「人間ドール」第2話
3月まではドールハウスLの専属モデルとしてアルバイトをしていたが、4月になり正社員として働く事になった。
私は昨年完成したばかりのドールビルを担当する事になり、学生時代に住んでいたマンションを引き払い、ドールビルの近くのマンションに引越しをした。
石川店長は4月から社長になり、ドールビルで、忙しくドールの営業をしている。
私はアルバイトの時の様な、モデルとしての仕事だけでなく、事務や雑用もする様になった。
7月1日、社長に呼ばれて社長室に向かった。
「社長、美沙です」と声をかけて、社長室に入ると、社長の隣に社長の右腕と言われている白井さんがいる。
「美沙さん、今日、大切なお客様である大石様がこのビルにいらっしゃいます。そこで美沙さんに重要な仕事をお願いしたいのですが……」
「重要な仕事ですか、わかりました」
重要な仕事とは何を指すのかは分からなかったけど、とりあえず頷いた。
「白井、あとはよろしく。私は大石様の相手をしてくるから」
社長はそれだけ言うと、白井さんと私に頭を下げて社長室から出て行ってしまった。
「白井さん、重要な仕事って何でしょうか?」
白井さんは人を笑わせる事などしそうにない堅物な人だ。伊藤さんが言うにはスタッフの様子を逐一社長に告げ口をしているらしい。
「大石様はドールを愛しています。美沙さんの仕事はドールとして側にいる事です」
「ドールとして側にいるって、どういう事ですか?」
意味がわからなくて聞き直した。
「大石様は人間ドールを鑑賞する事で癒されるそうです。美沙さんは大石さんの側にいるだけで大丈夫です」
白石さんが事務的に言った。
「それって、ホステスの様に、大石様の相手をしろって事ですか? 私、そんなの無理です」
私には男性を話だけで満足させる様なコミュ力はない。それにホステス紛いの事をするなんて契約の時に聞いてない。
「違います。美沙さんは動く必要も、話す必要もありません。ただ側にいるだけで良いのです。大石さんが今日お持ちのドールと同じ衣装を着てもらいます。メイクと衣装係を呼びますのでここで待っていて下さい」
つまり、私は大石様の側でじっとしているだけで良いって事?
私がドールを見ているだけで満足な様に、大石様もドールの私を見ているだけで満足するって事よね?
まあ、大事なお客様らしいし、ドールの私に手を出す事なんてないはず。もし嫌な事をされそうになったら、すぐに助けを呼べば良いよね。
そんな風に自分を納得させていた時、伊藤さんと田中さんがやって来た。2人ともドールハウスLのスタッフで、メイクと衣装も担当している。私は2人に控室に連れて行かれた。
「2人は大石様の事を知ってる?」
伊藤さんと田中さんに聞くと、2人は首を左右に振った。
「大石様は社長の顧客なので、白井さん以外は会った事がないと思います。
いつも専用入口から入っていらっしゃるみたいですし」
「専用入口?」
「美沙さん、南館に来るのは初めてですか?」
伊藤さんに聞かれて、頷いた。
私はいつもはドールビルの本館で仕事をしているので、南館に来たのは今日が初めてで、南館の事は何も知らなかった。
「南館には人間ドールを好きなお客様が来るんですよ。本館とは入口が違うので、本館で働いている人は南館のお客様を知らないと思います」
「人間ドール?」
私が言いかけた時、ドアが開いて、白井さんが入って来た。
「無駄口を叩いていないで早く準備をして下さい。大石様が美沙さんをお待ちですよ」
「すみませんでした」
白井さんの冷たい口調に、私たちが慌てて頭を下げると、白井さんはすぐに部屋を出て行った。
人間ドールの事を詳しく聞きたいと思ったけど、「急ぎましょう」と伊藤さんが言い、伊藤さんと田中さんは口を開かず作業に集中し始めたので、私は質問する事が出来なかった。
メイクとドレスの準備が出来ると、伊藤さんが白井さんを呼びに行く。
「イメージ通りですね。これなら大石様も喜ばれると思います」
「あの、私はじっとしているだけで良いんですよね。なんか怖くて……」
白井さんに不安を話すと、白井さんはため息をつきながら「美沙さんもドールが好きならわかるでしょ? 大石さんは人間ドールをただ鑑賞したい方なのです」
「わかりました。すみません」
これ以上何か話せば、白井さんが社長に告げ口をする気がして謝罪した。
「じゃ、伊藤さん、田中さんお疲れ様、君たちは本館に戻って」
白井さんが伊藤さんと田中さんを早く追い出したい様に感じるのは、私が不安を感じているせいだからだろうか?
「はい。わかりました」
伊藤さんと田中さんが部屋を出て行くと、白井さんが「そこに座って」と、白井さんが持ってきた豪華な車椅子を指さした。
「ここにですか?」
どうして車椅子に座るのか理解できなくて聞き返す。
「ドールが大石さんの部屋まで歩いていったら興醒めだろ。君は人間ドールなんだからドールになりきってもらわないと」
確かにドールは歩かないけど、それは人形だからであって、人間ドールの私が車椅子に乗って移動するには抵抗がある。
もしかして、私、危険な会社に就職してしまったのではないかという恐怖が頭をかすめた。
だけど、反抗する訳にもいかなくて、白井さんの指示通りに車椅子に座る。
「そうそう。それでいいよ。後、人間ドールになってもらう為に、ちょっと注射をするから」
「注射? 嫌です!」
注射を打って私を眠らせようとしているのだと思い、はっきりと断った。
寝ている間に何をされるかわからない。こんなの私が憧れていたドールの世界じゃない。
「これは規則です。ただ身体がドールの様になるだけで、意識もちゃんとあるから」
白井さんはさも当然だという口調で、私を説得する。
「だけど、動く事が出来ない状況で大石さんに何かされたら……。助けも求められないんですよ。
それに、注射でドールにするなんて異常です。私、仕事を辞めさせてもらいます。直接社長と話したいので社長を呼んできて下さい!」
大好きなドールの世界で仕事がしたいだけだった。
まさか、身体を動かす事が出来ない状態されてお客様の所に連れて行かれるなんて思いもしなかった。
こんなの私が夢見たドールの世界じゃない。
今すぐにドールハウスLを辞めよう。まだ若いんだから、今から仕事を探してもきっと見つかる。
普段の私からは考えられない強い口調で言い、白井さんを睨みつけた。
「美沙さんは誤解をしています。今日、仕事をしてみれば、人間ドールの仕事の誤解も解けます。その後で社長と話をする機会を作りますので」
私がこんなに感情的になっているのに、白井さんは冷静だ。
さっと私の腕を取り、私が逃げる前に注射を打った。
「美沙さんの名前は、美沙さんのお気に入りのドールのアニにしました。さあ、大石様の所にお連れします。人間ドールとはどういう存在なのか、自分でしっかり確かめて下さい」
白井さんが話している間にも、私の身体が少しずつ重くなっていくのを感じている。
抵抗しようとしても、腕が重くて上げることが出来ない。口を開く事も出来ない。気がつくと目を閉じる事さえ出来なくなっていた。
「大石様、アニを連れてきました」
白井さんが社長室に入り、社長と大石様に声をかけている。
私はその様子を見る事が出来る。意識もある。ただ、身体が動かないだけ。
「この子がアニか。私の希望通りの可愛い子だね。社長、ありがとう」
「お褒めに預かって光栄です。大石様の希望は熟知しています。大石様、アニと素敵な時間をお過ごし下さい」
「白井、部屋までアニを運んでくれたまえ」
「かしこまりました」
社長は私を見る事なく、白井さんに指示を出した。
このまま大石様と二人きりになるのは怖い。だけど、大石様が女性と関係を持ちたいなら、ここではなく風俗店に行くはず。
わざわざ人間ドールに会いにくるのは何故だろう?
