アウグストゥス
アウグストゥスは生涯、夢を重んじたと言う。自分の見た夢だけでなく、他人が見た夢まで気にしたというのだから念入りだ。スエトニウスの『ローマ皇帝伝』にそう書かれている。
紀元前63年9月3日に生まれて、西暦14年8月19日に死去した。享年75歳だ。古典古代では長寿と言ってもいい。病弱ではあるが慎重な性格と、狐のような狡知と夢見の神託を信じる精神性が為せる業だった。また41年を数える在位期間が、静かなる帝政を可能にした。
アレクサンドロスを獅子とするなら、カエサルは白象、そしてアウグストゥスは狐だろう。だが狐は強くない。狡知に長ける。そして時に残酷である。これは彼の運命を予告している。
時代は強さではなく、平和を求めていた。ローマ内戦は終わるべきだった。第一次三頭政治の三人が退場すると、第二次三頭政治が始まった。当時Octavius、オクタヴィウスと名乗り、ガイウス・ユリウス・カエサルの後継者を自認した。遺言状にそう書いてあったからである。
だがこれは誰も知らない話で、Quis est Octavius?(オクタヴィウスって誰?)となった。本人も遺言状を見るまで知らなかったと言われているが、実はそうではなくて、話はあった。
「……君はまだあの夢の事を覚えているか?」
ガイウス・ユリウス・カエサルは、
椅子に座るオクタヴィウスの額に手をかざした。
「はい」
紀元前46年、ヒスパニア、
オクタヴィウスはポンペイウス派の残党狩りに同行した。
「……大神ユピテル、大神ユピテル、
集い来りて、大いなる光、今ここに顕現せよ」
カエサルはPontifex Maximus(ポンティフェクス・マクシムス=最高神祇官)だった。ウェスタの巫女を率いて国の神事を司る立場だ。そして知られざる事だが、カエサルは神秘の力に通じていた。後世ではてんかん発作と誤解されているが、幽体離脱もできる霊能者だった。
タイム・バックリーディング。
過去に見たヴィジョンを再現し、共有する力だ。
ローマのカピトリウムの丘に、貴族の子弟が集められた。彼らは年少者の印である深紅で縁取られたトゥニカを着ていた。大神ユピテルは次の代のローマの支配者を選ぶと宣言し、少年たちは扉を開けて、大神ユピテルの前に立った。だが悉く帰させられて、落胆した。
だがオクタヴィウスの番になると、突如大神ユピテルは宣言した。
「ローマの人々よ。この者が次の支配者だ。
この者がローマ内戦を終わらせる」
そこでヴィジョンの再現は終わった。オクタヴィウスは目を瞬いた。
「この夢はキケロも招待しておいた。あとは彼を頼ってくれ」
キケロもこの夢を見ていた。元々彼もよく夢を見る質で『スキーピオーの夢』という著作を残している。夢で見た天上界を描いた。そこには英雄スキピオ・アフリカヌスが出て来る。
「……おじさん、私が後継者でいいのでしょうか?」
「ああ、私の運命は長くない。
軍人のアグリッパと商人のマエケナスもつけておく」
紀元前44年3月15日、大叔父は世を去った。クラッススの仇討ちとはしゃいでいたパルティア遠征も中止となった。オクタヴィウスは参加予定だったが、ローマに戻った。そこでアントニウスと対立した。カエサルの遺言状を巡って、莫大な遺産は渡さないと言われた。
キケロが間に入り、
まだ19歳だったpuer(プエル=少年)のサポートに入った。
紀元前43年12月7日、キケロは処刑された。アントニウスがオクタヴィウスに要求したからである。その右手と頭部はローマのフォーラムに置かれた。オクタヴィウスとしては望んだ結果ではなかった。だが第二次三政治は粛清で始まった。もう陽気な人たちはいない。
紀元前42年1月1日、元老院によって、ガイウス・ユリウス・カエサルは神に列せられた。神君カエサルとなり、オクタヴィウスはその神君の子となった。当然、権威は増した。
紀元前42年10月3日、フィリッピの戦いで、アントニウスと連合して、ブルトゥスとカッシウスの連合軍を破った。だがオクタヴィウスは戦下手かつ体調不良で寝込んでいた。戦いはアントニウスが片付け、自軍ではアグリッパが活躍した。カエサルが付けたサポート役だ。
