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止まる時間がなぜか怖いあなたへ

久しぶりの休日。

やっと予定がない一日なのに、なぜか落ち着かない。

ソファに座っていても、

「洗濯しようかな。」

「買い物に行っておこうかな。」

「今のうちに仕事を進めたほうがいいかな。」

次々と「やること」が頭に浮かんできます。

本当は少し休みたい。

でも、何もしないでいることに、どこかそわそわしてしまう。

そんな時間はありませんか?

いつの間にか、何かをしている時間のほうが落ち着くようになってしまっていた。

体が休み方を忘れたというより、止まる感覚を思い出せなくなっていた。

そんなことがあるんだと思います。

「休むのが苦手」の奥にある本当の気持ち

「私、休むのが苦手なんです。」

施術中、お客様からよく聞く言葉です。

でも、お話を聞いていくと、休むことそのものが苦手なんじゃないと感じることがあります。

感情を翻訳をすると、

「休むのが苦手。」じゃなく、「休んでいると、何か悪いことをしている気がする。」なのかもしれません。

「予定があるほうが楽。」じゃなく、「動いているほうが、考えなくて済む。」なのかもしれません。

「何もしないとソワソワする。」じゃなく、「止まったら、自分が崩れてしまいそうで怖い。」そんな気持ちが隠れていることもあります。

止まれないのは意志が弱いからじゃない

私たちは「休めない」と聞くと、もっと上手に休めばいいと思いがちです。

でも現場で多くの方と接していると、そう単純なことじゃないと感じます。

仕事が終わっても、帰れば家のことが待っている。

「あと一つだけ。」

「これだけ終わらせよう。」

そんな毎日を繰り返しているうちに、体も心も「動いている状態」が当たり前に。

気づけば、体も「気を張ること」が普通になってしまいます。

だから急に止まろうとしても、体より先に気持ちが落ち着かない。

「何かしなきゃ。」

そんな思いが次々に浮かんできます。

もちろん、これにはさまざまな理由があります。

でも私は、止まれないのは、弱いからとかじゃなく、長い時間をかけて身についた頑張り方のクセ、なんじゃないかと感じています。

「休む価値が自分にある」と思えないことがある

頑張りすぎる人ほど、自分には厳しくなります。

誰かが休んでいる姿を見ても、「ゆっくりできてよかったね。」と思えるのに、自分が休もうとすると、「私はまだ頑張れる。」「このくらいで休むなんて。」そんな言葉が頭に浮かびます。

感情を翻訳をすると、「休む価値が、自分にあると思えない。」そんな状態になっていることがあります。

だから体が疲れてても、心は「もっと動け」と言い続ける。

この体と心のズレが続くと、疲れに気づくことも難しくなっていきます。

止まることが怖くなったのには理由がある

止まることが怖い人は、最初からそうだったわけじゃありません。

責任が増えた。

期待に応え続けてきた。

頼られることが多かった。

「ちゃんとしなきゃ。」

そう思う時間を積み重ねるうちに、動き続けることが安心になっていったのかもしれません。

だから私は、「もっと休みましょう。」とはあまり言いません。

その前に必要なのは、「私は、どうして止まることが怖いんだろう。」と、自分に聞いてみることだと思ってます。

その問いを持った日から、少しずつ力が抜け始める人を、私はたくさん見てきました。

そのことを強く感じた出来事がありました。

止まったら頑張ってない自分になる気がする

以前、施術でお会いしたお客様のことです。

その方は、仕事でも家庭でも頼られることが多く、いつも忙しく過ごしている方でした。

施術の前に、「休むことに少し罪悪感があるんです。」と話してくださいました。

詳しくお話を聞いていくと、お休みの日も予定を入れてしまうそうです。

何もしないで家にいると落ち着かない。

座っていても、「あれをやっておこう」「これも済ませよう」と動きたくなる。

そして、少し考えたあと、こんな言葉をこぼされました。

「止まったら、頑張っていない自分になる気がするんです。」

その言葉を聞いたとき、私ははっとしました。

この方が怖かったのは、休むことじゃありませんでした。

止まった自分を、自分で認めることだったんだと思います。

私も「頑張れば何とかなる」と思っていました

その言葉は、以前の私にも重なりました。

疲れていても、「今日は忙しかったから。」

頭が回らなくても、「少し寝れば大丈夫。」

朝になれば戻ると思っていました。

でも、翌朝も同じでした。

頑張ることが当たり前になってたので、立ち止まるという選択肢がありませんでした。

でも、体は正直でした。

疲れは少しずつ積み重なり、ある時、本当に頭が回らなくなってしまいました。

あの経験があったからこそ、今は思います。

足りなかったのは、もっと頑張ることじゃありませんでした。

頑張り続ける前に、一度気を抜くことでした。

頑張りすぎる人ほど「休む」より先に「止まっても大丈夫」を思い出す

私は現場で多くの女性と接する中で、頑張りすぎる人ほど、「休み方」じゃなく、「止まっても大丈夫」という感覚を忘れているように感じます。

何もしない時間があると不安になる。

予定がないと落ち着かない。

誰かの役に立っていないと、自分を責めてしまう。

そんな毎日が続くと、止まることが、前に進むことの反対になってしまいます。

でも、本当はそうじゃありません。

止まる時間があるからこそ、「本当はどうしたいんだろう。」と、自分の声が少しずつ聞こえてくるんだと。

だから私は、頑張りすぎる人ほど、「休もう」と頑張るんじゃなく、「少し止まってみようかな」くらいでいいと思ってます。

香りは「止まっても大丈夫」を思い出させてくれる

そんな時間に、香りはやさしいきっかけになります。

香りには、何かを頑張らせる力じゃなく、「今ここ」に意識を戻してくれるような心地よさがあります。

私自身も、家に帰って香りを感じると、「今日は終わったな」と気持ちの切り替えになります。

例えば、

ラベンダーの静かな香り。

ベルガモットのやわらかな明るさ。

ヒノキの落ち着いた木の香り。

好きな香りを一つ選んで、深く吸おうとしなくてもいい。

ただ、「あ、いい香り。」そう感じるだけで十分です。

その一瞬だけでも、明日の予定じゃなく、今の自分へ意識が戻ることがあります。

それは、小さいようで、とても大切な時間です。

止まることは前へ進む準備

止まることは、何もしない時間じゃありません。

私は、自分を置き去りにしないための時間だと思っています。

走り続けていると、体の声も、気持ちも、小さな違和感も、聞こえなくなってしまいます。

だから少しだけ立ち止まる。

少しだけ静かになる。

その時間があるからこそ、また自分のペースで歩き始めることができます。

今日、五分だけ止まってみませんか

もし今日も、予定を詰め込もうとしている自分に気づいたら。

「まだ大丈夫。」と言いかけた自分に気づいたら。

五分だけでもいいので、何もしない時間をつくってみてください。

窓の外を眺める。

温かい飲み物を飲む。

好きな香りを感じる。

それだけでも十分です。

また自分らしく進むために、自分を迎えに行く時間。

私は、止まる時間には、そんな意味があると思ってます。


止まることに罪悪感がある。

そんな気持ちの奥には、自分でも気づいてない「頑張り方のクセ」が隠れているかもしれません。

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「これ、私のことかもしれない。」

そう感じた方は、プロフィールからのぞいてみてください。

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