大石様は何を期待しているの?
不安でいっぱいなのに、まばたきさえ出来ない。
「では大石様、ごゆっくりお過ごし下さい」
白井さんが部屋のドアを開け、車椅子を部屋の真ん中まで移動する。
怖い、身体が動かないので「白井さん待って」と言う事も出来ない。白井さんは振り返る事なく出て行ってしまった。
大石様は私の視界の外にいて、見る事が出来ない。
怖い、怖い、助けて、そればかり考えている。
「アニちゃん。社長に聞いたよ。今日が初めてなんだってね。怖がらなくてもいいよ。ワシはただ、美しいドールを鑑賞していたいだけなんだ」
大石様が私の前に立ち、私の目を見ながら優しく話しかけてきた。
本当に?
まだ大石様を疑っている自分がいるものの、大石様の優しい視線に恐怖感は薄らいでいく。
大石様は私の車椅子をソファの隣に移動させて、自分はソファに腰掛けて愛しそうな目で私を見る。
「ワシの孫の唯はドールが大好きで、私は唯にドールをプレゼントする事が楽しみだったんだよ。唯は毎日ドールに話しかけていて、それは楽しそうだった」
そうだった? 今は唯ちゃんはどうしているの? と聞きたくても声が出ない。
「唯が1年前に交通事故で亡くなったんだ。ワシはどうしても唯が残したドールを捨てられなくてな。
そんな話を社長にしたら、是非ドールハウスLに来てくださいと言われ、今も交流が続いているんじゃ。アニは唯が大事にしていたドールとそっくりだ。こうやって話を聞いてくれるだけでいいんじゃ。これからもワシの側にいてくれんかの?」
はいと言いたくても声が出ない。
「アニは優しい子じゃな」
私の気持ちが伝わったのか、大石様は優しく私を抱きしめた。
知らない人に抱きしめられているのに、大石様の気持ちがわかり、嫌悪感もなく、ただ素直に大石様の心が癒されると良いなと思った。
大石様に対する不安がなくなったので、改めて部屋を見ると、西洋風の可愛いお部屋に、小さい机に小さい椅子、ピンクのベッド。木のキッチンセット、沢山のドールとドールハウスが置かれているのに気づいた。
「この部屋は社長がワシの為に、唯の部屋を再現してくれたんじゃ」
社長が、大石様の為にここまでするのだと驚いた。
それからも、大石様はずっと私に語りかけている。
「アニ、長い間、ワシの話を聞いてくれてありがとう。また来るから」
2時間後、大石様は白井さんを内線電話で呼び、私に声をかけると、名残惜しそうに帰って行った。
「美沙さん。大石様と過ごしてみてどうだったかな?」
大石様が部屋を出た後、しばらくしてから社長が部屋にやって来た。
私は社長に文句を言って、ドールハウスLを辞めるつもりだった。だけど大石様の話を聞いて、私がドールとして存在する意味がわかったと思う。
「もう2時間過ぎたから、身体は動くはずだよ。ゆっくりと動かしてみて」
社長に言われ手に力を入れてみると、手が動いた。ゆっくり口を開く。
「私はきちんとした説明もなしに注射で身体の自由を奪われた事は怒っています。あの時、ドールハウスLを辞めようと思いました」
この件は大石様が良い人だという事とは別問題だ。これでクビになるとしても、絶対に言わなければと思った。
「その事は本当に申し訳なかった。大石様が突然いらっしゃったので、美沙さんに説明する時間がなかった。この前は花音さんに大石様を担当をしてもらったんだが、昨日から花音さんは体調を崩して入院しているんだ。それで急遽、美沙さんに頼む事になったんだよ。本当にすまなかった」
社長の謝罪を聞くと、これ以上社長を責めても仕方がないと感じ、「わかりました」と頷いた。
「ありがとう。大石様は良い人だったでしょ? お孫さんの唯ちゃんを亡くしてからの大石様は生きる気力を無くしていたんだ。唯ちゃんはドールが大好きだったので、ドールと触れ合う事で、唯ちゃんと一緒にいた頃の幸せな気持ちを取り戻せるかと思ってね」
「そうだったんですね。大石様はずっと唯ちゃんの話をしていました。私にも感謝してくれました。人間ドールとして無事に務めを果たせてほっとしています」
「美沙さんなら、きっと大丈夫だと思っていたよ。今日は本当にありがとう。また大石様が来られた時には大石様を癒してあげて欲しい。後、ここには大石様の様な事情がある方が癒される為にやってくる。美沙さん、人間ドールとして、その方達を癒やしてあげて下さい」
「わかりました」
私はドールハウスLを辞めないという選択をした。それなら、人間ドールとしてお客様を癒すのは仕事の一つ。誠意を持ってお客様の為に尽くそうと思う。
大石様と一緒にいて気づいた事がある。
人間ドールは身体を動かす事も話す事も出来ない。それでも人間ドールだからこそ、お客様を癒す事が出来るのじゃないかと感じた。
「じゃ、本館に戻っていいよ。南館の仕事はその都度連絡を入れるから」
社長に頭を下げて本館に戻る。
まだ身体は完全に元に戻った訳じゃないけど、仕事をするのに困る事はなかった。
これから毎回注射を打たれるのだろうか? あの注射はきちんと医師会に認められたもの? そんな事あるはずないよね。
何度も使う事で、身体に副作用が出たらどうしたらいいんだろう。
気になる事は沢山あるけど、もう決めた事。社長の指示に従おうと思う。
この日見た夢は怖かった。
大石様と過ごした部屋にあった唯ちゃんのドールが私を睨んでいるのだ。
どうして私を睨むの?
私は大石様を救う為に人間ドールになったんだよ。
ドールが睨んでいるのは唯ちゃんの意思?
唯ちゃんは私が嫌いなの?
リンリンと鳴る目覚ましの音で目が覚めると、夢だと気づいてホッとした。どうしてあんなに怖い夢を見たのだろう。やっぱり人間ドールになる事に抵抗があるからだろうか?
