ちょいちょい書くかもしれない日記(憤怒の神)
実は、ニワゼキショウというそれは小さな花を咲かせる野草が好きで。
でもこのあたりには自生しておらず、なんと学校のグラウンドに嫌というほど生えている。
毎年、いいなあ……と思いつつも、さすがにグラウンドの雑草を掘り返して持って帰っていいかと訊ねられても、事務方が困るだろうな(誰に許可を取ればいいんだ的なことで)と思い、二の足を踏んでいた。
今年、そんな話を知人に何の気なしにしたところ、先方の庭に売るほど生えているというではないか。
「いいよ、あげるよ~」と、引っこ抜いた苗をけっこうたくさん、根を濡らしたキッチンペーパーで巻いた状態にして、送ってくれた。
やはり、望みは胸に秘めるより、口に出したほうがいいように思う。思わぬご縁で、我が家にニワゼキショウがやってきた。
とはいえ、初めての植物。
半分だけ裏庭に地植えにして、残りは鉢管理で保険を掛けることにした。
機嫌よく根付いてほしい。大事にしよう。
中高の大先輩、佐藤愛子先生が亡くなった。
コロナ禍寸前に、母校の記念行事のひとつとして講演会をやらせていただいた。
たいへんあたたかく迎えていただき、特に当時の顧問の先生の甘やかしっぷりと嬉しそうなお顔がえらいことで、「何故、現役時代に今の消費税分でも優しくしてくださらなかったんだ……」とくずおれたりしたのだが、とても幸せなひとときを過ごさせていただいた。
ただ、そのとき、当時の校長がそれはもうツルツルと口を滑らせ、「せっかくの記念事業ですからね、本命はもっと有名でちゃんとした大作家先生で、遠方のご自宅まで依頼に上がったのに、玄関で断られて追い返されてさんざんですわ」とぶっちゃけた、その大作家先生が佐藤愛子先生だった。
つまり私は控えの候補で、ちょろくて便利な地元在住無名作家だったわけである。少なくとも校長先生にとっては。
まあでも、佐藤愛子先生に比べれば、現役作家のほとんどは無名作家である。ぐう正なので、特に怒ってはいない。
玄関先で追い返される校長先生の姿を想像して、心の中で佐藤先生のウルトラグッジョブを讃えただけで。
実は、佐藤愛子先生の講演を、中学時代に拝聴したことがある。
ファンにとっては羨ましい限りのシチュエーションだと思うが、さにあらず。
「今どきの後輩どもはなっとらん! 何もかもがなっとらん! そもそもなんだその態度は!」というテンションで、美しい和服を着こなした佐藤先生は1時間あまり、ノンストップで激怒なさっていた。マイクのほうが先に力尽きそうだった。
当時は「この人うるさいなあ。先輩だからって、そんなに威張りちらさなくてもええやんか」とゲンナリしたものだが、今になって、先生の体力気力が超人級であったことを……いや、もはや神の領域であったことを痛感している。
教職についてみてわかったのだが、学生がどんなにアレな態度でも、そのことについて1時間怒り続けるパワーと語彙力がない。
あれは本当に、得難い経験だったのだ。我々の前に立っておられたのは、まさに憤怒の神だった。
そして、あの怒りは愛だった。
怒りはすぐに、失望と諦めに変異してしまう。
それをご自分に許さず怒り続けてくださったのは、後輩への紛れもない愛だ。
悲しいかな、今にして思えばなんと貴重で贅沢なものか、という経験を、中高時代に山ほどさせてもらっていたのに、そのありがたさに気づくのは中高年になってから。
佐藤先生には、安らかに、などという言葉は似合うまい。
あちらの世界でも意気軒昂にお過ごしください、と、しがない後輩はそっと祈っている。
ニラと豆腐が安かったので、夜はスンドゥブチゲ。
最近、Xで韓国の方が本場のざっくり作る家庭料理のコツを発信してくださっているので、大いに参考にさせていただいている。
何度か作ってみて、私は豆モヤシを入れるのがあんまり好きではないことに気づいた。ナムルなら大好きなのだが。
かわりに舞茸を入れて、繊維質を補完。いい出汁も出る。
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こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。