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宇宙のパジャマを着たわたしたち

子どものころ、わたしは大人ってなんでも知ってて、なんでもできると思っていました。
九九も完璧だし、電車もひとりで乗れるし、しかも料理までできる。なんて万能な人種なんだ!と尊敬していたのですが、いざ自分が大人になってみたら、あれれ?ってなりました。

スーパーでみかんを選びながら、「うーん、これは甘いかな?それともスカスカかな?」と3分も悩み、結局、ハズレを引いてしまう。九九はなんとかできても、スマホの契約は意味がわからないし、仕事で「ご確認のほどよろしくお願いいたします」っていうメールを100通くらい書いても、いったい何を確認してほしいのか自分でもわかっていなかったりします。

そんなふうに大人って意外とアヤフヤなのだ、ということに気づいたのは、大学を出て働きはじめたあたりでした。

世の中には「いい大学に入って、いい会社に入って、それから人生が始まりますよ」という黄金ルートがあるらしいのですが、そこをちゃんと歩いてみても、どうにも心がワクワクしないのです。
たとえるなら、フルーツパフェを注文したのに、なぜかキャベツの千切りがどんぶりいっぱいに入って出てきた、みたいな。

このルートにちゃんと乗ってれば、幸せになれるんじゃなかったの!?
と思って振り返ると、まわりにもキャベツのどんぶりを抱えて「おいしいですね…」とニコニコしながら、目だけが死んでる人がちらほらいるのです。

どうやら「社会の常識」というやつは、みんなが右にならえで進めるように作られているみたいですが、それに合わせすぎると、自分がどこに向かってるのかわからなくなるらしい。

「自分の好きなことをやったって、お金にならないじゃん」
「夢だけじゃ生きていけないよ」
そんなふうに言われて、ああそうかと引き下がってしまうこともあるけど、でもたまに、こうも思うのです。

「夢だけじゃ生きていけないけど、夢がないと生きていけないじゃん」って。

そしたら最近、わたしの中で宇宙がしゃべりだしました。
いや、正確に言うと「宇宙の声みたいな気がしただけ」なんですけど、なんとなくそれがすごく説得力あったのです。

「あなたの中には無限の可能性がありますよ」
「好きなことをやっていいんですよ」
「今までの常識なんて、宇宙から見たら蚊の羽音くらい小さいんですよ」

なんだそれ、って笑っちゃうけど、ちょっとホッとしました。

だって、誰かが決めた「ちゃんとしたルート」から外れるのって、すごく怖い。
でも、「宇宙がオッケーって言ってるなら、まぁいいか」って思えば、ちょっと気が楽になる。

わたしたちって、本当はひとりひとりが「宇宙の可能性のかたまり」なんだと思います。
夜空に星がぎっしりつまってるみたいに、わたしたちの中にも、まだ光ってない星がいくつもある。
それをひとつひとつ、気づいて、やってみて、つかんでいけばいい。

社会の常識というキャベツのどんぶりをそっと横に置いて、
代わりに自分だけのフルーツパフェをこしらえていく、そんな感じで。


「なんでもできる」と信じられる自分でいたい。
「今さらムリ」じゃなくて、「今からならいけるかも」でいたい。
それがたとえ、くだらない夢に見えても、
それを笑いながらやってる人が、いちばんかっこいいと思うのです。

自分の可能性を信じるって、ちょっと照れくさいし、なかなか難しいものです。
でも、眠る前にふと空を見上げて、星をぼんやり眺めながら、こう思うんです。

「きっと、わたしたちみんな、宇宙のパジャマを着て生まれてきたんだな」って。

それは、だれにでも無限の可能性があって、夢を見る力があって、どこまでも自由に広がれる存在だということ。
普段はすっかり忘れてるけど、ときどき思い出すと、なんだかちょっと元気が出てくる。
そんな目に見えない、でも確かにある“宇宙のパジャマ”を、わたしたちはみんなちゃんと着ているのです。


宇宙から見ている夢の中にいるようなわたしたち。

本当はどこまでも自由で、無限の可能性を潜めている。

忘れているだけで、ね。





ここまで読んで下さり、ありがとうございます。

このお話は半分フィクションです。
自分の中にある思いをこの世界と混ぜ合わせて、ひとつのお話にまとめました。
風からの便りのような、誰かの心へと吹き抜けるような、そんな何かを届けられたらいいなと思っています。


よき日でありますように!





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