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この一瞬すら思い出に変わっていく(ZINE書き下ろし分)

※この記事は2026年5月24日に無料公開したものと同一内容です。よって全文あとがきを含め公開しております。




一週間くらい前からようやく近所でセミの声がし始めた。ミンミンゼミだろう。アブラゼミやヒグラシにはまだ出会えていない。猛暑にやられて羽化できなくなった個体が増えてしまっているらしいとネットニュースで見かけたのを思い出す。この災害級の夏が恐ろしくなる。そして今回奇跡的に羽化できたセミたちの行く先を思った。

近所の大木の近くで一休みした時の何十匹ものセミによる大合唱。強い日射とあいまって頭がぐわんぐわんしてくるくらいの感覚が以前はあまり好きではなかった。だけどそれすらも「令和のはじまりに途絶えてしまったことだよ」「昔はこういう虫もいたんだね」「もう田舎でしか聞かない話だよね」などと言われている未来を想像すると夏なのに身震いがしてくる。

夏の風物詩のひとつであるセミの声がなくなることはやっぱり寂しいのだ。今のこの辛く苦しい環境の中でも懸命に生きようとしているセミたちよ、どうか生き延びてくれと心の中で何かが叫ぶ。


今年の夏になってからというもの、私の知っている夏が静かに崩壊しつつあるという危機感を、ずっと抱えている。だって、2025年の夏が始まったのはこれまでならまだ梅雨だと呼ばれている季節ではなかったか。夜になっても気温が三十度超えていることがしょっちゅうある。ちょっと前までは気温二十五度が熱帯夜という認識ではなかったか。その私にとっての「ちょっと前」とは一体何年くらい前のことなのか。

そんなことばかり考えていたら朝になっていた。

 


 



熱中症なりかけの時に特有の頭痛でふらふらとしながら冷蔵庫にポカリスエットを飲みに行こうとすると、その前に一つ思い出したことがあった。それは前日の夜に母が言っていた「伊藤園のミネラル麦茶を入れておいたから飲んでいいわよ」という言葉だった。特に気にしていなかったのだが、とりあえず飲んでみようかとコップにこぽこぽと注いでみる。

久しぶりの麦茶だ。他に売っている麦茶といえばコカコーラのやかんの麦茶や、サントリーのやさしい麦茶が頭に浮かぶ。試しに数年前飲んでみたことはあるが、何だかぼんやりした味というか「麦茶だなあ」という印象しか浮かんでこなかった。そもそも、麦茶自体がそこまで好きなわけではない。

かつてうちも麦茶を作って冷蔵庫に常備している家庭だった。その後冷蔵庫を買い替えた際にサイズが小さいものを選んでしまったので収納できる容量が変わり、ピッチャーを入れるスペースがなくなってしまっていた。それからずっと麦茶を飲む機会がなくなっていた。何の気なしに一口だけ口に含んでみる。

 

その瞬間、私の全細胞が「これだー!!」と叫ぶような感覚にとらわれた。麦茶はとても素朴な味であったものの、味が濃すぎずとも香ばしくて新鮮な衝撃として私には映ったのだ。それだけでなく、一瞬で脳裏に何かがよぎったような気がした。ずっとこの味を求めていたような、どんよりと濁っていた何かが浄化するような、足りなかったものがこの瞬間に補われたかのようなすっきりとした心地になった。

(何これ? 麦茶ってこんなにおいしかったっけ?)

これまで私にとって伊藤園の麦茶とは祖母の家にある飲み物という印象だった。自分で買う時にはサントリーの伊右衛門かキリンの生茶のほうじ茶味にしていた。まさかこの麦茶がこんなにおいしいものだとは思ってもみなかった。そんなことを考えながら、気が付いたらコップ三杯ほど麦茶を飲み干していた。明らかに飲みすぎである。

 

 

最近の私は何かと回顧することが多いことに気付く。お盆が近づいてきているのも関係あるのかもしれない。祖父母が元気だった頃、家族で毎年夏休みに帰省していた。その頃のことをたまに思い浮かべるのだ。祖母が作ってくれたたくさんの料理であったり、普段はそっけない祖父が連れていってくれたデパートであったり、実家に戻っていつもとは違った姿を見せる母であったりした。

これはもう絶対に訪れることのない時空だ。きっと私の中で原風景となっているものなのだろう。そのうち取り壊されるであろう祖父母の家を思った。祖母が施設に入所する際、既に何枚か写真も撮って来てある。見慣れた場所をなくす日はそれほど遠くない未来に迫ってきているのだ。


今日出かけた帰り道に人がやたらと多く、ちらほらと浴衣の人も見かけたのでどこかで花火大会があるのだと気付いた。その後に乗った電車から運よく花火が見えた時、私は思わず声を出しそうになった。スピードとともに夜空に咲く大輪の花はどんどん遠ざかっていき、電車はあっという間に暗がりの住宅街へと飲みこまれていく。それでも私は窓の外を眺め続ける。しばらく胸がどきどきしていた。

これまでも年月を経るごとにこの季節の印象は移り変わっていった。夏日が猛暑日へと悪化し、今は酷暑なんていう言葉も生まれている。日射病は熱中症に変わり、毎年死者が出てしまうくらいになっている。だけどあの麦茶の味とうるさくてたまらないくらいのセミの声と、たくさんの人が集まる花火大会と。これが私のよく知っている、私の大好きな夏なんだと思った。

終わって欲しくない、夏の風物詩なんだと。






最寄り駅に着くとむわっとした夏の空気が体を包み込む。昼間よりは幾分かましではあるが、やはりまとわりつく質感はあまり気分がよいものではない。帰ったら冷凍庫にあるアイスクリームでも食べようか。シャワーを浴びた後にロッテのクーリッシュでも飲み干したらすっきりしそうだ。

 私にとってもそうである通り、誰にとっても思い出深いものはある。きっと今のこの暑さすらも、いずれ誰かにとっての懐かしい風景へと変わっていく。令和世代は一体何をノスタルジックに語るようになるのだろうか。それを想像すると、ちょっと面白いような気がする。

なくなるものもあれば、新しく生まれるものもある。伊藤園以外の麦茶がたくさん並ぶようになったのだって、元々は猛暑でカフェインのないものが推奨されるようになった頃だったような気がするのだ。この夏を生きよう。







あとがき

このお話はまず伊藤園の麦茶への感動から生まれた作品といっても過言ではありません。そしてこの麦茶を主に飲んでいたのは祖母の家だったわけで、もうその場所には誰も住んではいないのです。否応なしに納得させられました。月日が過ぎるのは早いものだということを。

とある日に偶然出会った花火大会があまりに幻想的で美しく、夏の風物詩であることを実感してぐっときたことからこのエッセイの骨組みができあがりました。通り過ぎていく時代の流れや一生懸命生きている命の尊さなど、いろんなことを感じる方がいるのかなと思います。もしそんなことがあったのなら、とても嬉しく思います。


読んで下さってありがとうございました。



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読んで下さった方の心にぽっと灯りが残るような文章になってくれたら、と願いながら書きました。書き下ろし2作は2500文字以上とちょっと長めです。

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