今はこれ以上考えても仕方がないと思い、ドールハウスLに向かう。
「美沙さん、大石様が美沙さんの事をすごく気にいってくれて、今日も美沙さんに会いにくる事になったよ。美沙さん、今日も大石様を癒してあげて下さい」
朝一に社長室に呼ばれて、社長から褒めてもらった。
「はい。わかりました。大石様がドールを持っていらっしゃったら、私にも見せてもらえませんか? 大石様がお気に入りのドールの様になりたいので」
㉞なんとなく夢が気になって、社長に頼んだ。
「わかった。大石様はいつも唯ちゃんが1番好きだったドールを肌身外さずお持ちになっている。大石様が南館に到着されると、ドールをお預かりしてドレスや髪型の確認の為に伊藤さんや田中さんに渡しているが、今日は先に君に渡すよ」
「よろしくお願いします」
ドールが私を恨むなんて事はないはずだから、唯ちゃんのドールを見せてもらえば安心できると思う。
それにしても、昨日来て、また今日も人間ドールの私に会いたいなんて驚いた。
私は唯ちゃんを亡くした大石様を、ただ側にいるだけで癒やせている事は嬉しい。
鏡を見たらわかる。私は完全な人間ドールだ。ドールを愛する人たちが人間ドールに求めるものは、ドールと一緒で側にいる事だろう。
私の部屋には今10体のドールがいる。それぞれ個性があって、見ているだけで幸せな気持ちになる。
自分の服より、ドールの衣装を揃えてあげたいし、家の中では全てにおいてドールを優先する。
私がドールに癒してもらっている様に、私が人間ドールとなって大石様を支えよう。
もう注射が怖いとか、大石様が手を出してきたらとかの不安はない。
「美沙さん、大石様からドールを預かってきました」
大石様がお越しになるまでの間、南館で書類の整理をする様に社長に言われていたので、作業をしていると、白井さんが大石様のドールを持って現れた。
これが唯ちゃんのお気に入りのドールで、夢に出てきたドールだ。
私のお気に入りのアニと同じもの。
ドールには自分で化粧を施し髪型も好きに出来るから、同じドールを購入しても個性が出るものだけど、唯ちゃんのドールと私のアニは本当に良く似ている。
これは唯ちゃんと私の趣味が似ているからだろう。
「アニとそっくり。白井さんありがとうございました。もう大丈夫です」
「美沙さんのドールにそっくりですね。わかりました。伊藤さん達に渡しておきます」
白井さんは納得したのか、すぐに大石様のドールを持って部屋を出て行った。
少しすると、伊藤さんと田中さんに呼ばれて、人間ドールになる準備が始まった。
「私も美沙さんのアニちゃんと、大石様のドールを最初に見た時にそっくりだなと思いましたよ。だから、大石様は美沙さんがお気に入りなんですね」
そう伊藤さんが言えば、田中さんも「自分のお気に入りのドールが人間ドールになったら嬉しいでしょうね。大石様は美沙さんに出会えて幸せですね」と笑顔を向けてくる。
こんな時に今朝見た夢を思い出した。伊藤さんや田中さんはあの夢をどう思うだろう?
そんなのただの夢です、と言って欲しくて、2人に夢の話をした。
「そんな夢を……、ねぇ、確か花音さんもそんな夢を見たって言ってたよね?」
田中さんが伊藤さんを見ると、伊藤さんが首を左右に振った。それはまるで、その話を私にしてはいけないと田中さんに言っている様に見える。
「あっ、ごめんなさい。私の勘違いです」
田中さんが慌てて訂正した事で、ますます花音さんが私と同じ夢で悩んでいた事じゃ本当と思った。
花音さんは、大石様を私の前に担当していた人間ドール。
確か社長が、花音さんは体調を崩して入院していると言っていたはず。
「本当の事を教えて。花音さんは夢のせいで体調を崩したの?」
私が伊藤さんと田中さんに聞くと、田中さんが説明を始めた。
「違います。花音さんは元々身体が弱くて、そんなところもドールの雰囲気に合っていて人気だったんです。花音さんは大学生なんですけど、実家が倒産したとかでお金が必要になって社長にスカウトされた事を喜んでいました。ただ、勉強と専属モデルの両立が大変だと言ってました。だから、無理し過ぎて身体を壊したんだと思います」
学費に実家の協力を得る事が出来なければ、奨学金を使うか、自分で稼ぐしかない。
バイトをすればするほど、勉強にかける時間がなくなるのは私も経験済みだ。
だけど、花音さんが体調を崩した原因は本当にそのせいだろうか?
伊藤さんが言いかけた様に、私と同じ夢を見たせいで睡眠不足になっていったんじゃないの?
「これで花音さんの話は終わりますね。早くしないと、また白井さんに注意されますから」
伊藤さんから、これ以上花音さんの話をしたくないという意思が伝わってきた。
「わかりました」
大石様をお待たせしている今、花音さんの事についてこれ以上聞く事は躊躇してしまい、ここで話を終わらせる。
「美沙さんの準備は出来ましたか?」
ちょうどドレスを着た時に、ドアがノックされて白井さんが部屋に入って来た。
「さすがです。大石様のドールのイメージとそっくりだ。昨日の黄色のドレスも素敵でしたが、今日の紫のドレスも良く似合っています」
白井さんに褒められて、少し気分が上がる。
昨日の様に注射をした後、車椅子に乗せられて大石様の部屋に運ばれた。
「アニ、今日も素敵だよ」
大石様が車椅子に座っている私を抱きしめると、白井さんは静かに部屋を出て行った。
「2日連続になってごめんね。ワシはどうしてもアニに会いたくてね。アニがいると、まるで唯がこの部屋にいる様に感じるんだ」
この部屋は唯ちゃんの部屋にそっくりに作られているから、大石様がそう思うのも当然だろう。
だけど、昨日の夢が気になって素直に喜べない。
唯ちゃんが特にお気に入りのドールは、今日はベットの枕元に置かれている。
このドールと全く同じメイクとドレスの私。
大石様が話している間、唯ちゃんのドールがずっと視界に入り、私を睨んでいる様に見える。
「唯、アニの中にいるのかい?」
いきなり大石様が私の右手を取った。
私の中に唯ちゃんがいるなんてあり得ないのに、大石様は一体何を言っているのだろう。
大石様は冗談を言っている様ではなく、真剣に私に語りかけている。
「唯、ワシは唯に会いたくて会いたくて、ずっと待っていたんじゃ。やっと唯の大切にしていたドールとそっくりの人間ドールを見つける事が出来た。唯が戻って来たんじゃな」
大石様の目から涙が流れ落ちた。
ちょっと待って。大石様は何を言っているの? 私は私であって唯ちゃんじゃない。
唯ちゃんの事が忘れられないのはわかるけど、ここまで思われたら怖い。
もちろん私は顔の筋肉を動かすことも、視線を移動させる事も出来ず、ただ心の中で恐怖を感じているだけ。
㊴この気持ちが大石様に伝わる事はない。
「唯、毎日会いにくるから」
大石様が私の手をギュッと握って、何度も同じ言葉を繰り返す。
嫌、怖い、止めて。
ドールの夢を見なければ、怖いなんて感じなかったかもしれない。
大石様を癒す事が私の仕事だと割り切って、優しい気持ちになれたかもしれない。
だけど、今、ベッドの枕の側にいるドールの視線が怖い。
えっ……!
