脳裏にこびりつく恥ずかしさ。空飛ぶのど飴
寒い。高校生の私は帰りの電車を待っていた。
田舎の無人駅。待合室で1人、次の電車を待っている。外は雪がちらほら降り出していた。ぽたんぽたんとどこかの水滴が落ちる音が響き、窓ガラスは溶けかけた氷の板のようになめらかに濡れていた。
静まり返ったその空間に、引戸を開ける大きな音が響く。
楽しそうに笑いながら入ってくる3人組。制服を見てすぐに隣の男子校の生徒だとわかる。3人は私の正面のベンチに向き合う形で座った。そして大きな声で誰かのモノマネをして盛り上がっている。
顔も知らない彼らの担任は、どうやら授業中に自分の顔を撫で回す癖があるらしい。
コホッ 小さな咳をした。朝から少し咳が出ていたのだ。ポケットからのど飴を取り出して口に放り込む。風邪気味の女の子は儚げで少し可愛いのではないか。そんな思惑も僅かにあったかもしれない。いや、あった。
しかしその咳は喉の辺りで突如形を変えた。小さくこの世に生まれた咳は、更なる咳を呼び、あっという間に生みの親にも制御できない化け物に育っていく。
止まらない、咳が止まらない。
次から次に込み上げて、大きくなっていく咳。苦しさに揺れ、涙でぼやけた世界の先にうっすらと男子高校生の視線を感じた。
そして嗚咽まじりの咳は、私の口から勢いよく舐め掛けののど飴を連れ去っていった。
口から放たれたのど飴は、低く弧を描きながら男子高校生の方へ飛んでいく。そして真ん中に座る1人の足元に落ちた。
カラン
のど飴は、すぐに止まればいいものをクルクルともったいぶるように回りながら速度を落としている。やめて…もうやめて…!!もうそれ以上回らないで!早く止まってくれ…!心の中で絶叫する。生まれて初めて恥ずかしさで気絶しそうだった。
のど飴は気が済んだのか回るのをやめ、静かに止まった。
私は無関係だ。世界中にそう叫んで回りたい。そののど飴のツヤ感と、私の唾液は無関係なのだ。その飴はくるくる回っていただろう、もっと溶けてねばねばしていたらそんなに回らないはずだ、言いたい事がわかるか!?サラッとしているんだ!その子は!その子はまだ!生まれたてだぞ!
いや!私は無関係だ!!
のど飴が口から飛び出したことよりも、誰からも望まれていないのに、くるくると回ってみせ、わずかな粘り気によってぬっっと止まったことが、その時はなぜか死ぬほど恥ずかしかった。のど飴が深い焦げ茶色だった事も恥ずかしさに拍車をかける。飛ぶ気があるなら綺麗な色であれ!のど飴にまで強い覚悟を求めてしまうなんてどうかしている。
咳に効くのど飴を渡してくれた母のことも、向き合う形にベンチを並べたJRも、のど飴を我が家に持ち込んだ富山のおじさんの青髭まで全てが恨めしい
ああ見ないで…誰も見ないで…そう願っても、そうはいかない。飛ばす前の私は、大きな咳き込みによって周りの注意を最大限に引き付けていた。
その大観衆を前に、舐め掛けののど飴は飛んだのだ。
考えるよりも先に、体が勝手に動き出す。渾身の競歩で引き戸まで辿り着き、待合室を飛び出る。そして大きな音を立てて引き戸を閉めた。絶対に振り返ってはいけない。そう思って3歩ほど歩き出した瞬間、背後で爆発音が響く。
男子高校生達の笑い声だった。
今の私なら、今日はあんまり飛ばなかったな、みたいな顔で首を傾げながら飴を拾い上げて自然に立ち去れただろうか。
それとも、すぐさまのど飴に駆け寄り「私の連れです」と男子高校生に舐め掛けの飴を紹介する恐ろしい女になれたかもしれない。
しかし高校生の私はまだ未熟だった。まだあの恥ずかしさを正面から受け止める事ができなかったのだ。どんなに思い返しても、人生においてこれを超える恥ずかしさにはなかなか出会わなかった。今までそう思って生きてきた。
しかし最近、何かがおかしい。
昔からの友人と会うたびに、次から次へと忘れていたはずの恐ろしい出来事がよみがえり、私の中でふんわり消し去っていたものと正確に合致していくのだ。
研修のプロフィール欄に、SASUKEが好きです。と書いていた後輩に、私もSASUKE好きなんだよ〜と黒虎軍団の関係性やサーモンラダーについて得意げに話しかけた後日、後輩が好きなのはSASUKEではなくSUMIKAというミュージシャンだったと知ったあの日も。
広末涼子のモノマネをしながらラジオ番組風にトークしたり、鼻にかかった声で歌いあげた『MajiでKoiする5秒前』の録音テープが、お茶を用意する間に何故か友達の前でしばらく再生されてしまっていたことも。
え?今のってミチだったよね?と追及されたことも。
のど飴に比べたら、全然平気、全然大丈夫だ、と自分に言い聞かせてきたこの出来事たちも、もしかするとのど飴と同等か、人にとってはのど飴を上回る恥ずかしさだったのかもしれない。
友人はSASUKEについて早口で喋る私を想像しただけで恥ずかしすぎて死にそうだったと言う。そしてどんな顔をしてその後生きてきたのかと、大真面目な顔で聞いてくるのだ。
でもこうして自分の恥ずかしさを世の中に公表していく中で、私には新たな可能性が見えてきている。
恥ずかしさは、ある程度人に受け渡せるという事だ。
現に私は今こうして、シラセミチというペンネームに全ての恥ずかしさをまとめて引き受けてもらおうとしている。
そしてこれを読んで、うわぁぁと同じように恥ずかしくなった人にも、恥ずかしさを勝手におすそ分けし、何らかの母数を増やしながら、どんどんと他人事として、この話を自分から切り離しにかかっているのだ。
あはは、のど飴を飛ばした人がいるんだねぇ、愉快だねぇとナチュラルに言えるのもあと少し、時間の問題だ。
脳裏にこびりついていた恥ずかしさは、世に出すことで私から離れていく。これはすごい発明なのではないか。こうしてあれやこれや書き続けていけば、私だけの恥ずかしさなんて、いつの日か全て消えてなくなっていくのかもしれない。
恥ずかさが消えていく。なんて心地よいんだろう。
私はまたこうして少しずつ自由になっていくのか。どことなく図太く、強さも増している気がする。
これは私が文章を書くようになったからなのか、
それとも単に年齢を重ねたからなのか。
どちらも悪くない。最近は素直にそう思えている。
