YOASOBIとデジタル風土ー初ライブ in Seattle|シン・アメリカ・モノガタリ
八月十二日
YOASOBIのライブを観た。YOASOBIはアジア、ヨーロッパ、北米と三つの地域でライブツアーを実施しているが、シアトルに来たのは初めてとのこと。
Ayaseは、シアトルをやけに気に入ったように見えた。(シアトルが好きだと何度も言っていた。お世辞と言ってしまえば、それまでである。だが、何となく、心の底から言っている感じがした。)ライブまでの二日間、ウォーターフロントの観覧車やクルージングを楽しんだとのこと。Ayaseはもっと大きな存在になって、シアトルに戻ってくると約束した。そうまで宣言してくれると胸が熱くなる。
音楽以前に、Ayaseも、ikuraちゃんも、いい人であることが、言葉や動きのふしぶしから伝わって来た。おじぎの深さとか、ikuraちゃんの英語の上手さとか、終演後も観客に時間をかけておじぎをするところとか、観客を想う姿勢が一貫していた。言葉や動きは、一日で為せるもんではない。長年の生きざまが、にじみでるものだ。いいひと、という人間味が、はっきりと伝わる、とても温かいパフォーマンスだった。
ライブは、絶対的一回的舞台。そして、いいライブは、パフォーマンスがよいか悪いかというより、アーティストと観客がいかに一体になれたか、だと思う。最初は、アーティストと観客で綺麗に二分されている。それが、何曲も経て、だんだん一体になってゆく。それがライブの醍醐味であるし、アーティストの腕の見せどころではないか。ライブの演出は、アーティストによってさまざまであるが、YOASOBIは、とにかく舞台装置に凝っており、同時に、なつかしさや安らかさによって、観客と一体になっているように感じた。
さらに深くいえば、デジタル風土を表現することで、一体感が醸成されていた。現代人とデジタル空間との関係が、かなり強く意識されて、演出に取り込まれていた。(デジタル風土については、文芸誌『現代人5』「デジタル風土論(一)」を参照のこと。)象徴的なのは、ステージにつけられた六枚のスクリーンである。それは、Ayaseとikuraちゃんの足元に一枚ずつ、二人の背景を覆うように一枚ずつ、ステージの様子を映すスクリーンとして両脇に一枚ずつ置かれていた。
Ayaseとikuraちゃんの背景と足元のスクリーンには、曲にあわせて、世界観を表現した映像が展開する。両脇のスクリーンには、Ayaseとikuraちゃんのリアルタイムの姿が、ドアップで映し出される。そして、面白いのは、定点のカメラから、Ayase、ikuraちゃんを撮影すると、背景と足元のスクリーンも一緒に映りこむようになっており、Ayase、ikuraちゃんが、背景の映像に溶け込んだような映像となるのである。(より細かく言えば、映像は三層構造になっている。背景、生身の人間、さらに表を流れる細かい泡や風船等の映像、という三層構造である。この映像を観ると、まるで、Ayaseとikuraちゃんが、映像の中の住人であるように感じられる。)
曲が映像化されたものと、曲をつくったアーティスト本人が、一つのスクリーン上に溶け合わさる。それは、デジタル空間と現代人の関係が、そのまま具現化したと言って差し支えない。つまり、YOASOBIのデジタル風土が表現されているのである。
観客は、生身のAyaseとikuraちゃんだけではなく、曲の世界観が表現された映像も、さらには、YOASOBIのデジタル風土が表現された映像も、ひとつの視野におさまる。私たちは、YOASOBIの世界観を三重に感じながら、ikuraちゃんの透明度の高い生歌を聴いてゆくのだ。すると、ただ、生歌を聴くのとはちがって、YOASOBIの世界観に入り込んだような気分になる。

YOASOBIは、漫画、アニメ、ネット小説、さまざまな物語を糧に、ひとつの曲に仕上げ、YouTube上にイラストやアニメーション映像と合わせて出すことで、一世を風靡して来た。日本の現代文化の結節点にして、デジタル空間の申し子である。だからこそ、YOASOBIは、デジタル風土による表現がうまくハマるし、かつてウェブサイトで見たYOASOBIの姿がフラッシュバックする。
とくに、『BABY』という曲は、映像がミルクティー色に染まりながら、なにかの懐かしさに満ちていて、場はゆったりと安らいでいた。懐かしさや温もりでホールが一体化する、それはとても現代的な優しい表現におもわれた。
また、『勇者』では、アニメ『葬送のフリーレン』の冒険と追憶のテーマに合わせて、淡い色の草原の映像が流れていた。その映像を背景にYOASOBIは溶け込み、新しい冒険にくりだす、しずかな高揚感が湧き立ってくる。
さらに、『優しい彗星』では、アニメ『BEASTARS(ビースターズ)』の草食獣と肉食獣が葛藤しながら共存する姿が背景に流れている。おだやかな旋律に、透明感のある歌声、ライブの中でも印象に遺る、美しい曲だった。
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