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DRAGON QUEST I&II HD-2Dは"DQ -HOMECOMING-"の物語だった

様々な人が様々な視点と思いでこの作品について触れていますね。
クリア自体は発売から半月も経たない頃にしていて、noteの原稿も昨年には書き終えていました。
色々な人の考えを目にすることで少し変わることもあるかもと寝かせていた感じです。

DRAGON QUEST I&II HD-2D(ロト・トリロジー)は、DRAGON QUEST XIの結末でドラゴン(聖竜)から託されたクエスト(約束)に向き合うストーリーという時空を超えた壮大なストーリーとして再構築されている。

竜王を倒した直後に聞こえた「声」
因縁の「闇」との最終決戦

闇に包まれた世界に光と命をもたらした光の化身(聖竜)」、「世界に闇をもたらす大いなる意思(邪神ニズゼルファ)」、「聖竜が闇に立ち向かうために生み出した勇者(ロトゼタシアの勇者)」の関係性と運命を描いた作品ともいえる。この三者の関わりがシリーズ通して語られている。

しかし、テーマは別なところにあったと見ています。
シナリオ上の最終実績トロフィー「おかえりなさい」に象徴されるように、まさにトリロジーは"DRAGON QUEST -HOMECOMING-"だったように感じています。
みなが戻るべきところに戻れた、帰れたという意味で。

十六歳の日に魔王バラモス討伐を託されアリアハンを発ち、遂には遠く離れた異世界アレフガルドに渡り世界を闇に閉ざした大魔王ゾーマを打ち倒し光をもたらした勇者ロト。
しかし、世界を繋ぐ亀裂が失われ故郷の地を二度と踏むことが叶わないまま孤独な英雄として生涯を閉じることとなった。

(DQIII)

祖国で我が子の帰りを待ち続けた勇者の母、その母との再会を希求し続けた勇者ロトは失意のままに…千年を超える時の果てに奇跡が起こる。
勇者ロトの血を色濃く引くローレシアの王子は、アリアハンの勇者の生家・記念館でそこで働く女性と出会う。遙か遠い昔に離れ離れになった母子の記憶が甦る。

(DQII)
母子の再会。これは幻か、魂の邂逅か

記念館の女性は祖先の血縁者であり母の生まれ変わりなのだろう、ローレシア王子はロトの生まれ変わりだったのだろう。(※)
ながいながい時間はかかったが、勇者ロトはアリアハンに帰還できたのだ、母と再会ができたのだ。

※ロトゼタシアと派生した世界(IIIの上の世界とアレフガルド世界)では聖竜が作った魂の循環システムがあり輪廻転生的なものになっている。
また、勇者はその血族から来るべき時に生まれる定めにあり、さらに歴代勇者の生まれ変わりという設定がある。

(DQXI)

また、トリロジーを通じて重要な柱となる聖竜の化身となる竜の一族も同様だった。
光の化身であり世界の統治者という聖竜の系譜でありながら闇に飲み込まれた竜王。その竜王の一族が光に回帰し、ついに光の化身である白い巨竜として世界の統治者に戻ることができた竜王の曾孫。

この他にも「帰還」をテーマにしたエピソードが多く用意されていた。

オルテガとその子は故郷への帰還は叶わなかったが…
アレフガルドに帰還した精霊ルビスの「誓い」

代表的なものとして、
再び闇に覆われゆくアレフガルドへのロトの勇者の帰還。
竜王に攫われたローラ姫の帰還。
異世界に旅立った聖霊ルビスの帰還。
闇堕ちして魔物になってしまった大神官ハーゴンの魂が、竜の女王を慕い続けた弱い人間の神官長ハーゴンに戻るという帰還。
などがある。