私が怖がっていたからなのか、一瞬、ドールの目が光った様に見えた。
目を瞑りたくても眼球を動かすことさえ出来ない私は、恐怖を感じながら時間が過ぎる事だけを願っていた。
「アニ、今日もありがとう。明日も会いに来るから」
2時間が過ぎて、白井さんがドアをノックすると、大石様は上機嫌で私を抱きしめた。
「大石様、ありがとうございます。では明日も同じ時間に予約を入れさせて頂きます」
白井さんは手に持ったタブレットに予約を入れている様だ。
大石様が部屋を出ると、白井さんは私が座っている車椅子を押しながら、社長室の中に入っていく。
「社長が本館からこっちに向かっています。私は別の用がありますので、社長が来るまで待機していて下さい」
白井さんはそれだけ言うと、社長室から出て行ってしまった。
㊵「大石様が明日も予約を入れてくれた様だね。美沙さんには感謝しているよ」
社長は部屋に入ってくるなり、私にお礼を言った。
注射の効果が大分消え、私は口を動かす事が出来る様になっている。
社長に夢の話をしよう。大石様が私の中に唯ちゃんを見ていて怖い事も話そう。
「社長、私、大石様のドールがずっと睨んでいる気がして怖いんです。昨日、大石様のドールが夢に出てきたせいかもしれません。それに、大石様も私の中に唯ちゃんがいるとか言い出して……」
私が必死に話しているのに、社長は「はぁ?」と私を呆れた様な目で見てきた。
「ドールが美沙さんを睨むなんてあり得ない。美沙さんは唯ちゃんの霊が美沙さんを恨んでいるとでも思っているのですか?
もし唯ちゃんの霊がいるとしたら、大石様を癒してくれている美沙さんに感謝していると思うよ」
社長の言う事には一理ある。だけど、社長は大石様のドールの私を睨みつける目を見ていないからそんな事が言えるのだ。
「そうかもしれません。だけど、怖いんです。お願いします。大石様の担当から外して下さい」
社長の目をまっすぐ見て訴えた。
「それは出来ない。大石様は美沙さんを気に入っているんだ。美沙さんは知らないだろうけど、大石様が一回に支払ってくれるのは10万円だよ。それもこれから毎日来たいと聞いている。美沙さん、これは仕事だ。わがままは許されないよ」
「だけど、もし私が唯ちゃんのドールに呪い殺されたらどうするんですか?」
感情が爆発して、強い口調で社長を責めた。
「呪いなんて馬鹿な事を言わないでくれ。大石様に聞かれたらどんな事になるか。君は大石様の担当だ。それを代える事は出来ない」
社長は私の話を全く信じてくれない。人に注射を打って人間ドールにするなんて世間の人が知れば、すごいバッシングを受けるに決まっている。
大石様の為と思って、人間ドールを続けるつもりだったけど、もう限界。
「私、会社を辞めます。ドールに呪い殺されたくないんです」
はっきりと言うと、社長の顔が急に般若の様になった。
社長は社長室のドアの鍵を閉め、私の方を向くと、「そんな事は許さない」と私を睨みつける。
「怖いんです。お願いします。せめてあのドールを部屋に置かない様にして下さい」
あまりの恐怖に身体が震える。
あのドールさえ見えない場所において欲しい、それだけを訴えた。
㊷会社を辞めたいと再度訴えれば、社長は私を監禁するのではないかという恐怖を感じたのだ。
「美沙さん。唯ちゃんは大石様が美沙さんを大事にするのでヤキモチを妬いたのかもしれませんね。でも、唯ちゃんも大石様が美沙さんを大事にするのは、唯ちゃんを愛しているからだと気づくはずです。だから、美沙さんは今まで通り、大石様を癒して差し上げて下さい。逆に、美沙さんが大石様から離れて、大石様が傷つかれたら、唯ちゃんが美沙さんを恨む事になるかもしれませんよ?」
社長が急に態度を変え、私を懐柔してきた。
大石様の担当を外れた方が、唯ちゃんの呪いが私にかかるなんて、そんな事あるはずない。
だけど、もし唯ちゃんがドールに憑いているなら、私が大石様を癒しても、私が大石様と離れても、怒りが私に向くというのはなんとなくわかる。
でも、それじゃ私は一体どうしたらいいの?
「断ればどうなるのですか?」
あのドールを見たくない。会社を辞められないなら、人間ドールではなく専属モデルの仕事だけをしたい。だけど、そんな事を社長が許すはずがない。
「美沙さんを人間ドールにするのにいくらのお金がかかっているか知っていますか?
ドールハウスLを辞めるなら、今まで我が社が美沙さんに使ったお金を払っていただかなくてはいけません。1千万です」
「えっ?」
1千万なんて払えない。
大体1千万もかかったはずがない。
「1千万を払ってもらえるなら退職を認めます。しかし、払えないなら大石様の担当から外す事は出来ません」
「……」
私は社長に何も言えなかった。社長は初めから私を人間ドールにするつもりで、専属モデルに誘ったのだ。
花音さんの体調不良も、きっと唯ちゃんのドールが原因だろう。
逃げたい、だけど、1千万円を払うなんて無理だ。
「美沙さん。ドールハウスLはあなたを高待遇で迎えました。あなたは我々の期待に応える義務があります。キツイ言い方をしましたが、私はあなたに期待しています。是非、これからも人間ドールとして頑張って下さい。少し考える時間を与えましょう。30分後に戻ってきますので、ゆっくり考えて下さい」
社長は私にそれだけ言うと、部屋を出て外から鍵をかけた。
どうしたら良いのだろう? このまま大石様の担当を続ければ、いつか私も花音さんの様に身体を壊すだろう。
そうなれば、社長はまた別の女性を人間ドールにするのだろうか?
そもそも、大石様のドールに本当に唯ちゃんが憑いているのだろうか?
お客様は大石様だけでないはず。他の人間ドールは危険な目に合っていないのだろうか?
社長を信じる事が出来なくなり、全てが怖くなる。
私のドール達は大丈夫? ドールをずっと大切にしてきた。だけど、あのドールも全てドールハウスLで作られたものだ。
自分のドールを怖いと思う事がおかしいとわかってる。
だけど、注射で身体の自由を無くす事は犯罪だし、私が怖がっているのに無理やり仕事をさせるのも異常だと思う。
社長が戻ってくる前に逃げる事は出来ないだろうか?
