🍭 駄菓子人格エッセイ:noteという名の、毎日通う駄菓子屋
noteを書くのって、ちょっとあの頃の「駄菓子屋」に似てる気がする。
学校帰り、ポケットにねじこんだ50円玉ひとつ。
木製の引き戸をギィ…と開けて、埃っぽい甘さに包まれながら、今日もなにかを選びにいく。
「うまい棒コンポタ味…昨日書いたな」
「ヨーグル…あれはちょっとエモすぎた」
「ベビースター…あ、これ今夜いけるかも」
そんな感じで、私はnoteという棚に、毎日通っている。
一か月で80記事。
まるで、大人になっても「駄菓子大人買い」してるような状態。
でも実は、記事を書く時間は1日中のスキマ時間。
ベッドの中、風呂の湯気のなか、トイレの便座に座りながら……
まるでポケットの奥に残った1枚の10円玉で、「あと1個だけ買えるかな?」って悩むあの頃みたいに。
裏では、ツールという「当たりつききなこ棒」も作ってる。
よーく見ないと分からないけど、ちゃんと中に「当たり」があるやつ。
でも、100円の札が貼られただけで、急に“売れ残りのすもも漬け”みたいに扱われる。
(これ…ねるねるねるねみたいに、作るのに手間かかってるのになあ)
(無料ならみんな手に取るのに、ほんの一枚の硬貨で、途端に無口になるなんて)
それでも私は書く。
だって、noteに「ドンパッチ」が弾ける瞬間があるから。
「声を出して笑いました」
「普段コメントしないけど、いてもたってもいられず」
そんな反応は、まさに当たりくじ付きの棒アイスみたいな喜びだ。
そして、自分のツールで誰かが記事を書いてくれてるのを見ると、
それはもう、「ねり飴を上手に丸められたとき」みたいな達成感がある。
私の理想は、「noteという棚に、毎日誰かがふらっと寄ってくれること」だ。
本当は、モロッコヨーグルみたいに、一口で忘れられる味じゃなくて、
ボンタンアメの包み紙が歯にくっつくみたいに、ちょっと記憶に残る記事が書きたい。
noteを書くのは、駄菓子を買うのと一緒。
豪華なディナーじゃない。
でも、安くて、懐かしくて、
たまに「今日のこれは最高だったな」って当たりを引けたら、
それだけでまた、明日もnote屋さんの引き戸を開けたくなる。
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💭(さて今日は、ビッグカツ味のnoteでも握ってみるか)
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