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4枚目:【きのう何食べた?】誰かの献立に、愛が透ける夜

今夜も1枚こっそりと

深夜2時、冷蔵庫を開けた。 何もつくる気はないのに、開けた。 たぶん、あの漫画を読み返したせいだ。

よしながふみ『きのう何食べた?』。

弁護士のシロさんが、毎晩の献立を頭の中で組み立てながらスーパーの特売を回る。隣にいる美容師のケンジのために。自分のために。二人の食卓のために。

この漫画のすごいところは、たぶん「料理がおいしそう」なことじゃない。献立を考えるという行為そのものが、誰かを想うことと同義に描かれていること。

食品業界にいると、「食」はどうしても数字やスペックで語られがちになる。
売上や利益、何かの効率化。それは仕事だから当然なんだけど、ときどき忘れそうになる。あの食卓の向こう側に、スーパーで10円安い鶏むね肉を選んだ誰かの30分があること。

シロさんの買い物シーンを読むたびに、それを思い出す。

特売の卵を手に取るとき、彼の頭の中ではもう「今夜はこれとこれで、あと一品は」と段取りが走っている。
その段取りの中に、ケンジの好きなもの、ケンジの食べる顔、ケンジの「おいしい」がちゃんと織り込まれている。

言葉にしないだけで。

誰かのための献立は静かなラブレター

この漫画が長く続いて、たくさんの人に読まれているのは、たぶんそういうことだと思う。派手な事件も壮大な冒険もないのに、読むとなぜか胸のどこかがじんわりする。日常ってそういうものだから。

ゲイのカップルであることの葛藤も、この作品はちゃんと描く。
社会の目、家族との距離、職場での沈黙。でもそれを声高に訴えるんじゃなくて、食卓の風景の中にそっと置いてある。だから読む側も構えずに受け取れる。

たぶん、この作品を読んで泣く人は、料理のシーンで泣くんじゃないかと思う。

誰かが誰かのためにつくった一品の、何でもなさに。

深夜にこの漫画を開くと、いつも一つのことを考える。

自分は最後に、誰かのことを想いながら何かをつくっただろうか。

つくる相手がいるということ。つくったものを「おいしい」と言ってくれる人がいるということ。それは当たり前みたいで、全然当たり前じゃない。

シロさんはたぶんそれを知っている。知っているから、今夜も献立を考える。

あなたは最近、誰かの「おいしい」のために手を動かしましたか。

貼っておく。
あなたの心に付箋が残りますように。

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