春の風を想う先に
三月の終わり。冬のコートを脱ぎ捨てた街が、なんだかほっと息をついている。外に出ると、柔らかな空気が頬をなでる。寒さの芯がやわらぎ、春の匂いがそこかしこに漂っている。
歩きながら、ふっと風を感じる。くるくると巻き上がる風が、私の髪をかすめる。風はどこから来て、どこへ行くのだろう。ちょっと目を細めてみると、風の姿が見えそうな気がする。
空を見上げると、ふいに雨粒がひとつ、頬に落ちた。ほんのわずかな冷たさが、じわっと肌になじむ。ああ、今、私の頬に雨が落ちた。そう思うだけで、なぜだか感動する。雨が降るなんて特別なことではないのに、そのひとしずくが、わざわざ私の頬を選んで落ちてきたことが、なんともいえず尊い。
こんなふうに、何気ない瞬間に心が震えることがある。そういうとき、ふと考える。もしかして私は、このちいさな体験をするために生まれてきたのではないか、と。
風が吹くこと。頬に雨が落ちること。陽だまりのあたたかさを感じること。目の前の草がそよぐのを見ること。春が近づくにつれて、どれもがじんわりと心にしみる。こんなにささやかで、どこにでも転がっているものたちを、まるで初めて触れるみたいに愛おしく思うのはどうしてだろう。
毎日を過ごすうちに、きっといろんなことを忘れている。生まれたときは、きっとなんでも新鮮で、見るものすべてに驚いていたはずなのに、大人になってからは、そういう感覚を置き去りにしてしまっているのかもしれない。
でも、ほんの一瞬だけでも、世界の美しさを思い出す瞬間がある。春の風を浴びること。目の前の猫があくびをすること。川の水面がきらめくこと。そういうものを、一つひとつ丁寧に味わっていけば、もしかしたら、何か大切なことを思い出せるかもしれない。
そろそろ桜の咲く季節がやってくる。
桜は毎年咲くのに、なぜか見るたびに胸がきゅっとする。ふわりとした薄紅色の花が、枝いっぱいに咲き誇る姿。満開の桜の下を歩くと、まるでこの世界が夢の中みたいに思える。
そして、その美しさを味わう間もなく、桜は散っていく。ひらり、ひらりと舞い落ちる花びらを見ていると、どうしようもなく切ない気持ちになる。咲いたばかりなのに、もう散ってしまうなんて、なんて儚いのだろう。でも、その儚さがあるからこそ、桜はこんなにも美しく、尊いのかもしれない。
桜が散るのを見て、涙が出そうになるのは、きっとこの光景があまりにも愛おしいからだ。そして、その愛おしさの奥には、何かもっと深い、忘れてしまった大切な記憶があるような気がする。
もしかすると、私たちは、こんなふうに美しいものを感じるために生まれてきたのかもしれない。風の心地よさや、頬に落ちる雨粒の冷たさ、桜の咲く瞬間の奇跡。そんなちいさな、だけどかけがえのない経験を積み重ねることで、きっと私たちは、この世界に生きている意味を、少しずつ思い出していくのだろう。
三月の終わり、春はもうすぐそこまで来ている。
