「人間ドール」第7話
中田様はいつもと変わらず、にこやかに接してくれる。
さすが中田様だ。普通の人なら、リスクを恐れて逃げ出すはず。
部屋に入り、2人きりになると、中田様は「なかなか来れなくて、不安にさせてごめんね」と私の手を握りながら言った。
私が人間ドールでなければ、涙を流して中田様に抱きついていただろう。
その私の代わりに、中田様が持っているドールの目から涙が流れている。
人間ドールとドールの感情が繋がっているのは知っていたけど、まさかドールが涙を流すなんて思わなかった。
「こんなに泣くほど不安だったんだね。もう大丈夫だから。アニは何も心配しなくて良いよ。今日、君を私の家に連れていくから」
今日、中田様の家に連れて行ってもらえる。良かった、ドールハウスLから離れる事が出来る。
ドールハウスLでは、ずっと白井さんや社長に監視されているような気がして、落ち着けなかった。
自分のマンションに帰っても、それは同じだった。
だけど、中田様の家には、社長や加藤様の監視の目は届かない。
ようやく安心することが出来る。
「アニ、君のことも、他の人間ドールのことも私が守るから。人間ドールをおもちゃ扱いする加藤さんも、社長も許すことは出来ない」
時間になると、白井さんと社長が部屋にやって来た。
「中田様、今からアニを1週間のレンタルですね。ありがとうございます。アニの世話係の田中も同行させますので、よろしくお願いします」
「わかった。社長、明日、アニのことで話がある。夜に時間を取って欲しい」
「わかりました。7時以降なら時間を取ることが出来ます。何時にされますか?」
「じゃ、8時にここにくるよ」
中田様はいつもと変わらない優しい口調で社長と話している。
社長は、まさか中田様が人間ドールを救おうとしているなんて思いもしないだろう。
社長と白井さんに見送られ、私と田中さんは中田様の車に乗り込み、中田様の家に向かっている。
「私も同行させて頂けるなんて、すごく嬉しいです」
田中さんは社長の高級車に乗って、ワクワクしている。
「アニ、いや、もう美沙さんと呼んだ方が良いかな。田中さんは社長や加藤さんのことを知っているのかい?」
「いえ、危険に巻き込みたくなくて、何も話していません」
中田様の質問に答えると、田中さんが驚いた顔になった。
「田中さんには話した方が良いと思うよ。田中さん、君も問題が解決するまで私の家にいてもらうから。心配することはないからね」
中田様が田中さんに優しく声をかけると、田中さんは「わかりました」と答えたものの、何が何だかわからないという表情で私を見ている。
私は加藤様の家で起こったことを田中さんに話した。
「えっ、そんなこと……。信じられない。まるで、映画とかで見たデスゲームじゃないですか」
田中さんが信じることが出来ないのは当たり前だと思う。
中田様が手紙を読んだだけで信じてくれたことの方が不思議だ。
「田中さん、美沙さんの言っていることは全て真実だよ。私はここ数日、加藤さんの事を調べさせていた。加藤さんが屋敷を改造して危険なゲームをしているという噂がお金持ちの間で広まっている。まさか、そのゲームがデスゲームだと思っている人は少ないと思うけど」
「そんな。美沙さんと私は本当に大丈夫なんでしょうか? 雪さんや花音さんは……、まさか、伊藤さんも殺されたんですか? 私、死にたくない」
田中さんの目には涙が浮かんでいる。
「田中さん、巻き込んでごめんなさい。だけど、私は中田様と一緒に戦ってみんなを助けたいの」
これ以上、田中さんを不安にさせないように、力強い口調で言うと、田中さんは泣きながら頷いた。
「私が人間ドールもスタッフも守るから。私にとって人間ドールは夢なんだよ。その人間ドールに危害を加えるなんて許せない。私を信じて欲しい」
中田様の家は、加藤様の家と比べても見劣りすることがない。
やはり中田様はすごい人だ、と改めて思った。
中田様が駐車場に車を停めると、すぐにお手伝いさんが3人やってきて、私と田中さんの荷物を持ってくれた。
「私はすぐに仕事に戻らなくてはいけない。彼女たちが寛《くつろ》げるようにしてあげて欲しい」