南館から出たらすぐに実家に帰って、両親に相談しよう。そうすれば、社長も無理矢理私を連れ戻す事は出来ないはず。
お金の事は話し合いで解決が出来なかったら裁判になっても良い。1千万円なんて絶対に払う必要がないはずなんだから。
ドアに近づき、ノブを回そうとしたけど動かない。
社長室は外から鍵をかけると、中からは開ける事が出来ない?
ここは人を監禁する為に作られた様な部屋だ。
窓から逃げる事が出来るか調べようと窓に触ってみたけど、ロックがかかっていて窓を動かす事が出来ない。
つまり社長が戻ってくるまで待つしかないのだ。
もう一度社長に退職したいと言えば、1千万円を返せと言われるだろう。それは困る。
しばらく考えて、ふと思いついた。とりあえず、納得した振りをして、今日一日普通に仕事してからドールハウスLを出て、そのまま実家に帰れば良いのではないだろうか?
抵抗すれば監禁される可能性があるけど従順な振りをすれば、社長はこの部屋から出してくれるに違いない。
そう決めたら、社長が早く戻って来て欲しいと思う。
だけど、社長が社長室に戻ってきたのは、社長が出て行ってから1時間後の事だった。
1時間も戻ってこないとわかっていれば、社長室を調べることも出来たのに、いつドアが開くかわからないので、ずっとドアを見つめているしか出来なかった。
「美沙さん、考えはまとまったかい?」
社長はドアを開けると、笑顔で私に近づいてきた。
「はい。私は社会人として考えが足りませんでした。反省しています。これからも大石様の担当をさせて下さい」
神妙な顔をして頭を下げると、社長は一瞬目を大きく見開いた様に見えたけど、すぐに元の笑顔に戻った。
「美沙さんならわかってくれると思っていたよ。ありがとう。ただ、美沙さんが大石様のドールを怖がっているのに無理をさせるわけにはいかないから、次回大石様が来られた時、お祓い師を呼んで大石様のドールのお祓いをしてもらう事にしたよ。もちろん大石様には内緒だけどね」
ドールのお祓いをしてもらう? 私が大石様のドールを怖がっていたのはドールに唯ちゃんの霊が憑いていると思っているからだ。
お祓いをしてもらって唯ちゃんの霊がいなくなれば、ドールを怖いと思う事はなくなるだろう。
さっきまで全てのドールに恐怖を感じていたけど、よく考えてみれば怖いのは大石様のドールだけ。
今日私が実家に帰って、仕事を辞めたら1千万円を請求される、といえば、両親は私を心配をして大変な事になるだろう。
もう少し様子を見てもいいのかもしれない。
だけど、社長は私がドールハウスLを辞めるなら1千万円を請求すると言った。これが異常な金額なのは私でさえわかる。
やはり今辞めた方が良いんじゃない? と自分に問いかけてみる。
その時、「さっきは退職するなら1千万円払えなんて脅す様な事を言って申し訳なかった。美沙さんから退職したいと聞いて、動揺してしまい、ついあんな事を言ってしまった。
美沙さんは我が社のホープだ。辞めて欲しくない。その為に、美沙さんが気になる事、嫌だと思っている事は何でも言って欲しい。すぐに改善する様にするから」
社長の言葉に嘘はない様に見える。確認してみようか?
「期待して頂きありがとうございます。もし大石様のドールのお祓いをしても、私のドールを怖いという思いが変わらなかったら、大石様の担当を外してもらえますか?」
テレビでしかお祓い師を見た事がないので、私にはお祓い師が本当に霊を祓う事が出来るかどうかよくわからなくて聞いてみた。
もしお祓いをしてもらってもドールが私を睨んでいたら、大石様の側にいたくない。
「もちろん。その時は言ってくれたら大石様の担当は別の人間ドールに代えるから心配しなくてもいいよ。美沙さん今日は本当に申し訳なかった」
社長が私に深々と頭を下げてくれた。ここまでされたら退職するのは申し訳ない気がする。
「わかりました。では明日ドールのお祓いをよろしくお願いします」
社長が頷いてくれたので、礼をして社長室を出る。
その後、本館に戻り仕事をこなしてから家に帰った。
本当にこれで良かったのかな?
ドールハウスLから逃れる最後のチャンスじゃなかったのだろうか?
そう思った瞬間、そんな事あるはずないよねと否定した。
社長は私が退職したいと言ったので動揺してあんな事を言っただけ。
もし大石様のドールのお祓いをしてもドールが私に敵意を向けてきたら、大石様の担当から外してくれると言ったのだから、社長の言葉を信用してもいいよね?
後にあの時逃げていれば、と後悔する事になるけど、この時は退職する事までは決心がつかなかった。
もしこれから始まる悪夢を知っていたら、絶対に逃げたのに……。
次の日、大石様が来られたので私は南館に呼ばれた。
大石様から預かったドールを持った社長が来て、私に社長室に来る様に言った。
社長室に入ると、スーツ姿の40代くらいの優しげな顔をした男性が社長の隣に立っている。
「美沙さん、こちらが昨日話したお祓い師の山下さん」
「初めまして。山下です。確かにこのドールには何かが憑いているね。お祓いをすれば取れるから心配しなくて良いよ」
山下さんは社長に紹介されると、私を安心させようと話しかけてくれた。
やはりこのドールには唯ちゃんの霊が憑いていたのだ。お祓いをしてもらえば、唯ちゃんの霊はいなくなる。良かった。
「よろしくお願いします」
ほっとして、山下さんに頭を下げた。
「山下さんが来てくれて良かったよ。唯ちゃんの霊が憑いているなんて、半信半疑だったからね。美沙さん、昨日はすぐにキミの話を信じてあげられなくてごめんね。じゃ、山下さん、よろしくお願いします」
「わかりました。お祓い中は集中したいので部屋を出ていただけますか? 10分程で終わりますので」
「わかった。美沙さん、部屋を出よう」
お祓いの現場を見れると思っていたのでちょっと残念な気はしたけど、社長と一緒に社長室を出た。
「美沙さんは人間ドールになる準備を始めてくれないか? あまり大石様をお待たせしたくないのでね」
唯ちゃんの霊が本当にいなくなったのを確かめてから準備をしたかったけど、確かに大石様を長く待たせるのも悪いので「わかりました」と言って、更衣室に向かう。
「美沙さん、大石様のドールのお祓いをしているって本当?」
いきなり田中さんに聞かれ、驚いた。
お祓いの話は社長と私、そして白井さんしか知らないと思っていたのに。
もし大石様にお祓いの事がバレれば、大石様はお怒りになるのは目に見えている。
「ドールに唯ちゃんの霊が憑いているの? どうりであのドールの目、怖いと思ったのよ」
私が何も答えていないのに、田中さんは話し続ける。
「田中さん、大石様がお待ちなんだからきちんと仕事をしないと。それにそんな話をしてはいけない事はわかるでしょ?」
伊藤さんが田中さんに注意をしてくれたけど、田中さんは不満顔だ。
「だって、本当なら怖いじゃない。美沙さんも怖い目にあったから、社長に直訴したんでしょ?」
「そんな事を誰から聞いたの?」
私が社長に直訴した事まで知っているなんて、思わず聞き返した。
「みんな知っているよ。本館のスタッフの間でも噂になっているから」
