雨に濡れた薔薇
仄白く光る雲から零れ落ちる雨の匂いと音
薔薇園には人工的な自然の繊細さが満ちている
セキレイが歌を歌っているその美しさ
雨音がショパンの調べのように聴こえる
純白のブランシュ・マルラン
金色がかったような黄色のベル・ロマンティカ
深紅に輝くのはイングリッド・バーグマン
清楚なピンク色のレディ・アーシュラ
色とりどりに咲いているこの地上の楽園で
傘をさしたまま立ち尽くしている私
あの人の笑い声や口笛を幻の中で聴いた
けれどもそれは過去の記憶の堆積でしかない
様々に咲いている数多い薔薇の束の間の美しさ
彼らは雨に打たれるのを喜んでいるみたい
厳しい日の光から逃れられるこの瞬間を
彼らは神からのささやかな贈り物と思っている
ウルフが好きだったミヤマガラスの鳴き声が響く
彼女の小説の中に迷い込んだみたいな錯覚
エリオットの『四つの四重奏』の最初の章が
私の心を喪失感の中から呼び戻す
「あらゆる時間が永遠に現在するとすれば
あらゆる時間は償うことのできぬもの」
その言葉の美しいリアリティが胸に響き
私は眼から零れ落ちる涙を白い手で拭う
雨はしだいにやんでいき
私は手に持っていた紫の傘をたたみ光を浴びる
薔薇園の小径を靴音を立てながら歩くと
美しく咲き誇る深紅の薔薇たちに出会った
禍々しく咲いているような彼らの名前はノワール
彼らはまるでマドレーヌの香りのように
私があの人と味わった甘く淫靡な夜へと
無意識の底へといざなってくれた
あの人の切なそうで苦し気な声を聴いた
あの人の私の身体を味わう舌を感じた
あの人の黒髪を優しく撫でる手の冷たさ
そして私の甘美な声が闇夜に広がった夜の暗さ
夢の中を漂っていた私を醒ましたのは足音だった
私の心を揺らし私の感覚を乱す足音
あの人かと思い振り返ると
ノワールに魅了されたような表情の他人だった
「不毛の悲しい時間が愚かしくも
前にも後ろにも伸びている」
fin
