負けるもんか
思いがけない言葉が、突然降ってきた。自分の声なのに、自分で発したものではない。でも、それは不思議なほどに強いものだった。
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その日、約一年振りにハンドルを握った。長いアメリカ生活で運転には慣れているが、直近の一年間は日本に住んでいたので久しぶりだったのだ。
子どもたちの送迎が始まる前に勘を取り戻そうと、一人で練習することにした。自宅の駐車場でエンジンをかける。出発。右、右、曲がる、右。日本は左車線、アメリカは右車線。間違ったほうへ侵入しないように、ぶつぶつ言いながらアクセルとブレーキを踏む。
見渡す限り続く広い道路を見ながら、「アメリカにいるのかぁ」と不思議な気持ちになっていた。新しく住む街は、4月でも真冬の空気。装いを持たない枯れ木が空に向かって凛と伸びている。
つい10日前まで、桜の蕾がふくらむ日本にいたのに。満開の桜が見れなかったのが心残りだったし、空港まで見送りに来た両親が涙ぐんでいたのを見て胸が痛かった。
カーステレオから音楽がランダムに流れている。Spotifyに選曲をお任せしていると、ある楽曲のイントロの美しさに心を掴まれた。
遮られた視界の先が澄み渡るようなメロディ。きれいな旋律だなぁと楽曲名に目をやると、ACIDMANの『sonet』とあった。優しく力強い声に耳を澄ませる。
どんな未来を描いたのだろう
どんな世界を望んでたんだろう
失い続ける旅だとしても
その心だけは失くさないで
やばい、これは泣いてしまうやつかも。感覚的にそう察し、慌てて気を逸らそうとした。だけど、続くサビに入ると歌声はさらに力強さを増し、あっというまに心を持っていかれてしまった。
あの日 君が流したその涙は
遠い国に降り注ぐ雨になるだろう
あの日。涙。遠い国。ピンと張り詰めていた心が崩壊しそうになる。運転しながらボロボロ泣くなんてやばい奴じゃん……と堪えようとした次の瞬間、私の中で唐突に湧き上がった言葉があった。
「負けるもんか」
え?私?どうした???驚いたのは、考えて、言おうと思って、出てきた言葉じゃなかったからだ。それは本当に降ってくるとか、そういう表現がぴったりで。自分で自分にびっくりした。
一方で、既視感もあった。私は、この気持ちを知っている。きっとどこかで。そう、たしかもう10年以上も前、初めて1人でアメリカに住み始めたときに感じたものと同じなんだ。
ーーー
インターンシップに参加する名目で、私が縁もゆかりもないアメリカに足を踏み入れた季節は10月半ばだった。ハロウィンの時期。到着したサンフランシスコはもう随分寒かった。イメージしていた西海岸の陽気さはなく、夜は肌寒さを通り越してコートを着ていた。
インターン生として雇われた職場には、自転車で通った。日本の習慣を引きずって黒いスーツに身を包んだ女性(しかも日本人は若く見える)がアメリカの公道を自転車で走り抜けている様は、異物感ありありだったに違いない。
性格柄、前向きに過ごそうとはしていたが、強がりも大きかったと思う。インターンシップは自主応募。働いていた会社もやめて、貯金もほぼ使い果たして。友人たちの間では結婚、出産の多い年齢だった。なのに、私は…。
研修期間は一年半。あっというまだと後になればわかるけど、当時は「とんでもない決断をしてしまったんじゃないか」といった気持ちに覆われるときが多々あった。言葉の通じないもどかしさ、英語ができない不甲斐なさ、全部ひっくるめた心細さでぎゅうぎゅうだった。
職場からの帰り道、本当によく空を見上げていた。そして、うっかり挫けそうになる自分に言い聞かせていた。
ちゃんと期間を終えて
いい経験ができたって帰るんだ
英語だってもっと頑張る
全然できなくて
こんなに恥かく?ってぐらい
ボロボロだけど
悔しい、悲しい、寂しい
思っていたより寒い
でも私が自分で行くって決めた
だから絶対に
負けるもんか
ーーー
あぁ、そうだ。
あの頃の私は、ほろほろに崩れそうな心を閉じ込めて、持ち前の負けん気で自転車を漕いでいた。英語もろくに喋れないのに、見栄っ張りで、プライドが高くて、できないって言えなくて、でも実際にできなくて恥かいて、自己主張の強いアメリカという国にもなかなか馴染めなかった。
今の私は、異国でもちゃんと生きていけることを知っている。もう一人ではないし、あれから家族もお友達もできて、英語も少しだけ上達して、疫病で遮断された数年まで乗り越えて、ちょっとずつ変わったはずだった。それなのに。
"負けるもんか"
自分の中に、まだこんな気持ちが残っていたなんて。
だけど、なんだか清々しい気分にもなった。私にとって悔しい気持ちや何かに抗う気持ちは、エンジンになるんだろう。いつも勝ち目のない戦に挑む武士みたいな生き方しかできなくて、全力で向き合ってボロボロになって、疲弊してしまうのだけど。
もう一度立ち上がるのは、たたかう相手が他人や世間の声だからじゃない。自分自身だからだ。
私は、弱い私に負けたくない。
でも、あの頃の私と一つだけ違うのは、弱いところも自分の一部だと尊重してあげられること。
あの日 君が流したその涙は
遠い国に降り注ぐ雨になるだろう
そして、綺麗な花を咲かせるだろう
僕はそれを奇跡と呼ぶんだ
涙なんかない人生のほうがいいのにな。だけど、不器用に生きる中でこぼれた涙が、大切な人たちに流させてしまった涙が、綺麗な花を咲かすこともあるのだとしたら。
私は、その景色を受け取りに行こうと思う。
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