「田中さん、この話が大石様に伝われば大変な事になるのはわかるでしょ? お願いだからこれ以上この話をするのは止めて」
田中さんにはっきりと言ったけど、田中さんは納得出来ないという表情で私を見た。
「美沙さんの言う通りよ。もうこの話はおしまい。さあ、美沙さんを大石様の望む人間ドールに仕上げましょう」
「わかりました」
田中さんは伊藤さんには逆らえないのか、しぶしぶ頷いた様に見える。
今日の大石様のドールはウェディングドレスを着ている。大石様が唯ちゃんのウェディングドレス姿を見たいと思い、着せたのだろう。
当然私に用意された衣装もウェディングドレスだ。ウェディングドレスは自分の結婚式で着たいと思っていたから、残念な気がするけど、これは仕事だから仕方がない。
唯ちゃんの霊さえ祓う事が出来たなら、ウェディングドレスを着る事は割り切る事が出来る。
伊藤さんが注意してくれてから、田中さんは仕事以外の話はしなくなったので、どんどん準備が進んでいく。
「完成しました。美沙さん、すごく綺麗です」
伊藤さんが私を全身鏡の前に立たせて、褒めてくれた。
「やっぱりウェディングドレスは素敵ですね」
田中さんが輝いた目で私を見ている。
今までのドレスも素敵だったけど、このウェディングドレスは最高に綺麗。たくさんのビーズが縫い付けられていて、刺繍がほどこされている。こんな素敵なドレスを着せてもらえる事はやはり嬉しい。
伊藤さんが白井さんを内線で呼び、白井さんが部屋に入ってきた。
「なんて美しい!」
白井さんが感嘆の声を上げた。
白井さんにそんな風に言ってもらえるなんて思わなかったから、嬉しくて仕方がない。
「では美沙さん行きましょう」
本当はこの場所でお祓いの結果を聞きたかったけど、田中さんが他の人に話を広められるのが怖くて、何も聞かずに白井さんと一緒に部屋を出た。
白井さんは私を社長室に入れると、すぐに出て行ってしまった。
「美沙さん、無事にお祓いは終わりましたよ。このドールを見て、まだ怖いと感じますか?」
社長が大石様のドールを私に手渡した。
ドキッとしたものの、今まで感じていた様な怖さは感じない。
「もう怖くありません。唯ちゃんの霊は成仏したんですか?」
「私には霊感が全くないのでわからないが、お祓い師さんの話によると、成仏したとの事だったよ。これで大石様の担当を続けてもらえるね?」
「はい」
社長への不信感は残っているけど、社会人として約束は守らないといけないと思い頷いた。
この日、大石様の部屋に入ってもドールに睨まれている様に感じる事はなかった。
良かった。やはりお祓いは成功していたのだ。唯ちゃんは成仏してもうドールに憑いていない。
そのせいなのか、今日は大石様が唯ちゃんの名前を出す事はなかった。
ただ、大石様は以前とは違い、私を必要としているとは感じられなかった。
大石様は以前これから毎日予約すると言っていたのに、案の定、明日以降の予約の話はない。
ドールに憑いていた唯ちゃんがいなくなった事で、大石様の唯ちゃんへの執着みたいなものが消えたのかもしれない。
私はホッとしたけど、大石様がお帰りになった後、社長はため息をつき、「唯ちゃんがいなくなったせいで、大石様の予約がなくなった。何て事だ」と私を責める様に言った。
「すみません」
唯ちゃんが成仏した事は良い事のはずなのに、社長の反応につい謝罪してしまった。
「美沙さんのせいじゃないよ。明日から指名があればそのお客様の人間ドールになってもらう予定だから、よろしくね」
「わかりました」
指名があればって事は、氏名がなければ人間ドールになる必要はなくなる。素敵なドレスを着て人間ドールになれるのは嬉しかったけど、人間ドールになる為に注射を打たれるのは嫌だった。お客様と部屋に2人きりというのも嫌だった。
だから、大石様の予約が無くなって正直ホッとしているし、指名されないと良いなと思う。
「じゃ、お疲れ様。今から本館の仕事をしてきて」
「わかりました」
社長の言い方は冷たかったけど、今の私にはそれほど気にならなかった。
「お客様のドールに霊が憑いていたんだって? 怖いよね」
「お祓いをしたって聞いたけど、その後大丈夫だったの?」
本館に行くと、何人かのスタッフが興味半分に聞いてくる。
社長は秘密にしておきたかったはず。一体誰が話したのだろう?
みんなが知っている事を社長が知れば、私が秘密を暴露したと思われるんじゃないかと不安になる。
「その噂は誰から聞いたんですか? ドールに霊が憑いていたなんて、私は知りませんけど」
はっきりと噂を否定した。
「えっ、本当の事じゃなかったの? 誰からだっけ?」
スタッフ達が困った顔になり、噂を広めた人を探り始めた。
「私は西村っちから聞いたよ」
「西村さんは山田さんから聞いたって言ってなかった?」
「私、みんなが噂をしていたのを聞いただけだから」
何人かの名前は出るものの、結局誰が噂の出所なのかはわからなかった。
そんなに沢山スタッフがいる訳ではないのに、噂の出所が誰かわからないなんて嫌な気持ちになる。
「わからないのね。誰が噂を流したのかさえわからないような話を広めないで。もし大石様に伝われば、大石様に訴えられる事もあり得るのよ」
少しキツめの口調で注意をすると、スタッフ達は「すみませんでした」と謝ってくれた。
これで、これ以上噂が広まる事はないだろう。大体、本館のスタッフが南館に行く事はほとんどない。だから本館のスタッフが噂の出所なはずがないのだ。
犯人は南館に出入りしているスタッフか人間ドールという事になる。
ただ、これ以上犯人を探すのは難しいだろう。それに唯ちゃんを祓ってもらえたので、唯ちゃんの霊がこれ以上問題になる事もない。
噂の事は黙っていた方が良いと思った。
大石様がドールハウスLに来られるのは週1回になった。
それでも私を呼んでくれて、私が部屋に入ると以前と同じ様に大事にしてくれる。
大石様がお持ちになるドールも、あれ以来怖いと感じる事はない。
ただ、大石様の訪問が週1回になってから、社長の機嫌が悪い日が多くなった。
私は大石様の他に、あと2人のお客様を担当する事になったけど、2人ともドールハウスLに来られるのは2週間に1回程度で、部屋も私が着るドレスも大石様と比べてかなり格が落ちる。
お祓いをしてもらった日から2ヶ月が過ぎ、私は人間ドールにも慣れて、落ち着いた日々を過ごしていた時に、それは起こった。
出勤すると、すぐに社長室に呼ばれた。社長は満面の笑みを浮かべている。
「美沙さん、今日から新しく加藤様を担当してもらうよ」
「わかりました。加藤様はどのようなお方なのですか?」
「私の古くからの友人で、美沙さんの写真を見せたら甚《いた》く気に入られてね、さっそく美沙さんの人間ドールに会いたい言われるんだよ」
社長の友人、きっとドールが好きで長期間ドールハウスLの顧客となっているのだろう。
社長自ら、加藤様に私の写真を見せてくれた事は嬉しい。
人間ドールは身体を動かす事が出来ないので、社長も確実に信用できる人にしか紹介していないはず。
「どうして加藤様に私を紹介して頂いたのですか?」