中田様がそう言うと、3人のお手伝いさんは「わかりました」と返事をした。
「中田様に全てお任せするのではなく、私も一緒に戦いたいです!」
中田様は私の頭を撫でながら、「美沙さん、この家を自分の家だと思って寛《くつろ》いで欲しい。必ず、私が加藤さんと社長の事は何とかするから。私を信じて欲しい」と言った。
中田様が信じて欲しいと言っているのに、これ以上一緒に戦わせて欲しいと言ったら、中田様に迷惑が掛かる気がして頷いた。
中田様はにっこりして、「ありがとう」と言うと、仕事に行ってしまった。
お手伝いさんが20畳ほどある女性用の可愛らしい部屋に案内してくれた。この部屋にはシングルベッドが2台置かれている。
「この部屋はご主人様が美沙様たちのためにご用意しました。どうかゆっくりして下さい。困ったことがあれば、このインターホンを押して下さい。すぐに私たちの誰かが参ります」と言って、部屋についているインターホンを指差した。
お手伝いさんたちは優しく、私たちが寛《くつろ》げるように気を遣ってくれている。
お手伝いさんたちにお礼を言うと、お手伝いさんたちは部屋を出ていった。田中さんはまだ不安そうな顔をしている。
「田中さん、中田様がなんとかしてくれます! 中田様を信じて待ちましょう」
「私、まだ信じられなくて。社長は良い人だと思っていたのに……。早く仕事を辞めて家に帰りたい。家族に心配をかけたくないんです」
田中さんが泣き出した。
「家族に電話をかけた方が良いよ。ただ、社長や加藤様のことは話さないで欲しい。話せば、今、私たちを助ける為に動いてくれている中田様に迷惑をかけることになるし、家族を不安にさせるだけだと思うから」
田中さんは頷き、すぐに家族に電話をして、今は出張中で、しばらくの間は連絡が取れないと言って、電話を切った。
「家族に電話が出来て良かったです。美沙さん、私、美沙さんと中田様を信じます。もっと詳しく話を聞かせてもらえませんか?」
田中さんは、車の中では、不安でいっぱいで話をきちんと理解出来なかったと、申し訳なさそうに言った。
私はもう一度丁寧に、社長のことや、加藤様の事を話した。
「永遠の人間ドールにするなんて、信じられない。社長だって、加藤様の目的を知っているはずなのに、人間ドールを加藤様の家に送るなんて……許せないです!」
「そうだよ。だから、中田様が人間ドールのために戦ってくれるの。中田様を信じて待とうね」
田中さんの手を握り、優しく語りかけた。
中田様の家で、私たちは快適に過ごすことが出来ている。
朝、昼、晩と、お手伝いさんがこの部屋に食事を運んでくれるし、何かして欲しいことがあれば、お手伝いさんに頼めば、すぐに対応してくれる。
ただ、私は中田様と一緒に戦いたかった。家でじっと待っているだけだと、中田様が心配で仕方がない。それでも、今は中田様を信じて待つしかない。
中田様も時間が取れる時は、ほんの少しの時間でも、私たちの部屋に来て、励ましてくれる。
今、私は人間ドールになることなく、普通の女性として過ごしている。
田中さんとは、ずっと前からの友達のような感じがして、何でも話すことが出来た。
「美沙さん、中田様、昨日の夜に来てから、もう30時間以上過ぎてるよ。中田様に何かあったって事はないよね?」
中田様の家に来てから3日目。田中さんが不安そうな顔で言った。
私も気になっていた。中田様は私たちが不安に思っているのを知っているから、少しの時間でも会いに来てくれたから。
だけど、きっと中田様は仕事以外にも、人間ドールを助ける為に戦ってくれているはず。
私達が中田様の家に来た日、中田様は夜8時に社長と会談したはず。だけど、中田様にその事を聞いても、何も教えてくれなかった。
「きっと中田様は忙しいんだよ。私たちは中田様を信じて待とうね」
「そうだと良いけど。不安で仕方がないよ。もし中田様に何かあれば私たちはきっと殺される。考えちゃダメだと分かっていても……」
田中さんが最後まで言う前に、田中さんの手を握った。
「田中さん、大丈夫だから」
「そうだね。私が考えすぎてるだけだよね」
田中さんはまだ不安そうな顔をしているけど、それ以上不安を口にする事はなかった。