ムーンブルク大臣の想いは「自由な人生」
ローレシア王の想いは「意志の尊重」

次代を託されたロト三王家の後継者達。
「自分の人生を歩め、帰る場所はここにある」というニュアンスで再び送り出されていて、これも将来の帰還である。

そうそう、ラダトームの王女ローラは「結婚と新天地へ」というダブルミーニングで「旅立ち」ますが、父王は快く送り出していましたね。

きっと「たまには帰ってきてほしい」と願っているラダトーム王

そして…不死鳥ラーミアも。

帰還したラーミアが誘う空の旅

実は、IIの真エンディングで登場するラーミアは「神鳥のたましい(神鳥レティスの失われた子鳥の魂)」を連れて飛翔している。
※レイアムランドのシーンではレティスの子鳥の姿を見ることができる。
つまり、DRAGON QUEST VIIIの世界を経てかつてラーミアと自身が呼ばれていた世界に戻ってきたことを示唆している。

再構成されたトリロジーでは、あるべき状態、あるべき場所に「戻る」ことがテーマだったのだろう。

ただ、お前の言う「あるべき」ではない

特筆すべき点としてドラゴンクエストという作品は、主人公と一体になったプレイヤーの主観で展開していく物語なのだが、トリロジーに関してはいくつかの客観的な視点から語られていたことが印象的だった。

この景色は…夢の妖精と勇者ロトだけが知る「場所」

聖竜、聖霊ルビス、ルビスに従う数千年を生きる妖精達の視点である。
特に夢の妖精、こだまの妖精はDQIIIの精霊の祠でオルテガ、その子であるロトとなる少年との出逢いから物語が紡がれていて、ある妖精は世界の記憶としても出来事を記録している。
その他にも大盗賊カンダタや吟遊詩人ガライの一族らもそう。
勇者ロトとその一族の軌跡を彼らの視点でも見守り伝えているというストーリーテリングが独特だった。
彼らにより伝えられた叙事詩だったように思います。

子の成長、家庭教育の重要性を感じます

このリメイクは賛否両論あり、賛の方が多いようです。
Iではトリロジーの空白、行間を埋める物語が描かれ、特に精霊ルビスにまつわる物語が用意されていました。
勇者ロトの子孫を名乗る青年の凄まじい強さもより濃く描き出されています。結局、どこの誰なのかは謎めいたまま…

IIではジュブナイルのフォーマットで現代劇のように世界の全容が描かれました。少年少女と世界のいのち達が希望に満ちた未来に向かい歩み出す物語です。
しかし、ジュブナイルすぎる世界観と失われるいのちの描かれ方、真のエンディングで描かれたその結末を受け入れがたい人も多かったようです。

また、無口な主人公をよそに会話が進められていくという感覚を持ったプレイヤーも少なくなかったようですが…これはプレイヤー自身がどう思ったか画面の外で「はい/いいえ」の決定にどういう意味を含ませたかなので、没入できた人にとっては不満は生まれなかったのでしょう。
あの場でローレシア王子が勝手に自分の意志を示し始めたらプレイヤーが介在する余地がなくなるので、親戚の子らのそばでその様子を一歩引いて見守る没入ができていたプレイヤーは楽しめたということです。
言い方を変えるとローレシア王子は「あなた」なので、セリフはその心が思ったモノローグがすべて。
少なくとも狂言回し役で常に会話を牽引するサマルトリア王子のあの振る舞いは現代のジュブナイルでは適切だったように思うし、その声を担当した福山潤さんの演技は非常に自然で秀逸だった印象です。

とはいえ強引なつなぎ方や設定の不完全さなどシナリオの欠陥がいくつか存在するので、もっと整合性を取るべきという意見には大きく賛同します。
ベラヌールで倒れた兄の知らせを聞き救いたい一心で家出した妹姫の説明がつかない行動(サマルトリア→ベラヌール→世界樹の島への移動方法。何もできぬまま家族や国民を失ったムーンブルク王女を前にして放ったセリフなど)は物語の根幹を毀損するので、これをスルーしたディレクターは率直に間抜けだと思います。問題ないと判断したならだいぶ愚かです。
(ゲームシナリオの進行管理をしていた経験があるので、体感的にディレクターが差し戻さなければいけない部分かと)

ただ、完璧な作品なんていうものは実はなく、受け手によって常にどこか足りなくてどこか余計に感じるものなんです。人間が作っている以上そうなんです。だから、ロトの物語の大団円としてみれば傑作だったんではないでしょうか。



ロトゼタシアの、遠い未来の世界はいったいどうなっていたんでしょうね

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