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ちょいちょい書くかもしれない日記(サザエさんのアレ)

今は「サザエさん症候群」などというご大層な名前がついてしまったが、今にして思えば、私はその先駆け的な子供だった。
サザエさんを見ると日曜日が終わるのだと胸が詰まり、ひとりで裏庭に出てしくしく泣くような小学生だったのである。
学校で何かつらいことがあったわけではないのだが、誰かが決めたスケジュールに従って早寝早起きし、たくさんの人間と狭い部屋にギチギチに詰まって、みんなで同じことをして半日を過ごすのが本当に嫌だった。
泣いているところを親に見つかったら、何故泣いているかを説明しなくてはいけない。
当時の私に、上記の理由を親に伝わるように言語化するスキルは当然ながらなかった。ゆえに、隠れて泣いていたのである。
人生は絶対にやり直したくない。あの日々に戻るのはごめんだ。
あっ、でも唯一、もう一度小学校のささやかな図書室に行き、まっさらな脳で江戸川乱歩全集に出会ってみたいとだけは思う。
図書の時間だけは、限られた自由ではあったが、自分の好きな本を選んで読むことができて、大好きだった。

そんなわけで、学生時代はずっと、いや、社会人になってもずっと、月曜の朝は最高にブルーな時間帯で、今もそのときの気持ちが尾を引いている。
今日は少し遠くで仕事があるのでイベント当日並みの早起きが必要で、それが余計に憂鬱に拍車をかけた。
でも、どうにか電車に乗りさえすれば、それなりに元気になる。
仕事でなければなかなか来ない場所で、はじめましての人たちと即席のチームとして働くのは新鮮な刺激になるし、職場で偶然、親戚に会ったのもいいタイプの驚きだった。
あまりにも久し振りすぎて、事務の人に名前を呼ばれるまでお互いに気づけず。さすがに気まずい。とはいえ、二人ともがそうだったので、ちゃんと笑い話に着地した。よかった。
短い昼休みに、二人で近況報告をし合った。
「昔、お父さんにもお母さんにも似てたのに、今、どっちからも離れてきてるな!」と言われたのがいちばん面白かった。マジか。

日が長いので、仕事を終えて帰り着いたのは夕方だと思っていたが、もう夜の領域だった。
今度こそと、古典的な冷麺(冷やし中華のほう)を作って食べた。
胡瓜は抜きにする。
実家があった頃も、私だけは胡瓜抜きにしていて、母に「彩りが悪いじゃないの」と言われたことを思い出したりした。
母と一緒に台所に立って、私が湯剥きしたトマトを母が切るのを横目に見ながら、「今日はほんのちょっとだけ、他人様のお役に立てたかもしれへんわ」みたいな報告をしたかったなあ、とか。

父がずっと国境なき医師団に募金をしていたようなので、色々考えたが、ひとつくらいはいいかと引き継ぐことにした。
彼らの活動の場には、多くの紛争地、被災地が含まれているからだ。
母方の祖父は、戦時中、南方で食らったマラリアがもとで早世した。
父は義父のことをとても尊敬していて、「今の俺がそこにおったら、助けてあげられたのになあ。戦争はほんまにしょーもない」とよく言っていた。
だからこその募金先だったのだろうと思ったのだ。
私とて、戦争に賛成か反対かと問われれば、それは常に反対に決まっている。
でも、反対なのは当たり前で、その先の話が大切だと思う。
どうやったら戦争をしないですむのか、戦争に巻き込まれないですむのか、いざ巻き込まれたときにどうすればいいのか。
そういう「どうしたら」を、「あまりに力のない自分に何ができるか」として、なるべく目線を遠くに定めながら考えていこうと常々思ってもいる。
絶対に、主語を大きくしない。私自身のサイズで考えるよう努める。
折に触れてのささやかな募金も、自分にできることのひとつになるだろう。
戦争を経験した曾祖母、祖父母、恩師たちの話を思い出すことも、手がかりになるだろう。
とにかく、自分にできることをひとつずつ積み上げていく。
誰とも群れない。一時の熱に突き動かされることもしない。
細く長く、地道に学び、考えていく。

さすがに疲れたので、今日は小さな作業を進めておしまい。
忘れずに試験問題を作るのですよ……と明日の私に伝言を残す。



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椹野道流 こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。