中田様と会えなくなり、一日一日がとても長く感じる。
お手伝いさんに聞いたら、中田様は家にも戻っていないらしい。
こんなに長く家に戻って来なかった事は今までなかったので、お手伝いさん達も心配しているようだ。
中田様の家にきて7日目。中田様が私をレンタルした1週間が今日で終わる。結局、中田様はずっと家に戻って来ない。
その間、私も田中さんも不安で、夜はほとんど眠れなかった。不安を口にすると止まらなくなりそうで、私も田中さんも次第に無口になっていった。
私が中田様を巻き込んだせいで、もし中田様に何かあったら……、中田様が心配で仕方がない。
お昼ご飯を食べた後、田中さんの携帯に社長から電話がかかってきた。
「社長、なんて言ってた?」
「今日の夜、7時に迎えに来るって」
「中田様の事は何も聞かれなかった?」
「聞かれなかったです。中田様が人間ドールを助けるために動いていたとしたら、社長も何か知っているはずなのに。まさか、社長と加藤様が中田様を殺したなんて事はないですよね?」
田中さんの声が徐々に大きくなっている。私は慌てて、田中さんの口を手で押さえた。
「こんな話を聞かれたら大変なことになるから」
田中さんの耳元で囁《ささや》くと、田中さんはしまったという顔になり、黙った。
「中田様は日本の大企業のTOPだよ。いくら加藤様といえど、さすがに中田様を殺すなんて出来ないと思う」
声を落として、田中さんの耳元で言う。
「そうですよね。中田様を殺すなんて出来るはずないですよね。じゃ、中田様はどこにいるんでしょう?」
「わからない。もしかしたら、加藤様の家か、社長の部屋で監禁されているかもしれない。だけど、それなら中田様が行方不明だとテレビでニュースになっているはず。テレビを見ていたけど、そんなニュースはなかった。
だから、きっと中田様は忙しくて帰って来れないだけだよ」
「どんなに忙しくても、連絡くらい出来るはずです。美沙さん、中田様の電話番号はお手伝いさんに聞けばわかりますよね? 私、 中田様に電話をかけてみます」
普段なら忙しい中田様にプライベートな電話をかけるなんてしない。だけど、今、連絡を取らないと、中田様に会えないまま、ドールハウスLに帰されてしまう。
「そうだね」
お手伝いさんに中田様と連絡が取りたいと話すと、お手伝いさんが中田様のプライベート用の携帯電話の番号を教えてくれた。
田中さんがすぐに電話をかけたけど、呼び出し音が流れるだけで、中田様が出る事はなかった。
「ご主人様は、仕事中は携帯はマナーモードにしているはずなので、休憩の時にでも連絡があると思います」
「そうですよね」
お手伝いさんの言うことはもっともなのに、不安しか感じない。
「中田様は家に戻らない時は連絡がないのですか? 中田様の予定を把握している人と連絡を取ることは出来ませんか?」
私が焦っているのがお手伝いさんにも伝わったと思う。
「いつもなら1日1回は連絡がありますが、最近連絡がありません。私たちも気にはなっていたのですが、仕事が忙しいからだと思っていました。ちょっと待っていて下さい。みんなにも確認してきます」
お手伝いさんはそう言うと、慌てて部屋から出て行った。
「やっぱり中田様は加藤様に……私たち、これからどうしたら……会社から迎えが来たら、帰らない訳にはいかない。そして、殺される」
田中さんが泣きながら、壁を叩いている。
こんな状況になることは中田様も気づくはず。それなのに、連絡がこないということは、中田様に何かあったに決まってる。
「逃げようか?」
田中さんに声をかけた。
「逃げるってどこに? 絶対に捕まって殺される」
田中さんはパニックになっている。
どうしたらいい? 私が決めないと。
今、逃げたとしても、加藤様は絶対に私たちを捕まえるだろう。加藤様に捕まれば最後、殺されるに違いない。
それなら、事情を話して、田中さんだけでも、中田様の家で匿《かくま》ってもらう事は出来ないだろうか?
たとえ加藤様が中田様を捕まえたとしても、さすがに加藤様が中田様を殺す事はないだろう。
中田様の家の人も、中田様が私たちを守る為に家においている事はわかっているはず。
頼んでみようか?
