風が巡る ― 四つの風の話
~ そよ風のささやき ~
朝、窓を開けるあの瞬間が好き。
見えない誰かが、そっと息を吹きかけるように、風がすうっと入ってくる。

そよ風には、気象台のデータに載るような名前はない。
ただ、肌をなで、耳元で何かをつぶやいては消えていく。
「風」と呼ぶにはあまりにはかなげで、
「空気の流れ」と呼ぶにはあまりに愛おしい。
だから私たちは、そよぐ風 —— そう呼ぶ。
私はこの風に撫でられるとき、
続いていく日常のすき間で「深呼吸してみよう」と、
そっとゴーサインを受け取る。
そよ風は、世界がまだ優しさを忘れていない証拠のようなものだ。
~ 潮風が運ぶ記憶 ~
海に近づくにつれ、潮風があの香りを運んでくる。
塩の粒、海藻の匂い、遠い沖の何か。

それは目に見えないけれど、鼻の奥で確かに「あの日」を呼び覚ます。
潮風には、いつも懐かしさが混ざっている。
子供の頃に訪れた海水浴場。
初めて好きな人と肩を寄せ合って見た沈みゆく夕日。
波の音だけが聞こえていた夜の海。
そしてなぜか、あの時食べたカップ焼きそばの味も、一緒に蘇ってくる。
潮風は、海の香りを運ぶだけではない。
海に絡んだ私の記憶を、細部まで呼び戻す。
私は潮風を吸い込んで、過去の自分と一瞬だけ再会する。
潮風は優しいけれど、どこか切ない。
なぜなら、運ばれてくるのは「過ぎ去ったもの」だから。
潮風に向かって手を伸ばしても、何も掴めない——それはわかっている。
わかっていて、そして、ちょっとセンチメンタル。
それでも私は、また海へ行く。
あの想いをもう一度感じるために。
ついでに、あのカップ焼きそばも、もう一度食べたい。
~ 山颪(やまおろし)の無情 ~
私は登山愛好家ではない。
けれど最近、YouTubeで山岳遭難解説の動画をよく観る。
山という変わりやすい環境で、どんな準備を事前にすべきか、
状況に応じてどう判断するか——そんなストーリー性にハマっている。
澄み切った青空の下、意気揚々と歩くクライマーがいる。
さっきまで晴天だったのに、空は鉛色に覆われ、視界が白く煙る。
そして——風が吹く。一瞬にして強い風が襲い掛かる。

山颪は、山で吹き下ろす風のことだ。
上部に「下」、下部に「風」
——その文字の成り立ちが、まさに風の軌跡を映している。
文字がそのまま風の動きを教えてくれる。
山颪は、それまでの平和を蹴散らすように、山を一気に駆ける。
登山者が気づいたときには、体が浮き上がり、吹き飛ばされている。
本当に、体ごと風に飛ばされるらしいのだ。
ビデオでは実写ではなくアニメーションの解説だが、
それでもその恐ろしさは十分に伝わってくる。
山は、私たちに美しさだけを約束してはいない。
一瞬の天候変化で、祝福が呪いにも変わる。
それは自然の裏切りではない。
自然がただ「自然である」ことの厳しさだ。
山颪は静かに語る。すべては一瞬で変わると。
大切なのは、いかに冷静に対処できるか。
風に飛ばされないために必要なのは、強さだけではない。
運の良さも、しなやかさも必要だ。
そして何より、察知したら身を伏せる機敏さと、やり過ごす知恵。
山颪は、そういうことを黙って突きつけてくる。
~ 朝凪(あさなぎ)の静寂 ~
朝には「静」という文字が似合う。
ゼロの静けさが沁みわたる。
空気が、まったく動かない。
木々の葉も、草花も、息をひそめて何かを待っているかのようだ。
朝凪は、風の「不在」。
けれどそれは「無」ではない。
動の後の静けさには、通り過ぎたものの重みが満ちている。
風の記憶が、空気の一粒一粒に染み込んでいる。
私はこの朝凪の時間が好きだ。
不安も、期待も、怒りも、悲しみも、
すべてが平らにされて、
ただ「今ここ」だけが残る。
水面が鏡のように空を映すように、
心もまた、何も映さない透明さを取り戻す。

風は巡る。
そして私は、ただここにいる。
【ちび創作大賞】の天野雫さんお題「風」に参加しています。
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