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母は私に何も期待しなかった

「もしもし、かーちゃん?」

「なんね、珍しゅう、電話してきて。」


先日、久しぶりに母に電話した。

両親とは私が結婚してから別居ではあるものの、隣町に住んでいる。車で行けば30分そこらで行ける距離だ。

ただ、この「近所」というのがなかなか厄介で。
「いつでも行ける」と思っているから、なかなか行かない。気づけば今年、ほとんど会っていなかったのだ。


年末も近づき、ちょっとヤバいか……、と思った私はとりあえず、電話してみた。


「いろいろ忙しゅうて、なかなか行けんとよ。年末はそっちにくっけん(行くから)。」

「よかよ、来れるときに来んね。それより、ぎゃーけ(風邪)どん、しとらんね?」

「うん、そいは大丈夫。」


そこから私の音楽ライブの話やら、母の趣味の畑の話やら、他愛もない会話だけが続く。まあ、とくに用もないので仕方がない。


ただただ、母は私の話を聞きつづける。
それに対してとくに批評することもなく、ほぼ相づちのみ。

そして最後は必ずこう返す。


「あんたが楽しかなら、そいでよかとよ。」



母は昔から、そうだった。私が何をするにも、

「やってみんね。」
「よかたいね、してみんしゃい。」

決して私の言動を否定をしなかった。


また、それで私が何か失敗しても、

「結果は結果たい。次もまた、がんばればよか。」

そう言って笑うような人だった。


私が物心つくころにはすでに父親がいなかったので、私は「父親」というものを知らない。
(母が還暦近くになって再婚したため、大人になってから父親はできたのだが。)

ただ、友人にはほとんど父親がいたので、自分にはいないその「父親たち」の言動にはやたら興味があった。
だから、よく彼らを観察したものだ。


これは完全に私の偏見だが、父親は子供に(特に息子だったら)過度の期待をしているのではないか、と思ってしまう。

子供に期待することが悪いことではないが、度を過ぎれば子供にとってこれほど迷惑なことはない。
自分の言うことをきかない子供に怒る父親、なんなら自分の子供を「ペット」か「道具」みたいに扱う父親が、散見されたのだ。


もちろん、そんな父親ばかりとは思わない。
だが、幼かった私が

「父親なんていなくて、ほんとに良かった!」

と思ってしまったのは致し方ない。


少なくとも、子供というのは「親のもの」ではない。



「無償の愛」という言葉がある。

相手の言動によって愛する度合いを変えたり、見返りを期待する前提の愛。それらと正反対の愛のことである。


たとえば太陽。

太陽は毎日必ず東から昇り、私たちに光をもたらしてくれる。私たちは太陽のエネルギーをもとに、さまざまな活動ができる。

それに対し、太陽は私たちに何の見返りも求めない。

それは空気しかり、水や食べものしかりである。


「ヒトは、愛からもっとも遠い存在だ。」

ある本で、そう嘆く著者を見かけたことがある。
私はこれに、疑問を持った。


果たしてそうだろうか?

ヒトとは、そんなに愚かなのか?

というか、身近にそうでない人がいるのだが。


それが私の母であった。


語弊を恐れずに言ってよいのであれば。

母は私に、何も口出ししなかった。
母は私に、何も命令しなかった。
そして母は私に、何も期待しなかった。

ただただ、無償に愛してくれた。
それはこの歳になった今でも、続いている。


いまだに迷惑をかけてばかり、まともな親孝行はできていない。

それでも母は、


「偉い人間や金持ちになんて、ならんでいい。
あんたはただ、私の息子であればそれでいい。」


話をするたびに、そう言ってくれているような気がするのだ。

大げさでも何でもなく。
母は、太陽だ。


お母さん、ありがとう。


(2025年モノカキングダムエントリー用として書きました!最後まで読んでくださり、ありがとうございます!)

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