加藤様は私たちが中田様の家にいる事を知っている。もし中田様の家で匿《かくま》ってもらえば、中田様の家の人たちにも迷惑がかかるかもしれない。
だけど、いくら加藤様でも、さすがに中田様の家の人たちに手を出す事は出来ないだろう。
パニック状態の田中さんを連れて、中田様の家を出るより良いに決まっている。
「田中さん、私、お手伝いさんに事情を話して、中田様の家族に田中さんを匿《かくま》ってもらえるように頼んでみるよ」
「中田様が行方不明なのに、中田様の家族が私たちを助けてくれるはずがないよ。人間ドールのレンタル期間が切れたんだから返さないと違反になるんだから。それに、もし匿ってもらえるとしても、私だけなんて嫌、美沙さんも一緒じゃないと」
田中さんが泣きながら、強い口調で言った。
「人間ドールの私を匿えば、田中様の家族まで危険に巻き込んでしまうかもしれない、でも、田中さんだけなら大丈夫。私、頼んでみる。もしダメなら、2人で逃げて警察に助けを求めよう」
田中さんは返事をしなかったけど、私はすぐにお手伝いさんを呼び、事情を説明して中田様の家族に伝えてもらうように頼んだ。
「今、会社に連絡をしてみましたが、やはり社長とは連絡が取れていないそうです。わかりました。すぐに社長の奥様に伝えます」
お手伝いさんは、中田様が私たちを守るために、自分の家に招待したのだと気づいているのだろう。
すぐに部屋を出て、奥様を呼びに行った。
少しすると、お手伝いさんが、中田様のご両親と奥様と思われる3人を連れて戻ってきた。
「話は聞きました。息子がいれば、あなた達を渡す事はしないと思います。あなた達を引き取りに来たら、私があなた達が逃げたと伝えておきます。あなた達は息子が見つかるまでここにいていいのよ」
中田様のお母様は、私と田中さんの手を握りながら、優しい口調で言った。
「ありがとうございます、でも、私がいれば中田家の皆さんを危険に巻き込んでしまいます、田中さんだけ匿って頂きたいです」
「それはダメよ。息子が帰ってきたら叱られるわ。2人ともここにいて」
中田様のお母様は有無を言わせぬ口調を言った。
私と田中さんは頭を下げ、お礼を言う。
私と田中さんは中田家で匿ってもらえる事になった。だけど、まだ中田様は行方不明なのだ。
このまま、中田家で匿《かくま》ってもらっているだけでは何も解決しない。
中田様のご両親は、中田様が行方不明で心配で堪らないはずなのに、私たちの心配までしてくれる。感謝しかない。
少ししてから、中田様のご両親が部屋を出ると、この部屋には私たちと中田様の奥様だけになった。
中田様の両親がいる間は、大人しくしていた奥様の表情が急変した。
「あなた達のせいで、旦那が行方不明になったのよ! どうしてくれるの!
何が匿《かくま》って下さいよ。ふざけるんじゃないわよ! うちの旦那を返してよ!」
般若のような表情で、私を怒鳴りつける。
「大体、人間ドールなんてものを趣味にするから、こんなことになるのよ! マスコミに旦那が行方不明なことを知られるのも、時間の問題だわ。あなた達を返せば旦那は戻してもらえるんでしょ? 人間ドールなんて怪しげなものになったあなたが悪いのよ。自分の身は自分で守りなさい」
さっき、中田様のご両親がここにいても良いと言って下さったばかりなのに。
奥様は私を憎んでいる?
このままじゃドールハウスLに連れ戻されてしまう。そんな事になれば、私だけじゃなく、田中さんまで殺される。
逃げなくちゃ。
「申し訳ありません。匿《かくま》って欲しいなんて言いません。ここから逃して下さい」
私は必死で奥様に頼んだ。
「ダメよ。逃したりしたら、旦那が帰ってこないわ」
「私たちをドールハウスLに戻しても、中田様は戻してもらえないかもしれません。それより戦いたいです。奥様、協力して下さい。加藤様も、中田様を誘拐したなんて、世間に知られたくないはずです。奥様の協力があれば、きっと中田様も解放してもらえます」
必死で捲《まく》し立てると、「そんか言葉に騙《だまさ》れないわ。牧野、入ってきなさい」
奥様がドアの方に向かって声をかけると、すぐに体格の良い男が入ってきた。
「牧野、迎えが来るまでこの人たちを逃さないで」
「奥様、わかりました」
奥様は牧野さんに命令をすると、部屋から出ていってしまった。
「牧野さん、お願いします。逃してください。ドールハウスLに戻れば殺されます」
牧野さんに頼むしかない。わずかな願いを込めて、牧野さんに頭を下げながら懇願した。
「私は奥様の命令に従うのみです」
「中田様が解放された時、私たちをドールハウスLに戻したと知れば、中田様は奥様を許さないと思います。それでもですか?」
「もちろんです。私は奥様の部下ですから」
