「絵師の描きたい脳内イメージはブラックボックスに隠されている」=「本当の本音は顕在意識に覆い隠されている」


「脳内イメージ」と「脳内ブラックボックス」の違い

私は絵師の陥穽について今まで色々書いているけど、よく「脳内イメージ」「脳内ブラックボックス」に言及している。
この二つは大きくは同じものを指しているけど、注目ポイントの違いで書き分けている。

描きたいなーとぼやーんと浮かぶイメージ全般が脳内イメージである。

そのイメージが実は細部まではわからず、全体像が朧げにしか見えないもの、脳内でブラックボックスに隠されていることに言及する時には「脳内ブラックボックス」と書いている。

度々引用してる「絵を巡る考察プレビュー版」という記事では

  • マイケル・ジャクソンの肖像画―「絵を描く」という行為の正体―

    • 分からないのに分かる不思議

    • 正しい像は箱の中

という項目にこの辺りのことが書かれている。


絵柄フリーライドは本質的な画力向上に寄与しない

脳内ブラックボックスに無自覚だとその存在を知覚するのは難しい。文字通り隠されているもんね…。
なので他人の芝生を見たりすると「幽けき唯一無二の自分オリジナルの脳内ブラックボックス内イメージ」が吹っ飛んでしまったりする。

また常に他人の芝生が気になるあまりにその存在に気付く機会に恵まれず、承認欲求の赴くまま他人のイメージにタダ乗りすることを「唯一無二の自分オリジナルの創作活動」と勘違いしてる人もかなり多い。ように見える。
こういう人はそもそも他人のイメージにタダ乗りするだけなので「唯一無二の自分オリジナル」の部分が少ない上に美味しそう上手そうに見える他人の絵に次々フリーライドすることを画力向上と考えている節があるので、きちんとデッサンなどをしないことが多いように見える。
なので私の見る限り本質的な基礎画力が全く向上しないまま小手先で取り繕ってるように感じる。

だから絵柄フリーライダーは「ああ!この人だ!紛れもなくこの人の絵だ!」と認識してもらえる機会はまずない。
そして「ウンッ!? 上手いな、この人……」と他人を唸らせることもほぼない。
他人を唸らせるほど上手い人で基礎デッサンができてない人はいない。
例えデフォルメが大きい、例えばぷにっとした可愛い絵柄であっても。
勿論、上手い=正義ではない。
だけど絵柄フリーライド=上手い、は成り立たないと思う。
なのでフリーライドしながら「上手くなれる」と思うのは勘違いだと思う。

私が思うに、絵柄=画力ではない。
なので、ダメ脳内補正に気付き、デッサンなどで基礎的な画力が向上したら元の絵柄のままで画力向上が図れる。
例えば同じ絵柄のままできちんと立体感が出たり、微妙な表情が描き分けられるようになったり、ざっくり描いてポージングが人体構造的におかしくなくなったり、そういうのが基礎画力の向上だと思うのだ。

クラゲの水≒基礎画力

クラゲの体組成の98%は水だそうで(うろ覚え)
でも透明なただの水だからってクラゲの皮だけパクって貼り付けてもクラゲにはなれないんだよね…。
クラゲをクラゲたらしめてるのは勿論水以外の部分もそうだけど、水がないとクラゲの透明感立体感はないわけで、クラゲを描画したいならガワだけ持ってっても仕方がない。
水を体内に湛えてこそちゃんとクラゲとしての3D構造があるわけで。
このクラゲの水が絵で言うと基礎画力だと思う。

発見!脳内ブラックボックス

で、先日(私以外に言及してるのを見たことがない)脳内ブラックボックスと思しきものに言及してるnoteを発見した。
ちょっと長いけど引用する。

それと比べて、絵はどうかと言うと。
揺れる水のもっと下で、
一緒に揺れることはありません。
水が揺れるのや、凪の状態をじっと見ています。
感じとしては、
揺れ動く水の中に、
殆ど揺れることのない水の塊がある感じです。
水の塊は、
私が、水の揺れを感じているのさえ見ています。
言葉を発する事はありません。
だから突然、絵が浮かぶのです。
私は、地図を進む様に、
浮かんだ絵を描いていきます。
他の人の様に絵が途中で変わったり、
進まなくなったりもしません。
いつも浮かんだ絵の通りです。
ただ、浮かんだ絵が思い通りかける技術がないと、
どう描いたら良いか悩む事は毎回の様にあります。

絵を描くことと、言葉を紡ぐことの違いって? part 2
https://note.com/yuga693/n/n19137c719656?sub_rt=share_b

全文は以下をどうぞ。

こちらのnoteの方、かなりはっきりと脳内ブラックボックス内が「見える」方のようです。
「殆ど揺れることのない水の塊」が私の言うところの脳内ブラックボックス内のイメージとかなり酷似している。
私の場合はもう少しブラックボックス内の像は朧げで、描き進めながら細部がはっきりしていく感じなんだけど。
ただ根っこの「描きたい根元テーマの『感触』」はめちゃくちゃはっきりしている。
というか、はっきりしてるものだけを選んで描いている。
はっきりしてないと描き進められないからだ。

カニバリズムは苦手なんです

で、私の場合このnoteの方のおっしゃる「水面の揺れ」でブラックボックス内の像がかなり掻き乱される。
その中でも他人の漫画やイラストが一番の「水面の揺れ」の原因になる。

