「論理的」って音も字面もロンリテキ
もう全然noteの更新ができてないので、こうなったら過去の文章を出すことにします。
言い訳
仕事をしたら記録するためにnoteを始めたのに、全く記事の更新ができていません。
夏には創作大賞にかこつけて息子の文章を借りて投稿する始末。
去年(2024年)の4月に「昨年度(2023年)の仕事まとめ①」投稿し、「全3回に分け、次は〝講座編〟を書きます」と書いてから、もう1年。
ヒィィィィーーー。
なんなのォーーー。
時間が過ぎるの、早すぎなんじゃないのーーー。
そんなわけで、もう「昨年度(2023年)の仕事まとめ」は諦めます。
だって、昨年度じゃなくて、もはや一昨年度なんだもの。
じゃ、今度はちゃんと「昨年度(2024年)の仕事まとめ」を書くのかっていうとそれも厳しいので、もうこうなったら過去に書いた文章を出します。
これならストックがあるので間を空けずに投稿できそうですが、またまた裏道案件だけが積み重なるっていう…。
まぁいいか。
論理的に話すということ
先日、とある団体の仲間と打ち合わせ(という名目の雑談)をしていて「草田さんは話がうまくていいわねぇ」と言われました。
いいえ、私は話がうまいんじゃありません。
私の周りで起こった面白おかしい出来事を常にストックしていて、今このネタを出したら盛り上がりそうってときに、その場面を具体的に(若干盛って)再現しているだけです。
特別な能力はいりません。
ネタをストックしとくだけです。
でも、世の中の「うまく話したい」という皆さんは、私のように面白おかしく話すんじゃなくって、知的に話したいというご希望のようで。
「どう話せるようになりたいか、理想は?」という女性を対象にしたアンケートを見たら「論理的に話せるようになりたい」がとっても多かったんです。
某元総理の「女性は話が長い」発言にもあるように、「女性は(というか、自分は)論理的に話せない。話せるようになりたい」と思う方が多いのでしょうか。
・論理的に話せることはいいことだ。
・数値やデータを用いて話さなければ伝わらない(データのない意見は価値が低い)。
・端的に簡潔に伝えることがいいことだ。
・言葉がすらすら出てくることがいいことだ。
・即座に自分の意見を言えないので克服すべき。
・話している途中で何を言っているかわからなくなるのはよくない。
・論調は(思考は)ブレてはいけない。
・論理的思考を身につけるために子どものうちから日々トレーニングさせた方がいい。
「論理的」
声に出して言ってみて。
ラ行タ行カ行の音が続くからキレがありますね。
文字の形状も直線的で画数が多くて知的なイメージ。
確かにカッコいい言葉だな、うん。
でも、論理的に話せるようになりたいって人に実際に聞いてみたいのですが…
なぜ論理的に話せるようになりたいのですか?
なぜ数値やデータを用いて話したいと思うのですか?
なぜ端的に、簡潔に伝えたいと思うのですか?
なぜ言葉がすらすら出てくるようになりたいと思うのですか?
なぜ自分の意見を即座に伝えられるようになりたいのですか?
なぜ話している途中で何を言っているかわからなくなるのはよくないと思うのですか?
なぜ思考がブレないようにしたいのですか?
なぜ子どもの頃から論理的思考を身につけた方がいいと思うのですか?
例えば、こんなことはありませんか?
論理的に話されると、なんだか冷たく感じる。
数値やデータが証明していることはわかるけど、数字の羅列は正直ピンとこない。
発言が端的すぎて、命令されているように感じる。
すらすらと流暢に話してすごかったけど、結局何を言ってたんだっけ?
即座に意見を言われると問い詰められているように感じる。
熱く語りすぎて話している途中で何度も脱線したけど、すごく熱意が伝わった。
思考がブレないって裏を返せば頑固だよね。
子どものうちから論理的思考のトレーニングをさせるって、自分が論理的思考が苦手だから、子どもには早いうちから…って思ってるんじゃない?