ダメだ。牧野さんは奥様の言うことしか聞かない。
時計を見ると、ドールハウスLからの迎えがくるまで、もう30分程しかない。
どうしたら……。
とりあえず、田中さんと今後の事を話し合わなくてはいけない。
それには、牧野さんにこの部屋から出て行ってもらわなくては。
「わかりました。ドールハウスLに戻ります。着替えたいので部屋から出て行ってください。あと、準備を手伝ってもらいたいので、お手伝いさんを呼んで下さい」
「わかりました。私はドアの前で待たせてもらいます。もし窓から逃げようと考えているなら、窓の下には防犯のためにドーベルマンがいますので無駄ですよ」
牧野さんが窓を開けて見せた。
「逃げません。私はドールハウスLに戻って戦います」
私が強い口調で言うと、牧野さんは頭を下げて、部屋から出て行った。
「美沙さん、私たち、ドールハウスLに戻るしかないの? 死にたくない。どうしたらいいの?」
田中さんはまだパニックになっている。そんな田中さんの手を握り、「迎えの車に乗る振りをして逃げましょう。ここは高級住宅街だから、隠れる場所はきっとある。逃げながら警察を探して助けを求めるの」
「逃げるなんて本当に出来るの?」
「出来るよ。迎えの車に乗ればいずれ殺される。だから、逃げるしかないの。警察に保護してもらえば必ず助かる。警察に真実を話して、社長と加藤様を逮捕してもらおう」
田中さんは苦しそうな表情になったけど、すぐに「わかった」と言ってくれた。
中田様が帰ってきた時、ほめて欲しくて、毎日ドレスを着ていたけど、このドレスで逃げるのは難しい。
カジュアルなパンツルックに着替える。これなら誰かが追いかけてきても、逃げることが出来る。
着替え終わった時、お手伝いさん2人が部屋に入ってきた。
パンツルックの私に驚いているようだ。
「牧野さんから電話で呼び出されたのですが何かあったのですか? 牧野さんが怖い顔をしてドアの外に立っています」
お手伝いさん達が心配そうに尋ねてきた。
「中田様のご両親は私たちを匿《かくま》って下さるっておっしゃってくれたのだけど、奥様が反対されて、戻ることになったの。牧野さんは私たちが逃げないように見張っているのよ」
私が説明すると、お手伝いさん達は驚いた顔になった。
「美沙さんたちをこのまま返せば、私たちが旦那様に怒られます。私、牧野さんと話し合ってきます」
お手伝いさんはすぐにも牧野さんのところに行きそうだ。
「牧野さんが私たちを匿《かくま》いたくても、奥様の命令だから無理よ。奥様の不安な気持ちもわかるから、逆らうわけにはいかないわ。だから、迎えの車に乗る振りをして逃げようと思ってる。逃げた後、情報を知りたいの。田中さんの携帯を持って逃げれば、すぐに居場所がバレてしまう。すみません、私達が逃げている間、携帯を貸してもらえませんか」
個人情報が入っている携帯を借りるなんてしてはいけない事はわかっている。だけど、情報が取れなければ、すぐに捕まってしまう。
お手伝いさんに頭を下げると、「わかりました。私の携帯をどうぞ」と言って、お手伝いさんがポケットから携帯を出し、私の手に乗せてくれた。
もし奥さまに私たちに協力した事がバレたら、どんな目に合うかわからないのに、私たちの為に協力してくれる事が嬉しくて涙が出てきた。
「ありがとう。本当にありがとう。無事に警察に保護してもらえたら、すぐに返すから」
「大丈夫です。私が携帯が必要な時は、山下さんに借りますから」
お手伝いさんは隣にいる山下さんに笑顔を向けると、「もちろんです。中浜さんの事は私が守りますから大丈夫です」
こんなに助けてもらっているのに、私はお手伝いさんの名前さえ覚えていなかった。中浜さん、山下さん、2人の親切は忘れない。
バッグの中に、中浜さんから借りた携帯を入れ、ここから出る準備をする。ちょうどその時、牧野さんがドアを開けて、部屋に入ってきた。
「お迎えがきました。すぐに部屋を出て下さい」
私と田中さんは疑われないように、諦めた振りをして、牧野さんの後をついて、玄関を出て、車に向かった。
「美沙さん、田中さん、お久しぶりです。社長がお2人が帰ってくるのを、ドールハウスLで楽しみに待っていらっしゃいます。さあ、どうぞ」
車から降りてきた白井さんがそう言って、後部座席のドアを開けた。
私は田中さんに目で合図をして、2人で門に向かって走り出す。
「待ちなさい!」
牧野さんと白井さんの声が聞こえてきた。
捕まれば殺される。私たちは必死で走り門を出た。
どこかに隠れないと、追いつかれる訳にはいかない。
この辺りは大邸宅が並んでいる。きっとどこも警備は厳重で、私たちが入れば警報音が鳴るはず。
どこに隠れれば良い?