「美沙さんは加藤様のタイプだと思ったからだよ。加藤様は国会議員で、その世界の裏のドンと言われているお方だから」
大石様が週1でしか来られなくなった今、人間ドールの収入はかなり減ったのだろう。
だから、国会議員でその世界の裏のドンと言われる加藤様に何度もドールハウスLに足を運んでもらいたいのだとわかった。
国会議員が人間ドールに酷い事をすれば、すぐに噂になるだろうから、加藤様は人間ドールの私に酷い事はしないはず。
「わかりました」
大石様の件は、私も少し責任を感じていたので、引き受ける事にした。
「加藤様に気に入られれば、大石様以上に通ってもらえると思う。美沙さん、よろしく頼むよ」
社長の意図はわかるので「はい、頑張ります」と返事をすると、社長は笑顔になり、白井さんを呼んで、私を人間ドールにする様に伝えた。
「加藤様はドールをお持ちではないので、今日美沙さんが加藤様に気に入られれば、美沙様のイメージのドールを加藤様にお渡しします。
そうすれば、そのドールを見る度に美沙さんを思い出して、またここに来てくれるはずです。南館は警備も完全で部屋数も多く、政治家の秘密の会談場所としても使う事が出来ます。加藤様が何度も通って下さるように、美沙さん頑張って下さい」
私は大変な任務を与えられた気がする。だけど、加藤様を癒す事が出来れば嬉しいし、出来なければ、期待に応えられないドールとして、退職すればいいだけだ。
さすがに、大石様に続き加藤様にもそこまで必要とされなければ、社長も私を見限り、退職を許可してくれる気がする。
退職したら、今度こそ真っ当な仕事を探そうと思う。
「田中さん、伊藤さん、美沙さんを最高に美しい人間ドールにして下さい」
「わかりました」
2人は返事をすると、すぐに仕事にかかった。
伊藤さんはともかく、田中さんは噂好きでおしゃべりな人なのに、今日は雑談をほぼせずに、黙々と仕事をしている。
「田中さん、何かあったの?」
「何もありません」
まるで、それ以上質問される事を遮断している様で、取り付く島がない。
誰かに、この前の噂の事を注意されたのだろうか?
普通に考えたら、噂を広めたのは田中さんである確率が高い。
人間ドールがお客様に関する事を簡単にスタッフに言うとは思えない。
社長は、人間ドールにする女性はドールになった時に美しいのはもちろんの事、口が固く信頼できる人だと言っていた。
だから、南館に出入りしているスタッフの誰かが喋らなければ、本館に噂が伝わるはずはないのだ。
伊藤さんはビジネスはビジネスと割り切っている人なので、噂を広めるタイプではない。それは白井さんも同じだ。
田中さんが社長室の外で、社長と私の話を聞いて、その話をみんなにした可能性が1番高い。
その田中さんの態度がいつもと違うという事は、社長か白井さんが、噂を広めたのが田中さんだと思い、説教をしたと考えるのが正解だと思う。
だけど、この感じだと田中さんに聞いても、何も答えてはくれないだろう。
田中さんが反省しているなら、私からは何も言わない方が良いと思い、私も無駄な話は一切しなかった。
「美沙さん、これでどうでしょう?」
伊藤さんに聞かれ、目を開く。
私のドールのアニにそっくりに仕上がっている。
私はアニが1番好きで、アニの衣装には1番気を使っている。
加藤さんが気に入ってくれた私の写真は、アニと一緒にフランス人形の様な化粧を施してもらい、ピンクのフリフリのドレスで着飾ったものだ。
写真と同じ姿では芸がないので、今、私が着ているのは真っ赤なフリフリのドレスだ。
「素敵です! 田中さん、伊藤さんありがとうございます」
お礼を言うと、伊藤さんは笑顔を浮かべ、「白井さんを呼びますね」と言って、内線電話で白井さんを呼び出した。
「これは美しい。これなら加藤様もお気に召されると思います。では加藤様の部屋に行きましょう」
白井さんは私を車椅子に座らせて、車椅子を押して部屋から出て行く。
途中、社長室の前で私の腕に注射を打った。今思えば、白井さんは田中さんや伊藤さんの前で私に注射を打つ事はない。やはり注射を打って動けなくする事は犯罪だと認めているのだろう。
私が動けなくなったのを確認すると、白井さんは車椅子を押しながら加藤様の部屋まで移動した。
「加藤様、アニをお連れしました」
加藤様がいる部屋は、まるでマリーアントワネットが暮らしていた部屋の様で、大石様の部屋より高級感が漂っている。
「思った通り素敵だよ。今日からアニは私専用の人間ドールだ。白井さん、いいね?」
加藤様は70代くらいの貫禄のある方だ。ブランドもののスーツを着ていて、話しやすそうな顔をしている。
だけど、口調は強引で嫌とは言わせない圧力を感じる。
「社長に確認して参ります。加藤様がお帰りの時に、社長から返事をさせて頂きますので、それまでごゆっくりお過ごしください」
白井さんは緊張した声でそう言うと、部屋から出ていった。
「アニ、君の様な子を探していたんだよ。アニは私専属のドールになるんだ。わかったね?」
私は大石様と川口様、中川様を担当している。いくら加藤様が国会議員でも自分専属のドールにしたいなんて自分勝手が過ぎる。社長だってきっと反対するだろう。
もし注射で表情が固定されていなければ、一瞬ムッとしたと思う。注射をしていて良かったと初めて思った。
「アニ、君は本当に美しい。社長には君の外出許可を頼もう。アニに我が家を見せたいよ」
加藤様が私の髪の毛を撫でている。仕事だから仕方がないとわかっていても、嫌な気持ちになった。
それから2時間、加藤様は私の髪や手を撫で続けている。
性的な事をする訳ではないけど、好きでもない男性にずっと触られるのは辛い。
やっと2時間が過ぎた時、正直ほっとした。
すぐにドアがノックされ、社長が入ってくる。
「加藤様、アニはいかがでしたか?」
「気に入ったよ。ついてはアニを私専属にしてもらいたい。もちろんその為の費用は払う」
「承知しました。アニを加藤様専属の人間ドールにします。この部屋も加藤様専用に致しますので、必要な物はなんでも揃えさせて頂きます」
「うむ。よろしく頼む。アニ、今日から君は私のものだ。これは今日のお礼だ」
加藤様は財布からお金を無造作に取り出して袋に入れ、私の手の上に置いた。
「加藤様、ありがとうございます。アニも喜んでいると思います」
「はははっ、アニの為ならいくらでもやろう。明後日の夜に来るから準備をしておいてくれ。それと、この部屋は私用には良いが、会談用にはまずい。もう一部屋準備しておきなさい」
「わかりました」
社長が答えると、加藤様は満足げな顔をして部屋から出て行った。
「加藤様は美沙さんを気に入ったようだね。ありがとう」
社長が今まで見た事がない笑顔を私に向ける。
「他の担当を切って専属にしろなんて、政治家だからってわがまま過ぎます」
「確かにそうだが、加藤様は特別なお方だなら、美沙さんも加藤様の要望をいち早く察知して私に教えて欲しい。ドールハウスLの未来は加藤様にかかっている事を忘れないで下さい」
社長の目は真剣そのものだ。私は頷くしかなかった。
家に帰ってからも、加藤様の事がずっと気になっている。私はこのまま人間ドールをしていて良いのだろうか?