紀元前40年、ブルンディシウム協定が結ばれ、アントニウスは豊かな東方、オクタヴィウスは西方、レピドゥスは南方北アフリカを担当して、それぞれの勢力圏とした。
紀元前36年9月3日、ナウロクス沖の海戦で、アグリッパが勝利してレピドゥスは失脚した。オクタヴィウスは最高神祇官の地位を、死後レピドゥスから奪った。権威は増した。
紀元前34年、アントニウスがアルメニアに侵攻し、国王を捕虜にした。そしてローマではなく、アレクサンドリアで凱旋式を行った。これはローマ人も怒った。
紀元前33年1月1日、オクタヴィウスは、元老院にてアントニウスとクレオパトラに、宣戦布告の決議案を出した。そしてウェスタの巫女から、アントニウスの遺言状を奪い、その内容を公開した。ローマの征服地は、アントニウスの子に受け継がれる事が書かれていた。
クレオパトラとアントニウスには、アレキサンドロス・ヘリオスとクレオパトラ・セレーネーという二人の子供がいる。例の太陽の王子と月の姫だ。これはローマ人も怒った。
紀元前31年9月2日、アクティウムの海戦が起きた。アグリッパの活躍により、オクタヴィウスは、アントニウス・クレオパトラ連合軍を破った。
紀元前30年8月1日、アントニウスとクレオパトラが死去した。オクタヴィウスは、カエサルとクレオパトラの子、カエサリオンを処刑し、太陽の王子と月の姫は生かして引き取った。後世、この血筋から、カリギュラ、ネロなどの皇帝が生まれている。
紀元前29年、オクタヴィウスはローマで勝利の凱旋をして、元老院の第一人者、Prīnceps プリーンケプスになった。かつてスキピオ・アフリカヌスがそうだった。権威は増した。
紀元前27年1月13日、オクタヴィウスは全ての特権を元老院に返し、共和政への復帰を宣言した。だがこれは巧妙な罠だった。執政官職は離れず、Imperium(インペリウム=命令権)を保持した。これがImperator(インペラトール=命令者=皇帝)、帝政の始まりだった。
紀元前27年1月16日、
元老院はオクタヴィウスにアウグストゥスの名を贈った。
紀元前18年、ユリウス姦通罪・婚外交渉罪法、ユリウス正式婚姻法を制定した。アウグストゥスは結婚は道徳的であるべきと法で定めた。大叔父が聞いたら、何と言うか?
紀元前12年、アグリッパが死去した。
紀元前8年、マエケナスも亡くなった。
紀元前2年、元老院はアウグストゥスにpater patriae(国家の父 ) の称号を贈った。この称号の先代は、アウグストゥスが殺害している。決して、本意ではなかったが……。

夜景
アウグストゥスは悩んでいた。後継者問題である。ティベリウスがいるが、なるべく帝位を渡したくなかった。もし彼に帝位を譲るとしても、それは最後の手段にしたい。あの手この手を使って、何とか後継者を育てようとした。できれば、自分の血を引いた者が相応しい。
後継者候補は多い方がいい。選択肢は増やしたい。だからアウグストゥスは孫を大量生産したかった。そのため娘のユリアには、沢山の子供を産んでもらう必要があった。だから14歳になると彼女は、アウグストゥスの甥マルケルス18歳と結婚した。だが2年後、夫は死んだ。
アウグストゥスは考えた。一人娘のユリアに、孫を作ってもらわないと困る。そこで腹心の部下アグリッパと結婚させた。42歳と18歳だ。この結婚は上手く行った。ユリアは三男二女を産んだ。彼女は立派に任務を果たした。親の期待に応えた。だが9年後、夫は死んだ。
アウグストゥスは考えた。まだ足りない。選択肢は多い方がいい。そうだ。ティベリウスがいるではないか。今の妻と離婚させて、ユリアと結婚させよう。だが31歳と28歳の結婚生活は破綻した。ティベリウスはアウグストゥスに復讐したのだ。このような事は許さないと。
ティベリウスは、アウグストゥスの妻ユリア・アウグスタが連れてきた子供で、最終的にアウグストゥスの養子になった男である。優秀な軍人で、アグリッパ亡き後、ローマ軍を支えた。だが軍事に暗いアウグストゥスと意見を異にし、特に対ゲルマン戦略では距離を取った。