走りながら、隠れる場所を探していると、「こっちです」と、大邸宅の裏口から、お手伝いさんらしき人が私たちに声をかけてくれた。
この人が敵か味方かわからない。だけど、信じるしかない。
私たちが裏口から中に入ると、お手伝いさんは裏口のドアを閉めた。
「私は近藤です。お手伝い仲間の山下さんから連絡をもらいました。とりあえず、女性の2人組を見つけたら匿《かくま》ってあげてと言われたんです」
心の中で山下さんに感謝した。
近藤さんは私たちを自分の部屋に案内してくれて、ここで待っている様に言い、仕事に戻っていった。
「山下さんのおかげですね。良かった。もうダメかと思いました」
田中さんの目が潤《うる》んでいる。
「きっと私たちは助かる! 田中さん、気を強く持って頑張りましょう」
「はい。助かる気がしてきました」
近藤さんの部屋は白で統一された可愛らしい部屋だ。だけど狭い。夜この部屋で3人で寝るなんて出来そうにない。
「美沙さん、もしこの家のご主人が、近藤さんが私たちを匿《かくま》ってくれている事を知ればどうなるのかな? ご主人もいい人とは限らないよね」
しばらくすると、田中さんは不安を口にした。
「この部屋に居れば大丈夫だよ。だから、絶対に他の人に見つからないように、静かにしようね。今はこの部屋にいる方が、外を逃げ回るよりずっとリスクが少ない。ただ、近藤さんに迷惑ががかからない様に、少ししたら出て行こうね」
私がそう言うと、田中さんは頷いてくれた。
牧野さんや白井さんが必死に私たちを探している。それでも、1時間もすれば、この辺にはいないと判断するはず。そこで一旦捜索を打ち切ってくれたら良いけど、私たちがいなくなったと報告すれば、牧野さんはともかく、白井さんは身が危なくなりそう。きっと私たちを見つけるまで帰らない気がする。
白井さんと私たちの根比べゲームのようだ。
しばらくすると、この家のインターホンが鳴った。田中さんと目を合わせて、2人で聞き耳を立てる。
玄関に走っていく音は聞こえたけど、玄関での話の内容までは聞こえない。
牧野さんと白井さんだろうか? もしかして一軒一軒私たちを見なかったか聞き回っている?
田中さんも同じことを考えているのだろう。手が震えている。
「大丈夫。近藤さんがなんとかしてくれる」
加藤さんの力がどんなに強くても、確証もないのに、他人の家に勝手に入るなんて出来るはずがない。
少しすると、玄関からこっちに向かう足音が聞こえてきたけど、そのまま足音は遠ざかっていった。
「良かった」
田中さんが泣きそうな顔をしている。
「うん。今の人が白井さんかどうかわからないけど、きっともう大丈夫だね」
加藤様の家でのデスゲームの時も怖かったけど、今も心臓がバクバクしている。
「次に近藤さんがこの部屋に来たら、警察署の場所を聞いて、ここを出ようか? その頃には牧野さんや白井さんもこの周辺にはいないと思う」
「もし白井さんに見つかったら? 私、怖くて仕方がないんです」
「私も怖いよ。だけど警察に行かなくちゃ。田中さんは私が警察に行く間、ここにいさせてもらったらどうかな?」
「1人になるのは嫌です、私も一緒に行きます」
田中さんが目をこすりながら、ぼそっと言った。
近藤さんが部屋に戻ってきたのは、部屋を出て行ってから1時間後の事だった。
「遅くなってすみません。落ち着かれましたか?」
近藤さんは私たちに心配そうな顔を向ける。
「はい。色々ありがとうございました。ただ、私たちがここにいては迷惑がかかるので、警察に保護してもらおうと思っています。
ここから1番近い警察署を教えてもらえませんか?」
私がそう話すと、近藤さんは困った顔になった。
「お2人がここを出れば、私が山下さんに怒られます。山下さんから連絡があるまで、ここにいて下さい」
近藤さんに頭を下げられると、私たちが勝手なことは出来ない気がした。だけど……。
「もし、この家のご主人にバレたら、近藤さんまで怒られるのではないですか? 私たちのせいで、近藤さんに迷惑をかける訳にはいきません」
