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心の中にあるあの店に今でも通っている

※有料マガジンに収録したものですが、無料版なので最後まで読めます。



タンメンが食べたい。唐突にそんな衝動に襲われる。たぶん今日食べた夕食の「白菜と豚肉の塩炒め」のせいだ。これは八宝菜とほぼ同じような作り方でおいしい。味付けが八宝菜と違って塩味なので、残しておいて明日はぜひ塩ラーメンに乗せて食べたいと思う。具は少ないけど、おいしくなる気がする。あとはもうちょっと片栗粉を入れて、とろっとまとめておきたいところだ。

だけどどうしたってあの味には追いつけないだろう。

 

 

私はしばらく食べていない食べ物の味ではっきりと思い出せるものがある。食べた時に「そうそう、この味!」となるのではなく、食事中でも何でもない時に「こんな味だった」と脳内に呼び出せることだ。この感覚が他の人にもあるのかはわからないが、私がこの能力を発揮できるのは子供の頃に食べていたものが中心だ。

特にはっきりしているのは中華料理屋のタンメンだろう。そしてそのお店は既になくなってしまっている。あれから私は今でも中華料理屋やラーメン屋を訪れると、ついついタンメンを注文してしまう。

何となく日高屋の味に似ている要素があるような気がしているので食べに行くことが多いのだが、いつも「あの中華料理屋さんのが一番おいしかった」と恋しく思ってしまう。料理研究家さん達みたいに自分の舌の感覚を頼りに再現できたらいいのに。

 

 

 

よく家族で行ったお店だった。テーブル席が通路を挟んで三つずつ。個室が二つ。よくある小さな中華料理屋だったけど、夜に行くと席が埋まっているくらいには人気のお店のようだった。毎回少し薄暗い個室の席に案内される。つやつやに磨かれたテーブルの円卓は戯れに回すと怒られる。先に春巻きや餃子を頼んではつまみながら頼んだものが来るのを楽しみに待つ。

父がよく頼んでいたチャーハンは上に乗った海老がぷりぷりでとてもおいしい。だけどたまにしか分けてくれない。だからといって自分の「いつもの」を我慢する気にはなれずについついタンメンを頼んでしまう。たまに他のものを食べてみることもあったが、また戻ってしまう。不思議な引力がそこにはあるようだった。

 

冬にお冷の代わりに出されるさっぱりしているお茶もおいしかった。もちろんこのお茶の味も鮮明に覚えている。昨日飲んできたみたいに。店の中にはビールがいくつも入っている冷蔵庫があり、帰る時にはいつもペコちゃんの飴をもらった。黄色、オレンジ、緑などカラフルな色のもの。

当時は家の方針で甘いものがあまり食べられなかったこともあり、とても嬉しかったこと、接客をしてくれるおばちゃんの笑顔がいつも温かく優しかったことも印象深く心に残っている。

 

 


ところが私が高校生になった頃に突然お店は閉まってしまう。お弟子さんはいなかったのだろうかと考えてもみたが、もう二度とあのシャッターは開くことがなかった。そのうち近所に新しいラーメン屋ができていき、それらのいくつかに行ったりもした。だけどどこもあの中華料理屋には敵わなくて、あの場所にはもう行かなくなってしまった。

大人になってからいろんな有名店に行ってみたり、市販のラーメンでコラボしているものを食べたりもした。おかげで醤油系のラーメンは春木屋、味噌系のラーメンではすみれ、とんこつ系なら山頭火と大体好みは決まってきた。

しかし肝心の塩系ラーメンがどうしても決まらない。まるで亡霊のように真っ暗な海をさまよっているような気持ちになる。あれ以来私の心の中にはぽっかりと穴が空いたままで、どんなタンメンを食べても「これが一番おいしい!」とはならなくなってしまった。


今日も脳内であの味を呼び出してみる。もしかしたらこうやって鮮明に覚えているせいで上書きができないのかもしれない。前に好きだった人を忘れられないでいるみたいだ。

 いつも心の中にあの頃の喧騒が眠っている。いつまで呼び出せるのだろう。「いらっしゃいませ」と笑いかけてくれたおばちゃんにタンメンを注文し、ひたすら楽しみに待っていたあの時間がこれからもずっと続いていくような気がしている。

 

今日も焦がれた味を、なぞっていく。






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あとがき

このエピソードについては本当に幼少期の原風景のようなもので、思い出すとたまに涙が出そうになりますね。まあそんなにしんみりしてばかりもいられないので、タンメン巡りに奔走しようかと思います。ちなみに最近食べたものではすみれの塩味がおいしかったです!市販で売っている生麺のやつですが、なかなかです。


読んで下さってありがとうございました!




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