見出し画像

ちょいちょい書くかもしれない日記(手を上げて)

だいぶ前にテレビで、「手元の写真を撮るときは、その前に手をうんと高く上げて、それから下ろしてすぐ撮ると、手の甲の血管が浮かなくて若々しく見える」という豆知識を伝授していた。
キーボードを打つ自分の手の甲の静脈がなかなかの浮きっぷりで、ついそのことを思い出した。
別に誰が見るわけでもないし、単なる加齢現象なので構わないのだが、左右差が物凄いことがむしろ気になる。
総じて左手のほうが、皮下の浅いところを走る静脈の数が多く、血管のネットワークが密な感じがする。右はやけにあっさりしている。
何がこの違いを生じさせたんだろう。手相は左右でかなり似ているのにな。

明け方に猫たちが運動会を始めてしまい、寝たり起きたりを繰り返したせいで、ついに今朝、やってしまった。
燃えるゴミの回収を逃した……!
今の時期、なかなか地獄展開なのだが、致し方ない。月曜朝の回収までどうにか粘ろう。
こうなると、実家から連れ帰ったでっかいポリバケツが、ゴミ出し控え選手として俄然輝きを放つ。君がいてくれてよかった!
まったくもって、無駄なことなど何もないのだよ関口君。

今日はクール便が届くこともあり、自宅で作業をすると決めていたが、午後に施設から連絡。
やはり母の体調が安定しないのでさっき受診し、血液検査の結果待ちとのこと。様子を見に行った。
思っていたよりは元気そうな母だが、暑い寒いと分単位で主張が入れ替わる。
実家にいたときと同じだ。
更年期のホットフラッシュがずっと続いている感じなのだろうか。あそこまで酷くはないはずだが。
一応、上着を脱ぎ着したり、膝掛けをかけたり外したりして対処してもらっているが、母は手の動きがぎこちなく、上手にそれらを扱うことができない。
ちゃんと1枚羽織るの手前くらいに、何か小さくて簡易で軽量なものがあればな……と思ったが、「そういうのは今度、はらっと落ちて車椅子の車輪に嚙んだりしますのでね……」とのこと。
あー、そういうことも考えなきゃダメか。
色々と難しい。持ち帰って、少し考えてみますと言って帰宅した。

夕方が近づくにつれて、少しだけ落ち着かない気持ちになった。
2年前の今日の夕刻、父が危篤だからすぐ来るようにと連絡があり、病院へ車を走らせたときのことを思い出したからだ。
それまで何度も、「親が死ぬってどんな感じだろう。どんな気持ちになるんだろう」と想像を巡らせてきたが、実際そのときになってみると、気持ちもへったくれもないのであった。
ただ慌ただしくめまぐるしく、物凄く疲弊していて何か考える余裕などないが正解だ。
「チチキトク」も、両親が倒れてからずっと数珠繋ぎだった「やるべきこと、起こるべくして起こること」のひとつに過ぎず、感情はあまり動かなかった。
病院への通い慣れてしまった道。いつものラジオDJ。いつものゆるい選曲。
暮れていく街。
いちばん気にしていたのは、スマホのバッテリー残量だった。
そんな日から2年経っても、やはり寂しいとか悲しいとか、そういう気持ちは湧いてこない。
そんなドライな現実に、心がソワッとする。
やはり、共に生きてきた年月の中であったこと、なかったことがすべてだ。
死んだからといって、綺麗ごとにはならない。
ただ不思議なことに、父が好きだった食べ物については、多少心は動く。
なんだかな。そこしか親子として共感できるエリアがなかったということなのかも。

夜になってとうもろこしが届いた。
大急ぎで片っ端からむしって粒を取ってジップロックに入れて冷凍、という作業をする。
芯は集めてぐらぐら煮て出汁を取る。
たぶんほとんどはスープにするだろうが、かきあげもやりたい。とうもろこしご飯もしたい。
いずれにせよ、粒は使いやすいシート状にまとめて、出汁はでっかいキューブ型に流して冷凍しておけば、どんなふうにも使える。
去年より甘みが少ないのは、この気候のせいだろう。出荷できる状態まで育てていただいたことに感謝がつのる。

いいなと思ったら応援しよう!

椹野道流 こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。