「ご主人様は確かに厳しい方ですが、私の部屋にいたらバレることはありませんよ」
「すみません。私達はどうしても警察に行かなくちゃいけないんです。さすがに白井さんたちももうこの近くにはいないと思いますし」
はっきりと言うと、近藤さんは頷いてくれた。
「わかりました。警察署までの地図を書きますね。無事に警察署に着くことを祈っています」
近藤さんはすぐ、最寄りの警察署の地図を書いてくれた。
「ちょっと偵察してきますね。もし安全そうなら、手で合図をしますか窓から見ててください。じゃ、外に出ますね」
近藤さんはとてもしっかりしている。本当は安全の為に田中さんはここにいて欲しいけど、田中さんが一緒に行くという以上仕方がない。
窓から近藤さんを見ていると、近藤さんが後ろを振り向いて指で○を作った。
私と田中さんは音を立てない様に部屋を出て、玄関に向かう。
「気をつけて下さい。無事に保護されることを祈っています」
近藤さんは最後まで礼儀正しい人。感謝を込めて頭を下げた。
田中さんと手を繋ぎ、隠れながら移動する。
広い道路は静かで、追っ手が私たちを探している様子はない。
「警察署まで30分くらいですよね?」
「そうね、でも、隠れながら行くから、もう少しかかるかも。あっ、私、山下さん達にメールするの忘れてた。今からメールするから、少し待ってね」
山下さん達のおかげで逃げることが出来たのに、私ったら。
中浜さんに借りた携帯から、山下さんの携帯に、メールでお礼と今から警察署に向かうことを伝える。
すぐに、『気をつけて下さい。何かあればすぐに連絡して下さいね』と返信があった。
「警察署に着くまで頑張ろうね」
白井さんから社長や加藤様にも、私たちが逃げた事は伝わっているはずなのに、追っ手が来てないことに違和感を覚えながらも、警察署に向かって進む。
「もうダメ。疲れました。ちょっと休憩しませんか?」
田中さんの手を握りながら私のペースで走っていたからか、田中さんが立ち止まってしまった。
本当は休憩なんてしないで、少しでも早く警察署に向かいたい。だけど、ここで無理をして田中さんが倒れたら、もっと大変なことになる。
「そうだね、少しだけ休憩しよう」
幸い近くに木が生い茂っている公園があったので、公園まで移動してベンチに座った。
「誰も追いかけて来てませんね。美沙さんの話を聞いていたら、社長や加藤様は私たちを殺す気なんじゃないかと思ったけど、さすがにそこまでする気はなさそうですね」
「安心するのは早いわ。無事に警察署につくまで気を張っていないと危険よ」
デスゲームに参加した私は社長や加藤様の怖さは身に染みているけど、私の話を聞いただけの田中さんは、恐怖が少し薄らいだみたいだ。
「そうですね。少し休んだら警察署まで頑張って走ります」
田中さんがパニックになってないのは良いけど、気の緩みは怖い。
10分ほど公園で休憩した後、田中さんに「そろそろ行きましょう」と声をかけた。
「わかりました。後10分もあれば着きそうですね。警察に保護してもらえれば、もう誰も私たちに手出しは出来ませんね。中田様を警察が探してくれて、社長と加藤様が逮捕されれば一件落着!」
田中さんが笑顔で言う。
「そう簡単にいくかな。あの加藤様だよ? 田中さん、警察署に着くまで気を抜かないでね」
私の方が神経質になりすぎているのだろうか? そんな事はない。加藤様は政界を裏で牛耳っている。そんな人から見たら、私たちなんて、赤ちゃんみたいなもの。警察に保護してもらえるまでは気を張っていなければ、捕まってしまう。
「もちろんです。じゃ、いきましょう」
田中さんはもうすぐ警察署に着くと思っているのか、明るい声だ。
「そうだね。頑張ろう」
公園を出て住宅街を通りながら、警察署に向かって、ひたすら走る。
「あそこですね! やっと着きました」
何事もなく、警察署に着いたことが嬉しくて田中さんと手を取り合った。
「じゃ、行きましょう」
田中さんが張り切って私の手を引っ張った時、警察署の駐車場に目がいった。
駐車場には、沢山の車に混じって、3台の同じ黒の高級車が並んでいる。
「田中さん、待って」