アウグストゥスとティベリウスは、顔を合わせていなかった。お互い嫌いなのだ。この間にユリアが立たされ、子供を作れと強いられる。アグリッパとの三男二女のうち、男子は全て死に絶えた。アウグストゥスは焦っていた。そして在り得ない圧が掛かり、ユリアは決壊した。
紀元前2年、アウグストゥスが「国家の父」になった時、37歳のユリアは、夜のローマの街を自由に歩き回り、タベルナでローマの男たちと遊んだ。クレオパトラとアントニウスがアレキサンドリアでやった「真似できない暮らしの会」のローマ版だ。国家の父は怒った。
「何か、言う事はあるか?」
兵士に連れて来られたユリアは、アウグストゥスを見て言った。
「ユリウス姦通罪でも、婚外交渉罪法でも、ユリウス正式婚姻法でも、何でも私に適用すればいいのよ。国家のお父さん!でも神君カエサルなら何て言うでしょうね?」
アウグストゥスは、法廷に娘を立たせずに、自分の家で起きた不祥事として、家長の掟に従って、この件を裁いた。他人に口出しはさせない。ユリアは離島に追放となった。

黒い森
アウグストゥスは、アグリッパを失ってから、軍事面で見解が揺らいでいた。ライン川の向こう側にいるゲルマン民族を討伐したかった。神君カエサルも為しえなかったゲルマン征服だ。今の国力なら、不可能ではないのではないか?アウグストゥスは宮殿で軍議に掛けた。
「ローマの勢力圏はライン川までです。
あの黒くて深い森に入るべきではない」
ティベリウスだった。
絶対、邪魔して来る。なぜこうも反対する?
「……だが試しもしないで、無理と決めつけるのはどうか?」
プブリウス・クィンクティリウス・ウァルスだ。西暦7年にゲルマニア総督に就任している。アウグストゥスのお気に入りで、アグリッパの娘(ユリアの子ではない)が嫁いでいる。
「私は反対です。
神君カエサルも試して退いている。
アグリッパも止めた」
ティベリウスは言った。ガリア戦争の時、カエサルはライン川を越えた事がある。だがすぐに退いた。
西暦9年9月、トイトブルクの戦いが起きた。だがローマ軍は壊滅した。3個軍団と補助兵、騎兵を合わせて2万以上が戦死した。ゲルマン諸部族を率いたアルミニウスは、森の中でゲリラ戦を仕掛け、ローマ軍と正面から戦うのを避けた。嵐の夜、湿地帯というのも有利に働いた。
「Quintili Vare, legiones redde!」
(クィンクティリウス・ウァルスよ。軍団を返せ!)
アウグストゥスは狂ったように、ローマの宮殿を歩き回り、叫んだ。だが後始末をしないとローマの安全保障にかかわる。止む無く、ティベリウスをゲルマニア総督に就任させた。

本
A journey to the twilight of life.
あれはまだ孫たちが生きていた頃の話だ。
アウグストゥスが図書室に入ると、孫たちがいて、何か巻物を広げて読んでいたが、祖父の姿を見ると、たちまち丸めて背中に隠してしまった。アウグストゥスは微笑んだ。
「別に怒らないから、何の本を読んでいたのか、教えておくれ」
孫たちは互いに顔を見合わせると、その巻物の筒を捧げた。
「キケロか……」
懐かしい。広げて読むと、鮮やかにローマ内戦が蘇る。クラッススが金の山を築き、ポンペイウスが寝取られ、カエサルが凱旋する。第十軍団の兵士から「ハゲ」と罵られていた。
そしてカティリナ弾劾では、あたかもキケロは国家の救い手のように書かれ、自画自賛の限りを尽くしている。そして国家の父の称号さえ得た。アウグストゥスが殺して、後を継いだが。
「共和政の理想に燃えた、真の男だったよ」
アウグストゥスは韜晦せず、言った。時代は過ぎ去り、ローマ内戦を終わらせた。だが大神ユピテルはアウグストゥスに後継者を選ばせず、全ての孫たちを夭折させた。二代目はティベリウスに譲るしかないだろう。これも運命か。運命に逆らう事はできないのか?
シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺075
ギリシャ・ローマ編 政治家編 5/5
