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エチオピアまでやってきた義母に巻き込まれて、私の壁に穴が開くまで

義母と私は正反対の生き物だ。

同じ亥年で猪突猛進なエネルギーを持っていても、その扱い方はまるで違う。
義母はいつもアクセル全開で外へ向かう。
私はそのエネルギーをここぞというときにだけ使う。安全第一で、たいていはブレーキを踏みまくる。
自分の信念を疑わず突進してくる義母に、私の領域まで踏み込まれそうな気がして、私は見えない壁を作っていた。

そんな義母が、私たちが住む「エチオピア」に来ることになった。

初めての海外旅行。しかもアフリカ。
並外れたバイタリティを持つとはいえ、義母は70代だ。私の中には、「本当に大丈夫なのか」という心配と、どこかで「来れるもんなら来てみるがいい」という気持ちがあった。

旅は、出発前からすでに波乱の気配を見せていた。

次女と私が一時帰国したとき、義母は九州から関東にあるわが家へやってきた。前泊して一緒にエチオピアへ行くためだ。
私は準備に追われながら、家を長期間留守にするので冷蔵庫を空にしようと計画的に食材を使っていた。それなのに、冷蔵庫に卵が増えた。
義母だ。
次女に食べたいものをきき、オムライスを作るために卵を買ってきた。
もちろん、私には相談なし。
勘弁して~。

出発当日も、私は家のことと荷物のことで頭がいっぱいだった。そんな私に、義母は「お茶でも飲んで、少しゆっくりしたら」と言った。でも、そのときの私は「いいです」と答え、手を止めなかった。成田へ向かう頃には、すっかりふらふらになっていた。
出発前だけは、私のほうがアクセルを踏みすぎていたのかもしれない。

そんな状態で、私たちはエチオピアへ向かった。

日本からエチオピアまでは飛行機で16時間ほど。真夜中に提供された機内食は、眠くて食欲もなく、私はパスした。
ところが義母は違った。
横に座った次女によると、機内食をしっかり平らげたらしい。エチオピアに着いた後もエネルギッシュで、夕食まで作ってくれた。

こうして義母との11日間が始まった。

到着の翌々日は月曜日。平日の日中は、夫も子どもたちもいない。家にいるのは、義母と私だけだ。

さぁ、どうしよう。

そう思っていた午後、義母が突然言い出した。

「1週間は長すぎる。もう生活の様子は十分見た」

え、帰る気ですか?
まだ着いたばかりですが。

その夜、子どもが「シャワーの水が止まらない!」と私を呼びにきた。急いで浴室へ向かうと、シャワーからは水が流れ続けていた。
そこにいたのは、やはり義母だ。
ズボンをまくり上げ、足を肩幅に開いて重心を落とし、モップを手に床の水を排水溝へ押し込んでいた。焦りながらも、汗をにじませて格闘するその姿からは、この状態を自分でなんとかしようとする気迫が伝わってきた。
浴室には、湯気なのか、義母の熱気なのか、わからないものがただよっていた。
もともと壊れそうなシャワーだったが、とうとう壊れてしまったらしい。
幸い、水圧は弱く、水はちょろちょろ流れている程度だった。

私なら、大元の水を止める方法を考えるが…。

「もういやだ!」

義母がそうつぶやいた。
横顔が疲れていた。

義母よ、見るがいい。これがエチオピア生活の洗礼というものだ。

シャワー騒動の後には、「蚊がいなくなるスプレー」騒動が起きた。

夜中、義母がそのスプレーを「プシュ・プシュ・プシューー」と連射した。
「1プッシュで効果12時間」の注意書きなど、見てもいないだろう。
まずい。
蚊も義母もいなくなるかもしれない。
さすがに心配になり、夫を起こして止めに入ってもらった。

騒動は起こす。けれど、義母の好奇心とエネルギーは、エチオピアでも変わらなかった。
停電も断水も、酸っぱい「インジェラ」も、義母はそれなりに受け入れていた。エチオピア人には身振り手振りで話しかけ、子どもたちとは本気で卓球をした。そして、こけた。