自分が運動音痴だから子どもには小さいうちから運動をやらせようとか、自分は英語ができないから子どもには小さいうちから英会話をやらせようとか、それと同じ感じで。
親は子どものためによかれと思ってるのかもしれないけど、子どもに「そう思うなら自分でやれば?」って言われちゃうよ。(私です…)
それに、論理的思考を身につけたら身につけたで、今度は「子どもらしくない」とか言う大人が現れるんじゃない?
様々な価値観が驚きの速度で変化している世の中です。
今「いい」とされているものが、今後も「いい」とされるかどうか。
もしかしたら数年後には「円滑なコミュニケーションのためには論理的な話し方より情感溢れる話し方を身につけるべき」という論調が大流行するかもしれません。
そしたら本屋さんには「話し方は感情表現が9割」とか「3分でできる情緒的な話し方」とかいう本が並んで、みんな「理屈より気持ちを込めて話せるようになりたい」って思うんじゃないですか?
誰かに何かを話すとき、その目的はなんですか?
自分が伝えたい内容を聞き手に伝えることですよねぇ。
話し方はその手段でしかないのに、なんだかなぁ。
確かに、ぐちゃぐちゃ話されるより、論理的に理路整然と話してもらった方がわかりやすいですけどね。
でも、それだって、「この内容を的確に伝えたいから、わかりやすいように話す」ってことで、あくまで目的は内容を的確に伝えること。
論理的に話す事が目的じゃないですよね。
人それぞれだとは思いますが、私の価値観の中で「論理的」は大して大切にしたいことじゃないんですよねー。
「論理的」って言葉に縛られちゃうと話すことが怖くなっちゃう気がして。
「私は論理的に話せないから、黙っとこう」みたいな。
私は全然論理的に話せない人間だと自覚していますが、言いたいことがある時はたとえ論理的に話せなくても、ちゃんと自分の意見を言うようにしています。
だって、論理的に話すことが目的じゃなくって、自分の意見を伝えることが目的だから。
あ、もちろん、私の真意がちゃんと伝わるように、声のトーンや話し方、話の長さは適切にって、そこは気をつけます。自分が思うように相手に伝わらなかったら、すれ違いが起きちゃうので。
だから「わかりやすい」は大事にしたいんです。
でも、「論理的」って言われると、自分が苦手なだけに若干拒否反応があるっていうか。
まぁまぁ勝手なもんです。
私は短大で音声表現の講座を担当しています。
今どきの学生は自分の意見を言うことにすごく抵抗を感じていて、コミュニケーションに苦手意識を持っている子が多いので、こう言っています。
・論理的じゃなくっても全然問題ないから安心して。
・数値やデータも使いよう。パッと聞いて理解できないような複雑なデータならない方が伝わることもあるよ。
・端的に簡潔に話すより、具体的に話したほうが聞き手はその場面をイメージしやすいよ。
・言葉がすらすら出てこなくてもみんな待っててくれるよ。
・即座に自分の意見を言わねばって思うより、仲間と即興のやり取りを楽しんで。
・話している途中で何を言っているかわからなくなるのはよくあること。そしたらもう一回話せばいいよ。
・私なんて、思考はブレブレ。でもそれって言い換えれば柔軟ってことじゃない?
・論理的思考を身につけるために日々トレーニングするより、いろんな人といろんな話題で、楽しみながらたくさんお話ししてみて。
学生は、たった半年間ではありますが、授業の中で自分なりに何度も何度も試行錯誤して、「こういう時はこうしよう」「こんな時はこうやろう」と経験を積み重ねてきました。
彼女たちは先日無事卒業し、4月から新社会人として新たな一歩を踏み出します。
豊富なスキルを持つ先輩社会人から見たら、彼女たちの話し方は論理的とは言えないかもしれません。
でも、きっと熱意を持って一生懸命に伝えようとするはずです。
まだまだ未熟ではありますが、どうかおおらかな気持ちで、「ようこそ」って迎えてやってください。
