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なぜ高校で「探究」の時間ができたのかなぁ

去年、母校が100周年を迎え、なぜか実行委員になってしまった私はなぜか式典係になっていました。
いや、全然イヤイヤではないんです。
人生で4回目(そのうちの3回は高校時代)の文化祭みたいな感じで、楽しめました。
中でも、司会を務める生徒会副会長のお二人への指導には熱が入りました。
そして、当日はもう完璧な司会!
原稿に一カ所表現がとても難しいところがあったのですが、そこもバッチリでした。

そんなことがきっかけで、担当の先生から「探究のプレゼンテーションの指導をしてほしい」と依頼があって、先日またまた母校に行ってきました。

私は常々言っていますが、「伝えたい内容」と「伝わる表現」は両輪だと思っていて、いやでも、どちらかといったら「伝えたい内容あっての表現」だと思っているので、話し方の指導だけでは足りないと感じます。

つい先日長野県立美術館に『春陽会誕生100年 それぞれの闘い 岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ』展を展を見に行ってきました。

中川一政さんの絵にはこんな言葉が添えられていました。

私は技術というものを第一に考えなかった。描きたいものがあれば必ず技術はついてくると信じてきた。描きたいものがはっきりしないから描けないのだと思う。とにかく描きたいものがあれば描ける。下手、上手は後のことだ。研ぎ澄ませ、眼を、と自分に問う。

中川一政

プレゼンテーションも、まさにこれだと思うんですよね。
伝えたいことがあれば表現の技術は後からついてきます。

アナウンサーに話し方を指導してほしいと希望する方は「綺麗な声でスラスラうまく話したい」という方がまぁ多くて、「正しい話し方、うまい話し方を教えてくれると思っていたら「まず内容」と言われ、これでは受講した意味がない」という感想をいただいたりするんですよねぇ。

正しい話し方、表現における正解ってなんだと思いますか?
そもそも「うまい話し方」ってどういう話し方でしょう?
アナウンサーのように話すことが正解でしょうか。

本当に伝えたいことを伝える時の熱量って、「うまい話し方」を凌駕すると私は思っています。

今どきAIアナウンサーもすごく自然です。滑舌もいいし、言い淀むこともありません。
でもAIアナウンサーでは伝わらないものがあると思いませんか?

下手上手を気にするな。
上手でも死んでいる画がある。
下手でも生きている画がある。

中川一政

私は「あなた」が「これ、ぜひ伝えたい!」ということを話すからこそ伝わるものがあると思っています。
探究もそうじゃないのかな。

私は高校生の皆さんのプレゼンテーションをお聞きして、「なぜあなたはこのことを探究しようと思ったんですか?」と毎度毎度質問しました。
そうすると、みなさんとてもイキイキと探究しようと思ったきっかけを話してくれます。

「放射線の影響」について探究した子は「放射線というものは怖いというイメージがあるけれど、役に立つ効果があるのでそこを探究しました」という話からプレゼンテーションが始まりました。
内容は「なるほどー」というもので、よく探究したなぁと思いましたが、そもそもなぜ放射線のことを探究しようと思ったのか気になって聞いてみました。
すると「小学校の時キュリー夫人の伝記を読んで、ずっと放射線に興味を持っていました」って。
ぜひその話を冒頭に入れて!と伝えました。
その話があるかないかで説得力が変わります。
なぜ「あなたが」それについて探究したのか、ストーリーがあると聞き手の心に響きます。

私は「伝わる声」や「伝わる話し方」について指導をしますが、それってあくまでも手段です。
伝わる声や話し方を身につけて「あなた」は「何」を伝えたいのか、まずそこがあって、次にその伝えたいことを自分が思うように聞き手に伝えるためにどう話すか、なんだと思います。

ただ、声が聞こえないとか、はっきり聞き取れなくて何を言ったかわからないとか、そこは「あなたならではの表現」以前の問題なので、アナウンサーの発声スキルを学ぶことで改善されます。
つまり、発声スキルはスポーツでいうところの基礎体力で、基礎体力あっての高パフォーマンスなんですよね。
コツコツ続けること、練習を積み重ねること以外に基礎体力をつける方法はありません。すぐ大谷翔平にはなれないのです、残念ながら。

というわけで、タイトルに戻りますが、文部科学省の冊子にこう書いてあります。

総合的な探究の時間は,探究の見方・考え方を働かせ,横断的・総合的な学習を行うことを通して, 自己の在り方生き方を考えながら,よりよく課題を発見し解決していくための資質・能力を育成する ことを目標にしている

文部科学省「今、求められる力を高める総合的な探究の時間の展開」より

なるほど。
そういう意図で探究の時間ができたんですね。

自己の在り方生き方を考える…ってことは、探究の授業ってまず自分を探究したらどうかな。
自分って何に興味があるのかなとか、好きで好きで究めたいと思ってることって何かあるかなと考えてみるところから始まるのかなと。
「探究するネタ探しが大変」みたいな話を聞きますけど、そんな時こそ自分を振り返って「問い」を探してみたらどうでしょう。

・昔から疑問に思っていること
・嫌だなぁ、理不尽だなぁと思ったこと
・他の人はどう思っているんだろうということ
・自分はどうしたらいいんだろうと思うこと

なぜ探究したいかがはっきりしていたら、もっともっと知りたくなったり、深く考えてみたくなったり、わかったことを誰かに伝えたくなったりするんじゃないかなと思います。
「わー、これ誰かに話したーーい!!」という思いがある時って、表情豊かにイキイキと表現するんですよ、誰でも。

でも、ここまで書いてきたことと違うじゃんと思われるかもしれませんが、私は、探究しなきゃいけないからネタを探すっていう逆パターンも実はアリだと思っているんです。
そこから思いもよらぬものと出会って新たな自分が見つかったり、そういうことって人生に結構あると思いませんか?

または、題材がすでに決められていて、「私、それに全然興味ないんだけど…」ということに取り組まざるを得ないこともあるかもしれません。
そんな時は「へぇー」を大事にするといいと思います。
ちょっとしたことでいいんです。
活動する中でちょっとでも「へぇー」と思ったことがあったら、興味を持って探究してみてください。

その「へぇー」が人生を変える出会いになるかもしれませんよ。

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