一緒に出かけたときは、舗装されていないガタガタ道、砂埃、歩いている人々、道端にたくさんいる野良犬…、車から見えるエチオピアの景色をしっかりとその目に刻み込んでいるようだった。
出かけている間はいつもより口数が少なくて、帰宅すると、深呼吸して「家に帰ると安心する」とつぶやいていた。その一言が意外だった。

エチオピアの主食「インジェラ」


最終日、朝起きたら、キッチンに誰かがいた。
イヤな予感。
義母だ。
急いで行ってみると、味噌雑炊を作っていた。

日本なら簡単に手に入る味噌も、ここでは手に入らない。だから、家族のために計画的に大切に使っていた。私は前もって「味噌は使わないでほしい」とはっきりお願いしていた。
それなのに、また義母の思いが優先された。私が大切にしていることが、大切にされなかった。
ここはもうどうしても譲れない。

「ほんとに人の言うこと、きかないですよね!」

ついに私は言い放った。
義母は小さな声で「やっぱり衝突した」と肩をすくめてつぶやいた。

その後、私は外出して、夫や母にメールをした。自分の気持ちを整理したかったし、どこかで共感してほしい気持ちもあった。夫から義母に注意してほしい気持ちもあった。
けれど、二人は義母を責めなかった。夫からは「言ってもなおらないと思う。迷惑かけた。大目に見てやってほしい」と返事があった。
二人の反応に心が揺れたが、私はどうしても納得できない。どうしたら夫のように許せるんだろう。
そんなことを思いながら帰宅した。

いつもの私だったら、しばらく心のシャッターを下ろしてしまう。でも、義母の帰国日に、こんな気持ちで見送りたくはない。
そこで、ランチを食べながら意を決して話をすることにした。
日本ではバタバタと忙しく世話を焼く義母が、エチオピアでは家事から解放されて、静かに、余裕を持ってそこにいた。だからだろうか。私も、思ったより構えずに話すことができた。

話すうちに、義母は、「自分の口調がきついこと、やることが空回りしてしまうことがあることは自覚している」と語った。
義母は反省していないと思っていた。けれど、空回りしていることを自覚していた。その言葉を聞いたとき肩の力が抜けた。
そして、義母のペースに合わせ、遠慮せずざっくばらんに話しているうちに、喉の奥が開いて、頭で考えるより先に、すっと言葉が出た。
具体的に何を話したのかは、あまり覚えていない。義母がどんなふうに暮らしているのか、たわいもない近況を聞いたり話したりしていたのだと思う。
いつもなら、会話の割合は義母が8、私が2くらいだった。けれどそのときは、6対4くらいで話せた気がする。私も自然に言葉を返していた。
あまり味わったことのない心地よさだった。

義母みたいになりたいかと言われるとそれはないが、義母の世界に飛び込んでみたら、思いがけず私も自由になった。

最終日の夕食の前、
義母が私たちの前でいきなり立ち上がり、手帳を手に、挨拶の言葉を述べ始めた。突然の出来事に、私たちは驚き、義母の真剣な顔を見て背筋を正して言葉に耳を傾けた。
エチオピアでの気づき、私たちへの感謝の気持ちを話しながら、だんだんと涙声になっていく義母。
思わずもらい泣きしてしまった。

その日の夜、義母は、一人で日本へ帰国した。
義母を見送る私の気持ちは、11日前とは違うものになっていた。
来れるもんなら来てみるがいい、くらいに思っていた人が、予想以上に元気に11日間を過ごし、帰りは一人で日本へ帰っていく。その背中は、来たときよりもたくましく見えた。やっぱり、すごい生命力の持ち主だと思った。


義母は、エチオピアから帰国するなりすぐにスーパーへ買い物に行き、夕食を作った。そして、エチオピアで覚えた「インジェラ」を日本の食材で再現して、地元の人たちと一緒に作ったと連絡をくれた。

義母は、自分の信念を信じて突っ走る。
私も、自分の大事にしたいことは守り抜く。
義母も私も、まっすぐで一生懸命だった。

11日間、この義母と一緒に過ごすうちに、私の壁はガンガン揺さぶられ、ひびが入り、とうとう小さな穴が開いた。
穴が開くと風が通った。思ったより、悪くなかった。
壁は必要だ。けれど、ときどきは向こう側の空気を入れてみてもいいのかもしれない。

あのパワーに、また少し巻き込まれてみたくなった。



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