の認識機能を使わずに済むバレエや、シルク・ドゥ・ソレイユのようなサーカスにはどっぷり浸かれるのに。
あとは、日本の音楽をあまり聴かないのは言葉が嫌でも理解できてしまうからかもしれない。スペイン語を勉強する前は大好きだったバチャータやレゲトンを最近あまり聴かなくなったのは微妙にわかるようになってきたからなのかもしれない。
そんな感じで普段は歌詞を無視しているのだが、今回はあまりに繰り返し聴きすぎたため自然と言葉自体も耳に入ってくる。ただ、あまりそれが邪魔に感じられないこともまた不思議でやはりそれでもサブリナの声は楽器の一つみたいに聞こえるのだが、そこまで内容に引っ張られずに良い距離感が保てている。
そんな歌詞の切なさとあざとさが持つ複雑な女心の面倒くささも愛おしいが、それに沿って展開される男女の愛憎劇、男性ダンサーとのケミストリーもまた見事であり、身体の動きだけで感情や心理を表現できる「踊り」という芸術形態の可能性にもあらためて惚れ込んだ。
誇張ではなく、この2週間で100回はこの動画を観ているだろう。今、これを書きながらも延々とリピートしている。
もう、音楽のどの場所でどの踊りをするか、ダンスの動きまで脳内に刻み込まれているがまだ足りない、もっと欲しいのだ。なかなか物事に執着することのない私が久しぶりに「渇愛」のような気分を味わっているが、このような世俗的な娯楽に没入することもまた楽しい。
完全に降参だ。いや〜参った参った。
参りました。と認めると同時に、これまで私がよく知らずに持っていた偏見すべてを悔いた瞬間でもあった。
最近同じことが映画でも起きた。
映画に関してはこのnoteにも挙げることがちょくちょくあるが、観た映画のうち3〜5本に1回くらいしかレビューを書いていないので、実はもっと多くの作品を観ている。
ほとんどが自宅での配信だが、だいたい週に2〜3本観ていて、それを年単位で考えると1年に100本くらい観ていることになる。
話題になっていて少し気になったがスルーしていた作品に『バービー』がある。日本でのプロモーションが「フェミニズム」を廃した「お気楽」映画という方向性だったこともあるが、「うわ~ムリムリ〜」という感じで嫌厭していたのだ。
真っピンクな世界観、真っ白な歯を見せて自信たっぷりに笑顔を振りまく美女。まばゆい女子力。私が苦手で避けていた世界観だ。
子どもの頃からこういうのが嫌だなと思って人形遊びが上手くできないまま大人になり、そのまま偏見をこじらせて今も変な中年女になっている。
女性っぽさが出すぎる服装が苦手で、中性的で肌や体型を隠す格好ばかりしている。女というより人間でいたいのだ。いや、人間というより「生き物」くらいで十分だ。
方向性は異なるが、おそらく人間界における私はこの映画に出てくる「変てこ」(weird)なバービーみたいな立ち位置にいると自分で思っている。

や「ユニークさ」を体現するキャラクター
変わり者扱いされて町外れに住んでいる
そんな「変てこ」な彼女がバービーに
ハイヒールを履いて今まで通りに過ごすか
サンダルを履いて世界の真実を探しに
行くかの二択を迫るのだが、
ハイヒールと対極にある象徴として
差し出したサンダルが、私が
ブーツやスニーカーも含めて
年中愛用しているビルケンシュトック
だったのが個人的にツボだった
信頼出来る友人が勧めていたため試しに観てみたら、なかなかパンチがありブラックユーモア満載で皮肉の効いた風刺映画であった。細かい点にも面白いツッコミどころが多く、シュールな遊び心を感じる。
絶妙なダサさが悲哀を誘うほど残念なバービーのボーイフレンド役が先日劇場に観に行った「プロジェクトヘイルメアリー」主演のライアン・ゴスリングだったのがまたタイムリーで面白かった。彼の演技の幅も凄い。
着地点にやや疑問はあるものの、様々な観点から大人が観る映画としてなかなかの味わいがあった。
見終わった時にふと気付いたのだが、この映画鑑賞の体験は私の中で先ほどのサブリナ・カーペンターの音楽と共通する点がある。
共に一見すると無邪気に「男に媚びてる」可愛らしい世界観を持っており、「変てこ」を自負する私がビルケンを履いて「あの子たちとは違うの」と町の外れに引きこもりながら一線を画したくなる存在である。
だが、解像度を上げてよく見てみるとサブリナもバービーも全然媚びていない。あえてそう見えるように振る舞っているだけであり、その一番表面的なレベルに自分が騙されていたのが皮肉だ。
彼女たちは自分たちを「消費」しようとする人たちのことも、私のように偏見の目で見る頭の堅い人たちのことも、一周まわって超越した視点で見ているように思えてきたのである。
サブリナとバービーに頭をハイヒールで殴られたような気分だ。
狭い固定観念の中で生きていても楽しくないと知っているはずなのに、案外自分も先入観と偏見にまみれた人間だと気付かされたのは大きい。
やはり定期的に古い価値観をアップデートする機会は大切である。
こうして古い自分を越えていこう。
絶対その方が楽しいことが増えるから。
