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ちょいちょい書くかもしれない日記(防災を思う日)

阪神淡路大震災が起こった日だなあ……と、日付が変わった頃にしみじみ思い、何となくその瞬間まであれこれと作業をしながら起きていた。
私は間違いなく被災者のひとりであるが、震災そのものの経験者ではない。
震災が起こったそのときは、ロンドンから関空へ向かう飛行機の中にいたからだ。
そんな微妙な立場なので、家族からは、「あなたは知らないだろうけど」「わからないだろうけど」と言われ続けて、けっこう傷ついた。
当時の職場の人たちの、被災生活についての残酷なまでの解像度の低さも、後の退職の理由の1つとなった。
まあこれは、インターネットも携帯電話もほぼなく、報道も不足していたので、やむを得ないところがある。
それを勘定に入れても、人の底意地の悪さというのは、そういうときに顔を出すものだ。
災害は、さまざまな形で人の身体と心を損ねる。
経験を、想いを、語りたい人、語りたくない人、言葉にするすべを持たない人がいる。
語りたい人は、悪気なく、自然に、自分がフォーカスしたいところで話を盛っていくことが多い。これは、避けられない現象だと思う。
災害に限らず、人が主観で語るというのはそういうことだ。
これは、語り手ではなく、聞き手が常に意識しておかねばならないことだし、だからこそ、ひとりでも多くの人から話を聞かねばならないのだ。
色んな人が経験を語り、記すことで、災害がいかにたくさんの顔を持っているかが見えてくる。
だからこそ、タブーを作ってはいけない。
災害時でさえ、「笑い」「喜び」があったことを、絶対に否定してはいけない。それを語る人を責めてはいけない。
私は、戦時中の「つらかったこと、怖かったこと」と同じ熱量で、「嬉しかったこと、楽しかったこと」を語ってくれた父方の祖母から、それを教わった。

今日はいつもの一日だが、防災を考える日にもしている。
猫が六匹になったことで、備蓄プランに目に見えて齟齬が出てきたので、見直しを行った。
特に冬は、飲水量が減りがちなのでウエットフードの比率を上げている。
定期購入の、季節ごとの微調整を怠るまいと決心した。
猫砂の備蓄ももう少し増やす。あれはなんぼあってもええもんですからね。
猫たちが皆大人になって、日頃は低カロリーのフードにしているし、一部はシニアのフードに切り替えているが、いざというとき用の、嗜好性の高い、高カロリーフードも備えておこう。

午後、昔の見合い相手から、「今、そちらの地元を電車で通過中」と短いメールが来た。
アメリカ在住なんだから、もうちょっと距離感を出してこいよ。なんともフッ軽な男である。
あれこれあって見合いは結実しなかったのであるが、お互い、人生のそのあたりの選択を終えた今、普通に友達として連絡を取ったり、ランチをしながらアホな近況報告をするのは面白い。
そして会うたび、この人と結婚しなくて本当によかったな、という想いを新たにする。たぶん向こうもそうに違いない。
価値観と情の深さがあまりに違う。違いすぎてすりあわせは不可能だが、会って話す分には興味深い。違う星から来たはるねんな、と思う。
彼の配偶者はハイパードライな気質でないと務まらず、実際、そういう人と巡り会えたようで何よりだ。
我々は、「たまに会うからこそ楽しい友達」になるべく巡り会ったのであろうし、そういう意味で見合いが機能したというのは興味深い。
何しろ、ニューヨークまで見合いをしに行き、東海岸史上初直撃タイフーンに阻まれて会えなかった、というドラマを持つ我等である。
末永く、知らない世界を見せてくれる友達でいてほしい。

夜は、冷凍庫のカッチカチの包みを解凍してみたら牛肉角切りだったので、カレーと迷って、結局、シチューにした。
母が家にいた頃、「カレーだと2日も3日もあるけど、シチューだと1日半でなくなっちゃうから不経済ね。でもシチューがいいわ」と笑っていたのを思い出したからだ。
ひと口でも、母の口に入れてあげたいなあ……と思いながら食べた。


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椹野道流 こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。