もしいつか加藤様に飽きられたら、私はドールハウスLを退職するだけですむのだろうか?
社長の怒り顔が目に浮かぶ。ドールハウスLの未来は加藤様にかかっているという事は、私が加藤様に飽きられたら、ドールハウスLの未来が失われるという事。加藤様は私に一目惚れしただけだから、飽きるのも早そうだ。
私の責任は重過ぎる。
次の日から加藤様は週に3回は短時間でもドールハウスLに来てくれるようになった。
加藤様のプライベートの部屋と、オフィシャル用の部屋2部屋が、加藤様専用部屋として、キープされている。
あれから大石様がどうなったのか社長に聞いても「大丈夫だから、美沙さんが気にする事はない」と言って教えてもらえない。
人間ドール同士は今までもほとんど会う事はなかったけど、今はさらに厳格になっていて全く会う事がなくなった。
伊藤さんや田中さんも社長から口止めされているのか、他の人間ドールの事もお客様の事も一切話さなくなった。
「アニ、明日は政治家数名を読んで会談をする。アニを自慢してやるとしよう」
加藤様は「くくくっ」、と笑いながら私に語りかける。何が面白いのかわからないけど、明日も人間ドールとして加藤様の部屋にいるだけ。
人間ドールは身体はおろか表情さえ動かす事は出来ない。だから、たとえ加藤様が誰を部屋に呼ばれても私には関係ない。
次の日、夜7時に加藤様が南館にやって来た。すぐに私は人間ドールになり加藤様のオフィシャルルームに運ばれた。その後、3人の政治家がこの部屋に案内された。
南館の入り口は高級ホテルの様になっているので、隣にあるドールハウスLと繋がっている事は知られていない。
10時に会談が終わると、明石さんという50代くらいの小太りで黒縁眼鏡をかけた男性が「さっきから気になっていたのだが、これは本物の人形なのかな? まるで人間の様に見えるけど」と、加藤様に聞いた。
中野様と花田様も「確かに人間みたいだね」と頷いている。
「気づいたかい。この子は人間ドールといって、人間をドールにしているんだよ。もちろん、時間がくれば元に戻るから危険ではないよ。素敵だろ?」
加藤様が嬉しそうに3人に話した。
「人間がドールに? 驚いた。そんな事が可能だなんて。瞬きもしないから人間のはずはないし、と気になっていたんですよ。ただ、私はドールより、生身の人間が接待してくれる方が嬉しいですけど」
明石様が笑いながら言うと、「ホステスをこんな場に呼べば、SNSに話の内容を書くバカもいるんでね。その点、ここの人間ドールは信用できる。この場で得た情報を絶対バラす事はないよ。な、アニ?」
加藤様が私の手を撫でた。
「私は人間ドールが気に入りました」
中野様がいやらしい目で私を見ている。
「このアニは私専用のドールだから、中野君も社長に頼んでごらん。きっと中野君の好みのドールを紹介してくれるよ。仕事が忙しいと、せめて女の子を側に置いておきたいけど、ペチャクチャ喋られるのも鬱陶しいし、わがままな子も面倒臭い。その点、人間ドールはただ側にいてくれる。最高だよ」
加藤様が持論を話すと、中野様が頷き「女の子のいるところは、妻が煩くてなかなかいけないんですよ。人間ドールなら妻も認めてくれそうです」と嬉しそうな顔で言う。
「中野くんとこは恐妻家だからね」
明石様と花田様が笑った。
そっか。人間ドールを必要とする意味がイマイチわからなかったけど、ただそこにいるだけの人間ドールは気楽で良いのかと納得した。
加藤様はその後も、私の事を3人に自慢している。でも羨ましそうにしているのは中野様だけだ。
そりゃ話し上手で色っぽい女性に接客してもらう方が嬉しいと思うのは当たり前だよね。
私なんてただここにいるだけの人間ドールなんだから。
加藤様たちの雑談が終わると、加藤様はスマホを取り出した。
「中野君が人間ドールに興味があるみたいなのだが、人間ドールの写真集を持ってきてもらえるかね?」
加藤様が社長にそう言うと、すぐに社長が写真集を持って、加藤様の部屋にやって来た。
明石様と花田様も写真集には興味があるらしく、中野様と一緒に写真集を見ている。
「この子、可愛いですね」と中野様が写真集の人間ドールに指を指すと、社長は部屋を出て中野様が気に入った人間ドールと同じドールを持ってきた。
「このドールを家族に見せて頂ければ人間ドールの説明もしやすいと思います。もしこちらに通うのが難しければ、人間ドールを派遣させて頂く事も可能ですのでよろしくお願い致します」
「ありがとう。妻も娘もこのドールを見せたら、私が女の子と遊んでいるとは疑う事はないだろう。家に派遣してもらえば、娘が喜びそうだ。社長、私も人間ドールを契約するよ」
「中野様、ありがとうございます。それでは社長室で契約について説明させて頂きます」
中野様が社長と一緒に社長室に行くと、花田様と明石様は加藤様に挨拶をして家に帰って行った。
「私もそのうちアニを家に呼ぶことにしよう。アニがいない生活なんて考えられないんだ。これ今日のお礼だよ」
加藤様は、私の手にお札の入った封筒を握らせた。
加藤様の私を見る目はまるで恋する中学生男子だ。
政界の裏のドンといわれている加藤様に、そこまで思われて悪い気はしない。
だけど、私は人間ドール。ただ側にいるだけ。一応、綺麗な人間ドールになる為に、毎日ダイエットはしているし、寝る前のヨガはかかさないけど、こんなに楽にお金持ちになって良いのかと思う。
加藤様専属ドールになって3ヶ月が過ぎた。
最初のうちは緊張したし、高額のお金を貰うことに抵抗も感じたけど、慣れは怖いもので今は緊張する事もないし、お金を貰っても驚く事もなくなった。
そして、加藤様の興味が私から離れている事に気づく事もなかった。
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