ビールの泡とキティちゃん
ビールの泡について考える。
もうすぐ夏だし。ビール好きだし。
ビールの泡は、
泡がうまい、泡が決め手、と言う人にとって無くてはならないもの。(泡無しビールというものあるらしいけど、それはそれとして)
ビールの泡は、
ビールの表面にいる。当たり前だ。
真っ先に唇に触れ、目立つところにパチパチ存在する、、くせに、いつか消えゆく運命にある。
泡だから。
そう、華々しく消費される表舞台に立ちながら、ビール(本体)無くして存在できない身分。
泡だから。
夏の仕事帰り、
からっからに乾いた喉を潤す最初の一杯、
「美味しいビールを守り、引き立てるための、はかなくも重要な役割を持つ存在」なんて、泡のこといちいち難しくしながら飲む人なんていないのでは。
きっちり仕事をし、キラキラ目立つ存在でありつつ、潔く消えていく、それが泡の宿命。
なんでそんなことブツブツ言ってるかって?
広告の仕事をしている時、ビールの泡と似ているなぁと思うことがあって。
広告も、
主人(広告される商品)がいなければ、この世に存在しない。主人というお神輿の上に乗っかって、旬な見え方で人目を引いて、喉から手が出るほど「欲しく」させて、ゴクゴクゴク、、後はさようなら、跡形もなく消えていく。
無かったら寂しい。
あったら俄然華やかに、景気を盛り上げる。
という意味で、広告は、花火のよう?
季節を彩る花のよう?
でもやっぱり「ビールの泡」に例えるのがいちばんふさわしいかと。
なんでかな、、
ビール本体と泡の持ちつ持たれつ、
あの二人三脚の感じかな?
広告の仕事「美味しそうな泡作り」を内側から見て来て、泡って、なかなかやるな、見くびれないな、と思う。
なんでかな、、
時に、本体の粗を目隠ししてくれる泡の仕事を見て来たからかな?あまりにも美味しそうな広告(泡)だと、これ、本体の何を目隠ししているのかな、と。
いかんいかん
もっと無邪気にならなくては、
ビールが美味しくなくなっちゃう。
なあんて思いつつ、、
この頃、世の中あちこちで見かける、
カワイイもの達:
ちいかわも、くまモンなどゆるキャラも、ミャクミャクも、今年52歳のキティちゃんも、大御所ミッキーマウスも、、(ああもうキリがない)
キラキラ、世界を覆う莫大な「ビールの泡」に見えてきて、、
ビールの泡と同じで、
ふりかけておくと、地球上のけしからんもの、素顔の実態を見なくて済むから、その方が良いのかな?と
いかんいかん
泡はぷくぷく美味しいうち、
消えないうちに楽しもっと。