「えっ、どうしたの?」
田中さんは振り返って、私の顔を見た。
「あそこを見て。黒の高級車が3台並んでる。加藤様が来ているんじゃないかな」
高級車を指差しながら言うと、田中さんは「美沙さん、考えすぎじゃないですか? 同じ高級車が並んでいるなんて、よくある事だと思いますけど」と言った。
「確かにそうかもしれないけど、もし中に加藤様がいたら、私達は終わりだよ。しばらく隠れて様子を見るか、もっと遠くに逃げよう」
心配しすぎかもしれない。だけど、加藤様が警察署にいるということは、加藤様と警察が繋がっているという事。
何も考えずに中に入るのは危険すぎる。
「わかりました。あの車が加藤様のものじゃなければ良いんですね。しばらくここで監視しましょう。加藤様の車じゃないとわかれば、すぐに中に入って、警察に保護してもらったら良いですよね」
田中さんは、私の考えすぎだと思っているようだ。だけど、用心には用心を重ねないと、捕まれば後はない。
「わかったわ。じゃ、死角になるあそこで、出てくる人をチェックしましょう」
私たちがここにいる事がバレてはいけない。あの車が加藤様のものだとわかれば、すぐに逃げられる場所から、監視する事にした。
半時間が過ぎた、人の出入りは沢山あるものの、まだ3台の高級車に近づく人はいない。
「本当に加藤様の車なのかな? いくら加藤様でも、警察に直接手を回すなんて出来ないと思うけど」
田中さんは早く警察に保護してもらいたくて仕方がないようだ。
「田中さんはデスゲームを見てないから、そんな風に思えるんだよ。加藤様にとって、人を殺すなんて簡単なこと。お願い、加藤様じゃないとわかるまで、ここにいて」
田中さんに動かないように、懇願した。
「わかりました。美沙さんの勘を信じます」
田中さんは素直に頷いてくれた。田中さんのこういうところが好き。
1時間が過ぎても、3台の高級車はそのままだ。
「ずっと見張っているのって、結構大変ですね。足が痛くなってきました。ちょっとここを離れて休みませんか」
田中さんが足をさすりながら言った時、警察署の中から、見た事がある男性が出てきた。
「田中さん、あの人、加藤様の家で見たことがある」
男性を指差しながら、小声で言った。
「えっ、本当ですか?」
「うん、間違いないよ。加藤様たちに気づかれないうちに逃げよう」
私の言葉に、田中さんは驚いた顔をしながらも、「わかりました」と頷いた。
バレないように、静かにこの場から離れようとした時、「あそこだ」と言う男性の声が聞こえてきた。
気づかれた。捕まれば殺される。
私達は後ろを振り返る事なく、全速力で住宅の中を走った。
10分も走ると息切れしてしまい、はぁはぁ言いながら、住宅の壁に手をつき、しゃがみ込んだ。
後ろを振り返ったけど、誰もいない。良かった、とりあえず追っ手は撒けたみたい。
ホッとすると同時に、田中さんがいない事に気づいた。
途中までは田中さんは私の後について走っていたはず。私は自分の事で精一杯で田中さんの事を気にする余裕がなかった。
田中さんも無事に逃げていますようにと、心の中で祈る。
いつまでもここにいれば、いずれ加藤様の追っ手に捕まってしまう。少しでも遠くに逃げなければ。
携帯で、ここから近い警察署を探すと、15キロ先にある。
走る気力はないので、早歩きで警察署を目指そう。
さすがに加藤様が近隣の警察署全てに手を回しているはずはないよね?
日が暮れるまでに警察に保護してもらいたいのに、歩いても歩いても、警察署までなかなか距離が縮まらない。
足が痛くなり、ただ歩くことさえ厳しくなっている。
どこかの家に声をかけて、休ませてもらおうか?
でも、もし加藤様の手が回っていたら、そう思うと、怖くて玄関のインターホンを押す事が出来ない。
自分でも気付かぬうちに、気が緩んで辺りを気にしなくなっていたのだろう。
いきなり後ろから肩を捕まれ、背筋がぞわっとなった。
捕まった。もうダメだ。殺される。
疲れ切っていて、逃げる気力もない。
後ろを振り返ろうとすると、口に何かを当てられ、私はそのまま意識を失った。
