【第9話】70年のバトンを継いで。家族が「水平」に戻った、フィレンツェの朝

Buona sera a tutti!(皆さん、こんばんは!)
イタリアのフィレンツェで家具修復士をしている、
みっちーです。
連載エッセイ『三つの国境を越えて』をお読みいただき、本当にありがとうございます。
先週、第2章「テヘラン編」が完結しました。
漆黒のベールの下で、命を燃やすように生きた人々の記憶。
あの物語を書き終えた今、私の心には温かな静寂が広がっています。
今日から始まるのは、いよいよ最終章となる第3章「再生と結実編 〜人生は何度でも直せる〜」です。
舞台は再び、私の職人としての原点である
イタリア・フィレンツェへ。
新しく読み始めてくださる皆さまへ、
これまでの旅路をまとめたマガジンをご紹介します。フィレンツェでの孤独な修行時代、そして全財産を注ぎ込んで挑んだイラン移住。私たちの物語の「下地」を、ぜひこちらからご覧ください。
【第1章】三つの国境を越えて:挫折と再起のイタリア修行記
【第2章】三つの国境を越えて:異文化の洗礼と魂の原色
それでは、再び舞台をイタリアへ。
すべてを失って戻った街で、私たちが最初に見つけた「光」の物語です。
音声でもお届けしています
フィレンツェの石畳に再び立つ:一人きりの「下塗り」
テヘランの埃っぽく、けれど情熱に満ちた喧騒を離れ、私と子供たちはフィレンツェの空港に降り立ちました。
夫は残務整理のため、イランにあと一ヶ月残ることになっています。
手元にあったのは、テヘランの過酷な2年間で鍛え上げられた「家族の強い絆」、
そして夫と私の「職人としての技術」。
それから、私たちを支えてくれる同業者の友人たちの助け。
けれど、通帳の残高だけは、これからの生活を思うと心許ない数字でした。
「ただいま」という安堵感に浸る間もなく、
私は一人、フィレンツェの石畳を走り回りました。子供たちの公立小学校への編入手続き、賃貸アパートの契約、ガスや電気の開通・・・。

イタリアの官僚主義的なお役所仕事は、相変わらず遅くて理不尽です。市役所の窓口で「明日また来い」と素っ気なく言われるたび、かつての私なら肩を落としていたかもしれません。
けれど、今の私にはテヘランで培った「まあ、なんとかなるわ!」という図太さと、どんな状況でも楽しんでしまう強さがありました。
「これも、人生という家具を直すための大切な下地処理よね!」
心の中でそう呟きながら、私は一人で生活の基盤を整えていきました。
夫が到着する頃には、私たちの「新しい日常」は、
どうにか色を塗る準備ができていたのです。
稼ぎと引き換えに、しなり始めた「家族の形」
夫が合流し、私たちはそれぞれフリーランスの職人として再出発しました。
私はかつての師匠や仲間の工房を手伝い、再び古い木材の匂いに包まれる日々。
一方、夫はイタリアの有名アパレルメーカーのインテリア施工工事を監修するスーパーバイザーとして、
責任ある仕事を任されました。
新店舗オープンのたびにヨーロッパ中、
あるいは北アフリカへと飛び回る夫。
その稼ぎは良く、私たちの「自立資金」は着実に貯まっていきました。
けれど、その代償として、家族という家具に少しずつ「しなり(歪み)」が生じ始めます。
「お父さん、またいないの?」
いつも積極的に育児を担ってくれた父親の不在。
夕食のテーブルに並ぶ三つの皿。
子供たちの瞳に宿る、隠しきれない寂しさ。
私もまた、日々の仕事と慣れない現地の公立校でのワンオペ育児に追われ、心がミシミシと悲鳴を上げるのを感じていました。
お金はある。仕事もある。
けれど、一番大切な「共に過ごす時間」という接着剤が、乾ききって剥がれ落ちそうになっていたのです。
自由を求めてイタリアに戻った私たちが、
再び、別の形の閉塞感の中にいました。
70年の埃が教えてくれた、運命の継承
「このままでは、私たちというアンティークが壊れてしまう・・・。」
直感的にそう感じていた頃、一つの転機が訪れます。
夫が「マエストロ(巨匠)」と慕う、ある年配の木工士さんのもとへ相談に行ったときのことです。
彼は静かに言いました。
「そろそろ、このノミを置こうと思っているんだ。誰か、この場所を継いでくれる人はいないかな?」
70年、その路地裏で静かに時を刻んできた工房。
その言葉を聞いた瞬間、私たちの体の中に電気が走ったようでした。
そこからの展開は、まるで誰かが裏でシナリオを書いていたかのようなスピード感でした。
銀行の融資、工房の引き継ぎ、そして偶然にも同じタイミングで見つかったマイホームの購入。
バラバラだった生活のパーツが、磁石に吸い寄せられるようにパチリと定位置に収まっていったのです。

