ちょいちょい書くかもしれない日記(祭の後)
枕から頭を上げられない朝。
しかし、末猫は決して引き下がらない猫なので、大音声で鳴きながら、部屋の中をくまなく練り歩いてくれる。
まあ今朝に限っては、知らないバンドの望まないモッシュに巻き込まれ、軽く死を感じたところで起こしてくれたので、助かった。
知らないバンドなのに、熱唱している歌はよく知っているもので、夢って本当に身勝手な記憶のキメラを作るなあ、と呆れたりもした。
20代の頃は、そういう荒っぽいモッシュにもちょいちょい紛れていたが、夢の中とはいえ久々過ぎて懐かしかった。
あの、洗濯機の中のくつ下みたいな気持ちになる渦巻きモッシュ、今はもう、絶対に近づきたくない。
末猫の要求は、朝ごはんに出してあったカリカリにトッピングが必要、そして飲み物はあったかいお湯で、とのこと。
要望を叶え、食べているときは見ていてほしいタイプの末猫の小さな頭をしばらく眺め、それから寝直した。
次男猫がふごふご言いながらずっと隣にいて、暑苦しいが愛おしい。スキンシップを求めがちな甘えん坊なのだ。
昨日のゲストからの電話で昼過ぎに目覚め、ちょっと迷った後の三度寝までしてようやく起き出せた。
遠くで雷が鳴っており、空がいささかドンヨリしていたので期待したものの、雨は降りそうにない。
諦めて水撒きから1日を始めた。曇っているのを幸い、もういいや撒いてしまえの心境である。
先日、高田崇史兄からいただいたマンゴーの種、2粒とも立派に発芽し、ゆっくりと育っている。
人間が手を広げたように、細い葉を展開していくさまが、静かな命を感じてたいへんよろしい。勢いを削いだ岡本太郎。なんかそんな感じである。
マンゴーを種から育てるのは、手順としてはとてもシンプルだ。
まずは、マンゴーを美味しく食べる。勿論、種の周囲についた実も、ちゃんとしがむ……しがむって関西弁か。しかし、他の言葉にするとニュアンスが伝わらないので、このままにしておく。
それから、マンゴーの大きな種の縁をジョキッと切って、中から種の本体を取りだし、水を含ませた脱脂綿の上に置くだけの簡単なお仕事。
例年、種の中身がもう干涸らびてしまっていたりして、なかなか上手くいかないのだが、今年はいい感じ。
もう少ししたら、鉢に植え付けてみよう。
上手く育ったとしても、外では冬を越せないと思うので、鉢管理をしなくては。
昨夜がこってりした料理だったので、今夜は流れるように素麺。
「素麺はまったく低カロリーではない」と、毎年この時期になると得意げに警告する人たちが登場するが、そんなことはどうでもいい。
細くて滑らかな麺を、キンッと冷やした美味しいつゆと薬味で食べるのが、ただもうひたすらに嬉しい季節なのだ。
とはいえ蛋白質が足りないな、でも何も作りたくないな……というときに、やることはただひとつ。
お湯が沸くのを待つ間に、ちくわを1本、丸齧りである。
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こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。