具体例を出すと、例えばちょこっとやってる銀英伝のゲームとかを触ったら、延々と眼裏にアンネローゼ様のしゃなりとした姿が残ってしまう。(眼裏に残るのはなぜかアンネローゼ様)
この状態では「自分の絵」にアンネローゼ様が入ってしまうので、アンネローゼ様に退場していただく必要がある。
勿論漫画を読んだ直後にもその漫画の登場人物が眼裏をうろうろするので、やっぱりご退場いただく。

つまり、他人のイラストの直接の影響下では描かないことにしている。
なので、全く関係のないテキスト(小説も含むがラノベのようなイラスト付は不可)を読むか、写真でも見るか、音楽を聴くかのどれかになる。
自分の絵の近縁種の「漫画絵のイラストや漫画」は一切見ない。

この辺は、私が一般的な絵師さんと感覚が違うのだと思う。
近縁種の影響下で描くとカニバリズム的な感覚を覚えるので苦手なのだ。
気軽に元の絵師さんの尻馬に乗っかるのが申し訳ない気持ちになる。
安直に他人様の絵の尻馬に乗ってドヤ顔、は何か違うと感じてしまうのだ。

何より、他人様の絵は尊重したい。

こう言う厄介な体質なので、二次創作をやろうとすると心の中で一万回は謝罪しながら強力な抵抗力との闘いになる上に、やはり一度自分の絵柄に落とし込み性格設定も厳密に行わないと描き始めることができない(でないと表情に確信が持てずキマらない)
描き始めても心の中では平謝りのエンドレス。
なので、参入は他人様よりかなり遅いし、単純に二次創作向いてない。の一言である。

他人の絵を横目でベンチマーク、キョロ充しながらでは他人にインパクトを与える絵は描けない理由

私はよくnoteの記事で「他人の絵を横目でベンチマークやキョロ充しながらでは他人にインパクトを与える絵は描けない」という旨の発言をしているが、それはこの件にも関わっている。
ベンチマークやキョロ充は「顕在意識」による目先の人参に向かって目的を持って行う活動である。
これは適度に集中しながら目的自体に固執しすぎずフワッと浮いた感覚、「フロー状態」=「顕在意識によるストッパーが外れた」状態=いわゆるところの「ゾーンに入った」状態とは正反対の状態、ということになる。
前者は脳波的にβ波優勢、後者はα波、時にはθ波優勢状態と考えられる。
※ゾーンに入った時の脳波の状態はLowβ波(α波とβ波の中間)という説もあります

脳波のことは専門家に譲るとしても、他人を意識した状態(他人ベンチマーク、キョロ充、他人の尻馬ライダー)では「潜在意識」は働かないので、想定(頭で計算ずくで考えた効果)を超える質の作品ができないのは当然ではないかと思う。

「絵師の描きたい脳内イメージはブラックボックスに隠されている」=「本当の本音は顕在意識に覆い隠されている」

前に、記事の末尾にこう書いた。

自分より上手い絵師を目にすると「自分を否定された」ように感じるのは、正しくは「自分だけの個性の脳内イメージ」「他人と違う自分だけの脳内イメージ」の存在に気づいてないか、他人の芝生が青く見えてそちらに流されてしまい、「自分の本当に描きたかった脳内イメージを無視」してるからなのではないか

なぜ日本の絵師は自分より上手い絵師を目にすると「自分を否定された」ように感じるのか
https://note.com/midoriene/n/nfb771f2464a7

「水面の揺れ」≒「他人の芝生が青く見えてそちらに流され」た状態= 「自分の本当に描きたかった脳内イメージを無視」という構図ではないかと個人的に考えている。

それはまた、絵とは離れても似た思考の癖として現れるのではないかと思う。
絵と思考の癖と、どちらが鶏でどちらが卵かは置いといて、表面的な感情の揺れや目先の人参(顕在意識)に掻き乱されて、本当の心の奥底に隠されてる本音がよく見えない、というのと極めて近似値か、関連性があるのではないだろうか。

自分が本当に感じた感情を勘違いする、ということはよくある。
例えば毒親の影響下で育った人が毒親の反応をそのまま学習して、不本意なことが起きるとヒステリックな反応を示す、ということはしばしば見られる(本人の気質にもよるので毒親育ちが皆必ずしもヒステリックになるわけではない)
しかし、心を落ち着けてよくよく考えると、怒りの感情の根っこは実は悲しみの感情だった、ということはままある。
本当は怒りたかったのではなく、悲しい気持ちをわかって欲しかった、などである。

つまり「顕在意識と潜在意識のズレ」である。
これが絵を描く上でも起きているのではないかと思う。

顕在意識では怒ってばかりだが、本当は怒りたいのではなく悲しんでいる。
しかし毒親から学習した反応や態度のロールモデルが怒りしかなかったので、本人も怒りの形でしか態度に表せない。

顕在意識では他人の絵が気になって仕方がないが、本当は他人の絵とは違うアイデアがあって、それを描きたいという衝動がある。
しかし、他人の絵が隣の青い芝生に見えたり他人の公開するハウツーという目先の人参に流されて、本当に描きたかったアイデアは簡単に流されていってしまい、本当に描きたかったものと違ってしまうのでイマイチ納得の出来にならない。

この構図が重なって見えるのだ。

ちなみに、ヒステリックな反応しかできなかった毒親育ちが自分の本当の気持ち、怒りではなく悲しみを自覚できると、以降ヒステリックな反応は減る(実体験)

他人の作品が気になって仕方なかったヘボクリエイターが自分の本当に描きたいもの(脳内ブラックボックスの存在)を自覚できると、以降描くこと自体を楽しめるようになる(実体験)

要するにメンタルヘルスでも作品作りにしても「自分が本当に言いたかったこと」が言える方が健康的ではないかと思う、というお話。


いいなと思ったら応援しよう!