「あなたたちが後継者ね!」:歓迎の鐘の音
工房の主として、初めてその重い木の扉を開けた日のことを、私は一生忘れません。
そこには、70年分のシェラックニスの甘い匂いと、マエストロが何十年も使い込んできた作業台の深い傷跡がありました。
驚いたのは、開店と同時に昔からの常連客たちが、まるで待ち構えていたかのように次々と顔を出してくれたことです。
「マエストロから聞いたよ。新しい後継者のご夫婦が来たってね。」
「この工房の灯りが消えなくてよかった。この椅子、またここで直してもらえるのね。」
フィレンツェの街に、一人の「職人」としてではなくこの場所を守る「主」として受け入れられた瞬間。
その温かな眼差しに触れたとき、胸が熱くなりました。
夫が遠い異国の現場で孤独に指示を出すのではなく、
この工房で私と隣り合い、木の粉にまみれながらノミを握る。
子供たちが学校帰りに「チャオ!」と元気よく扉を開け、木の削りカスの匂いの中で宿題をする。
そんな、あまりにも当たり前で、けれど何物にも代えがたい「水平」な日常。
それこそが、私たちがテヘランの漆黒のベールの下で、ずっと夢に見続けた、真の「再生(ルネサンス)」の光景でした。
今日も最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
第3章、ようやくここからが本番です。
ゼロからの再出発、そして夫婦での工房経営。
ここから、私たちの「人生の修復」はさらに深いステージへと進んでいきます。
大切なお知らせ:100円キャンペーン継続中です!
現在実施中の【全話100円(サンキュー価格)キャンペーン】ですが、ご好評につき連載完結(全12話予定)までずっと継続することにいたしました!
「みっちーの旅、最後まで一緒に歩みたいな」
そう思ってくださる方が、いつでもどの回からでも、コーヒー一杯分を差し入れるような軽やかな気持ちで読み進められる場所でありたい。
そんな職人としての想いを込めています。
次回予告と「裏話・哲学」のお知らせ
【裏話 Vol.9】(土曜公開):脳内バベルの塔と、最新iPhoneを持つアナログ職人
4つの言語が脳内でシェイクされた子供たちのアイデンティティ崩壊(笑)と、最新のiPhoneを手にしながら一通のメールも打とうとしない「形から入る」夫。創業期の我が家を襲った、デジタル・アナログ・マルチリンガルの三つ巴パニックを曝け出します。
【哲学 Vol.9】(日曜公開):人生を「水平」に戻すための、真の水平出し(Messa in bolla)
家具を真っ直ぐに据え置くための技術「メッサ・イン・ボッラ」。 不安定だった私たちの家族を、再び水平に戻してくれたものは何だったのか。不揃いな凸凹が噛み合ってこそ生まれる「美しさ」について。40代の「生みっちー」写真第2弾も公開するかも?
来週金曜日は、第10話「枠にはめない子育て(教育編)」をお届けします。
また次の金曜日にお会いしましょう。
Buona serata !
(素敵な夜の時間をお過ごし下さい!)
