「他人の嘘は見破れない」ーーー人間洞察の"思い上がり"と"思いやり"
①人間洞察の不確かさ
人間洞察というのはきわめて一方的なもので、人間のほんとうはわからないものだなと、ぼくはよく思う。
友人たちは、ぼくが内気で飽き性で自分勝手な人間だとは思っていないだろうし、彼らをはじめて見たときの「相容れない感覚」とは裏腹に、ぼくはかなりの長期間、仲良くさせてもらっている。(最後部の *おまけ を参照)
・非モテはひと目で見抜くことができる
・修羅場をくぐってきた人間は顔つきでわかる
・仕事ができる人間はおでこを出す
・サッカーが上手いやつは雰囲気でわかる
・筋肉マッチョは喧嘩がつよい
これらの言説をぼくは、
嘘か、
思い上がりか、
かんちがい、
このどれかである場合が
ほとんどである、と考えている。
人間観察や洞察力に自信のある人は、
ぜひ読んでみていただきたい。
また、
悪気がないのにかんちがいされる人、
周囲からのイメージに苦しんでいる人、
思っていることが上手く伝わらない人、
そんな方の気休めの一助になれば幸いである。
②インサイダーゲームという嘘発見不可ゲーム
インサイダーゲームという、
カードゲームをご存じだろうか。
かんたんに説明すると、参加者全員で「お題が何か」を"質問"によって導き出していくゲームなのだが、そのなかには、"インサイダー"と呼ばれる「答えを知った人間」がまぎれこんでいる。
みんなで答えを導き出したのち、「答えまで誘導していたインサイダーが誰だったのか」を"話し合い"によってあぶりだすというゲームだ。

「それは食べ物ですか→No」「それは概念ですか→No」「それは生物ですか→Yes」みたいに。
この質問のクオリティや質感で、インサイダーを疑っていくというゲーム。

正解 ➡ 民衆とインサイダーで最終議論
ゲームの趣旨は、「華大千鳥」というテレビ番組の「スパイ企画」に似ているので、もしご存じの方がいればイメージしやすいのではないかと思う。
③「挙動で考えがわかる」という思い上がり
これらのゲームを、10年来の友人たちとやったとき、ぼくの人間洞察への自信はゆれにゆれ、人生観が変わるほどの衝撃をうけた。
というのも、
人間のアクションやリアクションというのは、
予想をはるかに越えて千差万別で、かつ、
その事実をまったく誰もわかっていない。
・ふつうにしているのにあやしまれる
・しゃべりすぎてあやしまれる(逆もあり)
・陽動作戦で場をカオスにもっていく
・あいづちでさりげなく民意をうごかす
・図星だったときの挙動:あたふた
・図星だったときの挙動:逆ギレ
・図星だったときの挙動:なすりつける
・顔で毎回のごとく票があつまる
・興が高じてあやしいムーブをする
・急にトイレにいく頻尿芸人
・かげで人をずっと見つめる(恋ですか?)
・視線があつまりニヤニヤ(これは何?)
このような人間ばかりなのである。
これらは一例だが、インサイダーか否かにかぎらず、ゲーム中の挙動が人それぞれちがい、緊急時の挙動もちがう。ゲームを経てその挙動も変わっていくし、"思考スキル"と"挙動スキル"にズレがある人間ばかりだ。そして、それを「あやしい」と感じるポイントや具合も人それぞれなのである。
そして、たいていは、まったく関係ない「顔がイヤらしい」というだけの人間が、ギリギリのところで最後の票を集めてしまうのである。
(ニヤニヤしてないで、もっと弁明しろ!笑)
④「嘘をついたらわかる」という思い上がり
つまり人間というのは、
嘘をまったく発見できない。
洞察力に自信のある人間というのは(そのへんにゴロゴロいると思うのだが)、たぶん思い上がりである。それが嘘ではないという証明は、やはり証拠からしか成立しえないのだな、と司法の盤石さに頭があがらない。
あやしい挙動をしたとして、それが、
「嘘」なのか、
「性質」なのか、
「癖」なのか、
「庇護」なのか、
「興」なのか、
可能性の分岐が多すぎるのだ。
仮に嘘をついていることがわかったとして、なぜ嘘をついているのか、なにに嘘をついているのかがわからなければ、その人間についてわかった気になるのは早すぎる。また、嘘そのものに関して人間性を疑う者もいるかと思うので、ほんとうに人間というのはさまざまで、見抜けない。
しぼっていくことはできるかもしれない。
でも、一目で見抜くことは不可能だとおもう。
(宝くじといっしょで、当たることはもちろんあるけども)
⑤「わかってあげられない」という思いやり
先日、会社の新人からこんな相談をうけた。
「上司が不機嫌で冷静な話し合いができない」
「前提の価値観がちがいすぎて疲弊する」
「メッセージ以外の拡大解釈をされてしまう」
過去、近況、今この瞬間、のように大きく3つに「時間軸」をわけたとして、「挙動」「表情」「口にした言語情報」「トーン」「文脈」「関係性」「バックグラウンド」など、これだけでも何億何兆通りに分岐し放題である。
このように、正確に思ったことを伝えようとおもっていても、いろいろな情報や背景から、人間は深読みをすすめてしまう生き物だと思う。
気をつけていても、
100%に近づきはするものの、
100%わかってあげられることは、ない。
同様に、
恋人とはどうだろうか。
親友とはどうだろうか。
家族とはどうだろうか。
「こいつのことはおれが一番わかっている」という思い上がりは、親密度にかぎらず、どの人間関係でも起こりえるとぼくは思う。
しかもそれを恣意的にコントロールしようとする人間(自分を良く見せよう、誰かを悪く見せよう etc…)がいれば、正しく人間の"人となり"を把握することは不可能にちかい。
こういう前提で人間と付き合えると、
不必要に悩むことはなくなり、同時に人は、
優しくもなれるのではないかと思う。
相手を決めつけず、
相手について知ったような顔をせず、
いろんな背景を想像し、
それも可能性の一つにすぎないと考える。
こういう態度を人は、
「思いやり」
と、呼ぶのではないだろうか。
*おまけ:仲間たちとの定期的逃避行
本編を有料にする予定でしたが、どうしても読んでほしい内容だったため "おまけ" だけを有料にしました。ここまでで十分面白かったよ、という方はぜひお読みください。
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